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原石を磨く、光あることを知る

今年は入梅がずれたり、7月でもあまり暑くなくて、不思議な天候ですね。

3ヶ月の期間で、自分の思いや誰かにメッセージを伝えるための練習として、大人の方が作文指導に申し込んできてくれました。

どういう体感があるかお話したり、何が連想されるかを聞いているうちに、その人の原体験にふれて涙が勝手に溢れるという経験をしました。詳しくはその人の大切な部分のお話なので書けないのですが、シンパシーなのかエンパシーなのか、思い出された過去についてシェアされたときにスーッとその感情も共有されたような、先方は泣いていなかったけど僕が泣いちゃうみたいな体験でした。

どういうことばを使っているのか、どう表現しているのか注意深く聞くと、その人が大切にしていることが伝わってきます。おためしの事前体験のときには、なんと言えばいいか思い浮かばないとおっしゃっていたところからのスタートでしたが、作文準備シートをうまく活用してもらえて、まず思いや言葉が浮かんでくることが嬉しいと言ってくれました。大人は普段、そういう気持ちや感情を抑え込みやすくて、体感できないときもあります。ゆっくり少しずつ、何があるのか一緒に見ていきたいなと思います。


もうひとつ、きょうは春から続けてくれている小学生の男の子との体験したことについての作文指導。数年間学校に通わなかった期間があって、作文を始めたタイミングと復帰するタイミングと合わさって、彼が学校生活に戻っていくところやどういう生活リズムになったとか、そういうことも共有してもらっていました。最近は大好きなスポーツも見つけて、それを習い始めたり、エネルギッシュに生活しながら、学校にコンスタントに通う疲れもあって、作文対話の時間で一緒に書き上げるようにしていました。

きょうは、あらかじめ書き上げてくれていて、しかも、嬉しかったのが、とてもバランスよく漢字を使って書いていたのです。春休みごろは、漢字があまりわからないなか、一生懸命辞書を使って書いてくれていました。辞書で調べて知っていくのも楽しいといっていて、それも頼もしいなと感じていたのですが、3ヶ月ほど経ったいま、学校にも戻って日々ノートをとったりする中でバランスを取り戻して漢字を覚えることにも学ぶことにも積極的で、本当に自ら学んでいるという様子を見て、きょうも泣きそうになっていました。

学校教育についていろいろと批判が多かったり、海外の教育スタイルなどについても導入しようとする動きが見られる中、やはり公教育の頼もしさと、子どもたち、ひいては人の持つポテンシャルや力の偉大さを感じました。

今、不登校などで学校に行けていなかったり、何か挫折している人がいるとき、きっと周りの人もつらいと思います。みんなが復帰していくばかりでもないと思います。それぞれが自分の道を模索したり、もがき苦しむこともあると思います。それでも、それは何か大切なことを見つけるためのプロセスであって、きっとキラキラしたものがそこにあると思ってほしいと感じました。責任を感じすぎない、義務を感じすぎない、どういうことがあって、今どういう状態で、これからどうなっていきたいか、ゆっくり歩むというのも、実は胆力のいることですが、やまない雨はない、明けない夜はない、というように、見守ることの尊さも、信じてみてほしいと思いました。

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