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黒澤明と狐の嫁入り

 黒澤明の映画『夢』(1990年)の中に、狐の嫁入りを描いた話が登場する。
 黒澤明は狐の嫁入りのイメージを何処から得たのだろうか。黒澤自身の体験によるのだろうか。

『 夢 』 (1990年)より

 「こんな夢をみた」という字幕の後。日照り雨の中、男の子が母親の言いつけに逆らって遊びに出る。そして森の中で狐の嫁入りを目撃してしまう。逃げ帰った男の子は母親から、狐に謝ってきなさいと言われて家から閉め出される。男の子は、虹の下にあるという狐たちの棲家を目指して幻想的な野原の中を歩いてゆく。


 これは黒澤明自身の記憶に基づく物語なのだろうか。劇中で男の子が閉め出される屋敷の表札には「黒澤」とはっきり書かれているのだ。

 黒澤明の自伝『蝦蟇の油』によれば、幼少期の黒澤は東京都大田区の大森に住んでおり、1917年ごろ、小学三年生の時に文京区の小石川に引っ越した。大正時代とはいえ、大森や小石川付近に映画で映し出されたような深い森があったとは思えない。自伝にもそれを窺わせる記述はない。

 ところが文藝春秋編『夢は天才である』を読むと、確かに黒澤自身の体験が物語の原型のようだ。井上ひさしとの対談で黒澤明は次のように語る。

黒澤「子供のときね、日が照っているのに、雨が降るでしょう。そうすると表に飛び出すんですよ、面白いから。着物が濡れるのもかまわないでね。それでおふくろが脅かすわけね、狐の嫁入りだ、それを見ると大変なことになるよって。ずいぶんいわれましたよ。そうすると本当に狐の嫁入りを見たような夢を見ちゃうわけね。そのぐらい怖かったですよ。つい見ちゃったらどうしようかと思ってね」
 当時の東京は、少なくとも子供には狐の嫁入りが現実味をもつような環境だったのだ。黒澤明は父の生まれ故郷である秋田県に預けられていた時期があり、そこの風景の記憶が森のモデルなのかもしれない。

 狐の嫁入りに関する具体的な描写はどのようにイメージしたのだろうか。詳細は分からぬが狐のメイキャップについては次のように説明する。
「狐のメイクはずいぶんかかったんですよ。半年ぐらいかかったかな。最初は、人間の顔が透けて見えるようなビニールみたいな面をつけて、それを透かして顔が見える。だから、人間の顔を少し誇張気味にメイキャップしてね。事実、それはとても面白いんです。ところがね、ライトを使うとビニールが光っちゃう。これはダメだと言うことになって、結局実際の人間の顔にところどころ毛を生やすよりしょうがないんじゃないかといって、あそこに落ち着いたんですけどね」

 いずれにしても、狐の嫁入りの場面は当時の社会状況と黒澤自身の実体験が大きく影響していると言えるだろう。



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