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『シャイニング』の脚本が出来るまで④『時オレ』と『バリ・リン』の場合

『時計じかけのオレンジ』と『バリー・リンドン』の場合

キューブリックはどのような小説が映画化の原作に相応しいと考えたのでしょうか。 
 小説『時計じかけのオレンジ』のどこに惹かれたのかという質問に対してキューブリックは次のように答えています。

「すべてだ。そのプロット、登場人物、思想にもだ。また、この物語が特に偶然の一致とあらすじの対称性を故意に何度も使っている点でおとぎ話や神話にとても近いことに興味を惹かれた」※1

『時計じかけのオレンジ』

 あらすじの対称性という観点から考えると、『バリー・リンドン』や『フルメタルジャケット』、『アイズ ワイド シャット』も対称的な二部構成のストーリーです。 
 『フルメタル』は一見、関係のない別々の話を繋げたようにも見えますが、新兵訓練と戦場の中でレナードとジョーカーはそれぞれ〝I am in the world of shit.(俺はクソ地獄にいる)〟という同じ結論に達する、対称的な二部構成の物語なのです。

 では『バリー・リンドン』に関してはどこに惹かれたのでしょうか。
 『時計じかけのオレンジ』を監督する前の1970年ごろ、キューブリックはナポレオンの生涯を映画化しようとして準備に膨大な労力を注ぎましたが、資金難から挫折しました。※2
 ほぼ同時代を舞台にした『バリー・リンドン』を創った理由は、その準備のノウハウを活かすことが出来たからではないか、という説があります。

“ナポレオン”映画化の為の衣装テスト風景。少女たちはキューブリックの娘か?


 しかしそれだけではなかったようです。
 19世紀以来ほとんど忘れられて滅多に再出版もされないサッカレーの小説をなぜ『バリー・リンドン』として映画化することにしたのですか、という質問にキューブリックは答えます。

「私の家の本棚には何年も前からサッカレーの全集があった。私は『バリー・リンドン』を読む前に何冊か彼の小説を読んでいた。
ある時にはサッカレーの『虚栄の市』が映画化できるかもしれないと考えて興味を惹かれたが、結局その物語が比較的短い劇場映画の上映時間に上手く圧縮できないと判断した。( 中略 )

それはともかく、『バリー・リンドン』を読むや否や私はとても感動した。その物語と登場人物に惚れ込み、元の小説を損なうこと無く映画に変換できると思った。

さらに『バリー・リンドン』には、映画化によって他の芸術様式(小説や絵画など)よりも優れた表現ができる機会があった。つまり、歴史上の過去の情景や出来事を表現するという機会だ。
歴史的過去の時代を描写するのに、小説は最も優れた手段とは言えない。
しかし映画ならば視覚的表現によって難なく描写できる。少なくとも、鑑賞者が努力して多くの文章を読まなくても済むという点では映画の方が優れている。
このことはSFやファンタジーでも同様だ。これらのジャンルの小説は、現在を舞台にした物語には無い、視覚化への挑戦と可能性を提供してくれる」※3

 映画化したときに視覚的な魅力がある題材にキューブリックは惹かれるようです。さらに別のインタビューを読んで、物語についてのキューブリックの考えを探ってみます。

『バリー・リンドン』より


※1,3 : ミシェル・シマン著『キューブリック』163ページ〜

※2: https://kubrick.blog.jp/archives/52377828.html


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