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「こわい」から生まれた「勇気」

きょうは朝から友人主催のオンライン手話クラブで、手話のかんたんな挨拶を学んで、耳の聞こえない人がどういう生活をしているのかという映像を見ました。このことや僕のやっていることについてもまた別の機会に語るとして。

そのクラブの直後に小学生のオンライン読書・作文指導を行いました。

面白かったと思う部分を音読してもらって、そのあとに全体的なストーリーを説明してもらい、事前に送られてきていた作文を音読してもらいました。

この子は音読が得意だし好きで、キャラクターによって声色を変えて、場面によって表現も使い分けていて、聞いていて楽しかったです。

次に登場人物の紹介、関係性、どういうストーリーなのか、話し言葉で十分に伝わるように丁寧に説明してくれました。

そして、作文の音読。書き言葉として整っているとき、話し言葉としても聞きやすくなっていることが多いので、実際に読んでもらったのですが、やっぱり読みながらつっかえたり、首をひねったりというふうになりました。

その部分について一緒に話しながら直して、文法表現や段落構成など技術的なところはノートにまとめてもらいました。

本を読んで感じたことについて、大きく3つのエピソードがありました。

登場人物と自分が同じところ → こわがりであること

想像上の不思議な生き物がたくさんいておどろいたこと

主人公が賢いなと感じたこと。

その中で、一番気になるエピソードを選んでもらうと、「こわい」ということについて考えていきたいということでした。


こわいって何か。

こわいエピソードを語るとき、彼女はしきりに「ひとり」になること、「ひとり」でやること、「ひとり」でいることについて言うことが多かったのです。

ひとりでお部屋の片づけをしているとき、ひとりで道を歩くとき、ひとりで何かをやるとき。

逆に、友だちや妹がいるときは、なんでもできる力が湧いてくると信じているようでした。

ここにどういう思いがあるのか知りたくてお話しを続けると、どうも「できない」ことについて不安があるようでした。

ひとりだとできないかもしれない。まだまだ知らないこともあるし、上手にできないこともあるのを知っているから。あらまぁ、この年で無知の知を肌で感じているのですね、と思いました。

でも、決して臆病でもやる気がないわけでも、まして他人に依存しているわけでもなかった。

自分ができないことを知っているからこそ、できるようになるためにどうしたらいいか考えるとわくわくすると言うのです。

そして、できるようになったら、人にそれを教えてあげたい、としきりに言っていました。こわがりの自分が、できないときに不安を感じるように、できなくて困っている人たちも不安があるはず。そういうときに何もしてあげられないのではなく、力になれる人になりたい。そういうことをずっと、小鼻を膨らませて、息も忘れて話すのです。

自分が何かできるようになることは、人のためになる、と、心でわかっている感じ。これって助けてもらっていること、教わっていることへの感謝が十分にあるということ。それだけ両親を初め、周りの大人から愛情を受け取っているんだね、と感じて、今もこの文を打ちながらちょっと泣きそうです。

こわい、というマイナスな気持ちだったのにさ、色々できるようになりたいという気持ちがわかってさ、こわいっていう気持ちも大切だね、というふうに二人で締めくくりました。

こわいから逃げるのではなく、できるようになった自分、同じように困っている人の力になることをイメージしたら、たくさんやる気が湧いてくるから、と言っていました。

今回のお話の中で、自分にとって一番気になった言葉をひとつ選んでくれる?と僕が聞くと、即答で「こわい、だね」といいました。

「ちぎちゃんと話しててね、こわいって何なんだろうって、もっと考えていきたいと思った」

僕は、あなたの「こわい」の中にはあなたの「勇気」を導き出すための試練があるんだね、と思って、「こわい、という言葉と一緒に、『勇気』も手にいれたんじゃないかと思うから、僕からは『勇気』という言葉をプレゼントするね」というと、小鼻をぷっくり膨らませて、力こぶのポーズをして、にっこりと「勇気!」といって、お話が終わりました。

タイトルの写真は、お話をしながらまとめていて、最後にまとめた言葉の一部です。

ということで、下が今回のお話のまとめです。


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