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過換気症候群

 2020年2月26日、過換気症候群デビューした。
 ついでに救急車デビューもした。

 前日から急性胃腸炎と思しき不調と高熱に魘されて、COVID-19の症状なんて調べたりしながら、そのまま眠れずにベッドの上で朝を迎えていた。
 2月26日を含め、その週は例によって仕事が忙しく、"僕が出席しなければいけない会議" や "僕がしなければいけない仕事" が多く、休むことなんて出来ないと感じていたから、普段風邪なんて滅多にひかないのにどうしてこんな時にとぼやきながら、熱が下がることを祈っていたが、39度台の熱は一夜では少しも下がりやしなかった。
 特に、その日は "僕がやらざるを得ない仕事" が詰め込まれた日だったから、休むことなんて、休むための諸連絡や休んだ後のことを考えると、出来なかった。それなのに、高熱は治まらないし、体は冷たくて震えているし、朝だと言うのに眠れていないしと思いを巡らせながら、あ゛ーう゛ーと唸っていたら、突然呼吸が上手く出来なくなり、体も内臓も痺れてきて、手足が動かせなくなった。言葉もうまく話せず、とにかく死ぬかもしれないという恐怖が全身を襲ってきて、自分で救急車を呼んだ。
 ただ、全身が自分の意思では動かせない状況とは裏腹に、全く僕のこんな汚部屋を見られて恥ずかしいと思うくらいには頭は冷静だった。

 程なくして、救急隊員がやってきた。僕が電話口でコロナウイルスかもしれないと口走ったので、彼らは ”一応”防護服のようなものを着てきた。僕は体を動かせずに床で硬直しているのにも関わらず、彼らはいたって冷静で、病院に持っていくものはありますかとか、電気とアラーム消しておきますねとか、呑気なものだった。僕はこんな夜明けからすぐに助けにきてくれてありがとうという多大なる感謝の気持ちと、早く病院に連れて行ってくれないと死ぬかもしれないどうしてくれるんだという怒りの気持ちと半分半分を痺れる心に抱え、床から彼らの動きを眺め、もう本当に体が言うことを聞かないものだから、なされるがままに身を委ね、病院に着いた。


 病院に着いた時には、呼吸も落ち着き、怖い看護師さんとモテて仕方がなさそうな同世代くらいのお医者さんが ”一応” 対応してくれた。トドのような我が体は全く動かないが、頭はいたって冷静だったから、自分で色々と質問に答えた。精神科の既往歴などを聞かれ、失礼なと思いながら、はっきりとした口調でありませんと答えたり、お世辞には天使には見えない看護師さんに乱暴に鼻から綿棒を差し込まれて掻き回されたりした気がする。
 そうしているうちに、特にすることはないと医者から言い放たれ、病室というには勿体無い、騒々しい場所にあって、一応カーテンの仕切りなどがあるヒトの物置場みたいな所に一時間くらい放置されたら、手足が動くようになった。さっきまで動かなかったことが、自分でもまるで演技だったのではないかと疑うくらいには不思議な感覚だった。
 動くようになってきた頃、お医者さんが優しそうにやってきて「過換気症候群」の説明をしてくれた。”不安や極度の緊張などで過呼吸の状態になり体内にある二酸化炭素が放出されて、炭酸ガス濃度が低くなることで本来は中性であるはずの血液がアルカリ性に偏り、身体にさまざまな症状が現れる”んだそうだ。そして再発の可能性が高いことについて念を押してくれたが、こんなことで救急車を呼んで、特段になんの治療をされることもなく帰される自分を外から見て情けなく、お騒がせした、申し訳ないと、そのお医者さんに謝罪して救急病棟を出た。(余談だが、そのお医者さんは本当に格好が良かった、羨ましい。)
 心底自分でも間抜けだと認めざるを得ない姿で、そのまま家まで一人で帰宅した。非モテライフを送っていると、部屋着は誠にダサいとしか言いようがなくなってしまうものである。会社での僕の姿からは想像もつかない姿であることだろう。そんな姿で明るい昼の道を歩いて帰った。情けない。


 帰宅して、「過換気症候群」について滅茶苦茶に調べた。神経質な人、完璧主義の人、不安を感じやすい人、緊張しやすい人、責任を感じやすい人、特に若い女の人に発症しやすく、夜間、救急車で搬送される人の約30%が、この症状によるものなんだそうだ。なるほど、救急隊員の方達の振る舞いにも納得がいった。
 人間関係でのストレスや心理的不安が原因となることが多いとの記述がほとんどの記事に書いてあった。まさか自分が所謂 ”心の病” 的な症状になるとは思いも寄らなかったが、おそらく大学の同期の話や自分の今置かれている状況、そして過去の経験を鑑みるに、僕は ”心が強い部類の人間である” と自分に言い聞かせているだけの、ストレスに弱い人間なんだということを自覚した。
 ストレスなんてものは、そのほとんどが自分以外の人間との関係性によって生じるものであるということくらいは、幼稚園の頃から認知していたし、それによるストレスが自分にとって大きいことは自覚していたから、積極的に他人とは距離をとって生きてきたというのにこれである。僕は全く神経質な人間であるようだ。
 ただ、一方で最近は突然に孤独を感じることも増えてきた。まさにこの度この症状に襲われた時に、今は自分で自分を助けてあげられるけど、いつかこうして単身用マンションで死ぬんだろうなと思いながら、救急隊員を待っていた時の不安な気持ち、暫くは忘れないだろう。
 とにかく僕は、そろそろ自分と他人との付き合いの上手いやり方を早く見つけないといけないのだろう。この僕の衰頽する偏向の中から脱出してみたいと切に願うし、何より、今のままではどうしようもないのだから。

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