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もう一つの父の顔を、知ってしまったかもしれない

父や母のことを憎んでいた時期を乗り越え、2人とも亡くなった今、理解できなかったことを紐解くために書いてます

心理カウンセリングやアカシックレコードリーディングで解決してきたことなど私の心の軌跡を書き綴っています



父は、大人しくて優しい長男だった

入院した祖母の代わりに小さな妹のおしめを替えていたと聞いたことがある

父がどんな青春時代を過ごしたのか

そういえば一度も聞いたことがなかった


父が亡くなって26年経つけれど

余り父のことを思い出すことはなく、書くことはなかった


母が亡くなって3年経ち

思い出の彼方で、笑っている母を思い出すようになってから

母がどんな気持ちで人生を送っていたのかと

そんなことを思う事がある


多分、アカシックレコードリーディングで、それを聞くことができると思うが、まだやったことがない

何となく、私が知りたくないからかもしれない

ただ、同じアカシックレコードリーディングリーダーが

「お母さんは、お父さんに守られなかったことがあったのかもしれません。」

とリーディングしてくれた時があって

それが、ずっと心の片隅に引っかかっていた


母がいろいろな事をやらかして

家庭が滅茶苦茶になってしまった時

私は、母を激しくなじり、すさまじい母娘喧嘩になったことがあった


喧嘩したはずなのに

どうしてそんなことをやらかしたのか

母が言わなかったのか

言われても受け入れなかったのか覚えていないが

そのことが、すっぽりと抜けている

そんな昔のことを回想しているうちに

そういえば 子どもの頃、嫌なことをされた時に

その人から父も母も守ってくれなかったということが

あったなあと思い出した


もしかしたら、母は、私をかばうと、その矛先が30歳そこそこの母に向けられるから、助けてくれなかったのかもしれないという、一つの仮定が浮かんだ

あの時、父は、私を助けてくれなかったけれど
結婚してからずっと母を助けられない人だったというのが、
父のもう一つの顔であった可能性があったのかもしれない


もし、こう考えたとしたら、どうだっただろうという仮説のもとに書き進めてみる

母は、結婚してから嫌なことから守ってくれなかった父に絶望して過ごしていた

子どものために、どうにかして我慢して生活していたが、どうしようもない絶望に耐えられなくて、いろいろやらかしてしまった

この仮説から母を再考するなら、母は私から憎まれて辛かっただろうと思う。子どもに父親を悪く言うこともできず、そっと自分の心にしまい、墓場まで持って行ったということもあったかもしれない


父は、母を愛していた、情があったという反面
守れなかったという罪悪感をずっと感じていたのかもしれない


これらの、2人の心の機微は、生きていても死んでいても
分かることはほぼ無いと思うが
今まで思っていたシナリオとは、随分違う物語が潜んでいる可能性があることが分かった

今を生きるために、両親のことは
必要な時は向き合うと良いと思う

ただ、深堀をするのは、止めた方が良い
それは、不毛の作業になる可能性があり
つまり、解決することのない迷路にはまっていくかもしれないからだ

両親との関係は、心理カウンセラーにサポートしてもらいながら、ゆっくり進めていくのが良い
一人では、辛過ぎることがあるからだ

そして、両親との関係が良好だと思う人にも
何かが潜んでいるという厄介なものだ
これは、後々書いてみたいと思う


もし必要ならば
アカシックレコードリーディングを受けるのをおススメしたい





いろいろある自分のことを、もっと研究して、みんなにホッとしてもらう生き方のヒントを伝えたいので、サポートをよろしくお願いします。