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アニメとリテラシー問題

氷河期世代のわたしが、上の世代にすっごく裏切られたなって思っていることが一つあって、ずっと怒りを凍結させてきたんですけど。アニメのリテラシー問題についてです。

わたしが物心付いた頃には年の離れた兄の影響で、『ドラゴンボール(無印)』が放映されていました。思春期に入ると『新世紀エヴァンゲリオン』『るろうに剣心』が始まりました。今でもリスペクトしていますが、いまほど上の世代のリテラシーはありませんでした。むしろ、アニメは仮想のものだからと軽視され、とくに注意すらされなかったです。

他のアニメに目を向けると、『ドラえもん』『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』と名作揃い。いまの親世代や大人たちはネットリテラシーを教えてくれるでしょうが、この世代は真っ向からそのメッセージを放射能でも浴びるように無防備に吸収しました。


大人に言われたことが耳に入って警戒して見るのと、前情報無しに見るのとではインパクトが違います。

『エヴァンゲリオン』では限界超えて頑張れば新たな力が目覚める、というのは本当なのかと思ったし、『ドラえもん』のように、誰かがなんとかしてくれるとも、どこかでそんなことはあるんだろうと思いました。『ちびまる子ちゃん』ではまる子が癇癪を起こせばなんとかなるし、『サザエさん』では波平が癇癪を起こし、小学生のカツオが悪知恵を働かせればなんとかなります。
『ドラゴンボール』に代表されるように、この時期のアニメはインフレが激しく、どこまでも主人公が頑張り、努力していきます。それがどんなに理不尽な力の格差がある敵にも対抗しうる力となり、希望を呼びました。これらが学びとなったのです。

思えば、女性として新卒で採用されないとなってから、こうした学びを支えに低賃金でいつまでも残業し、自分の力になると信じていつまでも続けてきました。40になったとき、あ、今の若い世代に比べてリテラシーというフィルタが足りてなかったんだと気づきました。心から学びに変えてしまうと、後々深い影響を及ぼします。それは取り返しがつきません。いい人よろしく自分を粉骨砕身働かせ、ガタが来る頃には精神疾患になっています。

最近のアニメも観ますが、ジブリのように心情に寄り添うような作品が増えましたね。インフレするような作品は鳴りを潜めました。
わたしはインフレするような作品が上の世代を表現し、躁状態の世相を映していたんじゃないかと思っているんです。そしてそれは、無理を超越して頑張れば、何かしら得るものがあるという教訓を与えてしまいました。双極症の因子を親からもらったわたしは、そこから発症したのだと思います。

氷河期世代の働き方を強要したのは、作品のメッセージにあるように、『なんとかなる』とか『だれかがなんとかしてくれる』『限界超えて頑張れば何かしら得るものがある』価値観で上の世代がやってきたからです。

しかしわたしの世代はデジタル化が始まり、計算で仕事を進めるようになると急速に熱狂と狂乱の時代は冷めていき、知識の隙間は埋めるけれど、孤独と分断を深めていきました。こういう正反対の事態には、上の世代は対応できず、その解決は若い世代にと頼り、もとい、丸投げしました。素直に力不足を認め、もとい、下の世代に押し付けたのです。

上の世代よりは明るく見えた我ら世代はすぐに、デジタルネイティブ世代に追い越され、雇用が回復することなく最下層に置き去りにされました。

氷河期世代は怒っていいと思います。上の世代がやれないと早々に投げた問題のツケと労働力を人生すべて砂にされ、精神疾患にまで追い詰められミイラになるまで養分にされました。

アニメのリテラシーの問題は軽視スべきでないと思います。

親子や恋人の間であるように、人と人との愛が循環し相互に与え合うのが生物としての姿ならば、ここが冷却されているのはおかしなことです。氷河期世代は愛されてきませんでした。

と、わたしは静かに怒っています。

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