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#3 価値観に多様性を。不協和音の先に調和の音色を

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調和の取れない音を拒むのは、たやすい。
「不協和音」を聴きたくないと思うのは、ある種の自然でもある。

でも、その音を為している互いの違いを、ごく当たり前に受け入れられたら。違うことにこそ価値を見いだせたら、不協和音のなかに、調和が見つかるかもしれない。

価値観の違いのその先にあるものを、考えてみる対談となった。
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自己紹介:yamamoto hayata 山本 隼汰
共創サークル『不協和音』と、このメディア『対岸』のオーナー。

自己紹介: 小池 智哉
東京大学教育学研究科修士2年。ソフトウェアエンジニアリングやデータ分析を生業とするかたわら、学生団体に参画したりセールスパーソンとしての就業経験もある。自身の生体データ計測と生活改善という斬新な趣向の持ち主。「どこでもコードを書くこと」を自らに徹底して課した結果、富士山山頂にさえもパソコンを持参してしまうような人。
(連絡先:@makeffort050

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大学院生:小池 智哉さん

もしも「違い」がなかったら、そこは孤独な、つまらない世界かもしれない

彼の言葉や姿勢からにじみ出る明晰な雰囲気が、印象的だった。
そういえば「不協和音」って、どんな音なんだろう——?

小池さん:このメディアを運営しているサークル名称って、「不協和音」ですよね?

山本さん:そうですよ。急に話がはじまった(笑)

小池さん:僕、このメディアの「違いって、おもしろい」というコンセプトも、不協和音になぞらえて考えてみたんです。

山本さん:おもしろそう。それってどういうこと?

小池さん:そもそも、僕は「違い」をポジティブに捉えています。特に他者との関係性やコミュニケーションを考える場合、違いはいろんなところにたくさんあるし、違っているからおもしろいんだと思っています。だって、誰もが同質な価値観だったら、それは一人きりの世界に生きているのとほとんど変わらないですから。
人はそれぞれ異なる思考や価値観を持っていて、異なる判断や行動を取るものです。友人関係、家族、ビジネスシーンなど、人と人との関係性があるところには、それと同じように違いが存在しているんじゃないかと。

山本さん:確かにそうだよね。それを、多様性とも言うし、時には違和感になったりもするのかもしれない。違いが原因で不協和音になったりもするってことなのかな。

小池さん:そうですね。不協和音って、ある種、人との距離感を測る指標みたいだと思うんです。
たとえば、時々会うだけの友人みたいに距離の遠い関係性だったら、不協和音は聴こえない。だからそれなりに居心地が良い関係でいられる。
でも、夫婦や家族のような近しい距離にいると、異なる価値観がぶつかって嫌な音が聴こえてしまうことがあります。それぞれの価値観という異なる音を鳴らすのは、決して悪いことじゃない。だけど、その違いを受け入れられずぶつかってしまう時に、不協和音が鳴り始めるんだと思います。

山本さん:なるほど。家族は距離が近いから、なおさら難しい一面があるのかもしれない。

小池さん:そうですね。自分と相手との違いを理解する、それから違いを尊重する、という順番があるとしたら、理解はできるけど尊重できない。尊重しようとしたら、今の関係性でいられなくなってしまう…ということが、起こりうるかもしれません。

山本さん:わかる。理解や尊重って、口で言うほど簡単にはいかないものだよね。

距離感が近いからわかりあえる、なんて言いきれない。
響いているのに聴こえない不協和音も、あるかもしれないのだから。
いつだって、目を背けない勇気が必要になる。

尊重のすれ違い、悪意のない期待から、大切な関係性を守るためには?

山本さん:仮に、相手の価値観を理解して受け入れられたとしても、尊重してあげられるとは限らない。もしくは、お互いに尊重し合えていると思いながらも、相手に対して「こうあってほしい」という期待が乗っかると、無意識に価値観を押しつけていることもあると思う。相手を認めることと、期待して何かを求めることは、似ているようで別物。そうなってしまうと、自分の認識と行動にズレが生じていて、相手を思っているように見えて実は自分本位になってしまっているんじゃないかな。

小池さん:自分の行動に大義名分がほしいって気持ちもあると思います。「誰かのため」と思えば、自分を納得させられるシチュエーションってあるんじゃないですか。でも、それって本質的には違いを受け入れているわけじゃないし、理解や尊重とは言えない気がするんです。

山本さん:たとえどんなに近しい、わかりあえている実感のある関係性でも、いつどんなふうに変化するかはわからないよね。大切なのは、変化に合わせて認識し直すことじゃないかな。目線合わせというか、場合によっては前提を一旦壊す必要も、あるかもしれない。関係性を築きながらも流動的というか、自分と相手の違いも、変化によって生まれた違いも、受け入れていく姿勢が大切なんだろうね。

違いを認識して受け入れることについて、もう少し詳しく教えてもらいたいな。具体的に小池君はどういうことを意識してる?

小池さん:違う価値観に出会ったら、まずは訊いてみます。「この人と自分は違うけど、どう考えているんだろう?」「その考えはどうやって生まれてきたんだろう?」って。なぜなら、価値観の違いってその人が生きてきた環境や経験によってかたちづくられるものだと思うから。背景を知って楽しむだけでも、僕には十分楽しいですけどね。

山本さん:それは僕もよくやってる。「どうしてそう思うんですか?」とか、意図を確認しながら違いを認識する感じかな。
でも、違いを認識して、理解した結果、必ずしも受け入れるのが難しいこともあると思う。

小池さん:それも、人との距離感によりますね。一番単純な例で言うと、友人なら距離を取ればいいだけかな、と。会う頻度を下げる、会った時は一緒にいる時間を短くする。不協和音が鳴り始める前に解散できるからいいですよね。

でも、それができない場合もあります。たとえば仕事の交渉や家族や恋人とのネガティブな話し合いとか。それぞれの違いに対して理解や尊重が進んだ結果、関係性の終焉を迎える可能性がある場合、ミスは許されないわけです。そういうシーンでも違いを認めて、受け入れたり歩み寄ったりするためには、とにかく事前準備を徹底するしかありません。めちゃくちゃイメトレするし、あらゆる可能性、あらゆる条件と結果を洗い出します。

山本さん:それ、うまくいく?

小池さん:難しいですね。でも、うまくいくよう努力はしています。ひとつ鉄則があって、それは、家族や恋人関係における話し合いの場合、感情的になったらその時点で中止すること。冷静さを欠いたら終わりなので、超えちゃいけないラインを超える前にストップするのが重要だと思います。

多様な価値観をインストールしていけば、もっと自由に世界を見つめられる

「引き出しを増やす」という言葉がある。それは知識や話題だけに当てはまるものじゃない。
価値観も引き出しをたくさん持てたら、見える世界が変わっていく。

山本さん:今の例ってすごく良い話だと思うんだよ。小池君の言う通り、違いを前にして対処しようと思ったら、多様なパターンを知っている必要があるよね。違いを受け入れるには、受け入れようとする姿勢も必要だけど、前段階としてたくさんの違いを知っておかなければいけないのかも。

小池さん:確かに。僕は、日頃から多様性のパターンを増やすことには意識的に取り組んでいます。相手の考えをインストールする…と言えばいいのかな。自分の経験による予想を交えながら相手の価値観を取り込むことで、自分の価値観自体も多様になっていくと思うんです。

山本さん:たとえば、自分の領域からはずれた価値観でも意図的に取り込んだりする?

小池さん:しますね。価値観って、自分と他人とを隔てる境界線を持っていると思うんです。その境界線は、多様性を取り込むことでアップデートできる。不協和音をつらく感じるほどムリして広げに行く必要はないですが、多様な価値観をインストールして、できるだけ境界を広げていきたいとは思っていますね。

山本さん:「価値観の範囲を広げる」って興味深い考え方だね。
逆に、どうしても取り込めない違いとか、受け入れられない多様性ってのはないの?

小池さん:自分自身の行動に直接関係してくるような判断を迫られた時、価値観や倫理観の範囲で受け入れられることならできるし、範囲外だったらできない…ってところでしょうか。
たとえば、僕はお笑いが好きなんですけど、いわゆる罰ゲームとか誰かをイジるとかって、人によってありかなしかの判断が大きく分かれる部分だと思うんです。僕は、自分の価値観や倫理観でOKじゃないトピックでは、笑えないし、笑いを取りにもいかない。そこは、自分で定めたラインに基づいて判断しています。もちろん、そのラインは固定的なものではなくて、見直しながら修正したりもしますけどね。

山本さん:なるほど。自分が大切にしたいラインを、丁寧に見極めてる感じがした。価値観の範囲を広げるっていうのは、こだわりというか思い込みを減らしていくという印象を受ける。価値観の範囲が狭いと、違いを受け入れるのが厳しくなるのかもしれないね。納得しながら価値観を広く多様にしていけたらいいと思う。

違いがあるからこそおもしろい。不協和音の先に調和の響きを聴く

本気過ぎて、真剣過ぎて、不思議に見える人もいる。
対岸から見ると、その真意まではなかなか汲めない。

山本さん:ここまでの話とも関連すると思うけど、小池君はビジネスサイドとアカデミックの両軸でキャリアを形成しているという点でユニークだよね。そういう人って、そんなに多くはいないと思う。バランスがいいな、と常々思ってた。

小池さん:それはうれしい評価ですね。バランスを保つのは、個人的には意識している部分です。
私は「個々人が自分自身を理解して、適切に行動する能力と姿勢を身につけるため」のものづくりをしていきたいと思っているんです。本質的に“人間”に興味があって、自分の生体データを蓄積して分析しているのも、その一環ですね。

山本さん:…ちなみに、今はウェアラブル端末いくつつけてる?

小池さん:3つ、ですね。

山本さん:多い(笑)

小池さん:「つけすぎだろ」って、よく不思議がられてました。僕自身は真剣なんですけど、周りには真剣過ぎて逆におかしく見えるみたいです。

山本さん:それこそ、変わったことをして「一人で不協和音を奏でている人」みたいに見えると思うよ。

小池さん:僕は真面目なんですけどね…

山本さん:真面目だからこそ、変わってるように見えるんだって。
でも、異なる2つの分野のことをやるのって、単純に大変じゃない?

小池さん:やりたいことをやるためには知識や技術力が必要だと思ったので、自分にとっては合理的な判断だと思っています。
現在は、大学院の修士課程で生体学習×機械学習の研究をしているんですが、本気でやりたいことを実現するためには、ビジネスやデザインといった要素も求められます。だから、アカデミックだけ、ビジネスサイドだけ…と、一方に寄ることはできないんですよね。

山本さん:今後のキャリアとしてはどちらに進むの?

小池さん:就職するつもりです。バランスは大切にしていきたいと思いますが、個人的には研究よりビジネスが好きだな、と。論文が数本通って一定の成果を出せたので、自分としては「研究はここまででOK」と判断しました。

山本さん:僕は、小池君のその発想がすごくいいと思ってて。自分に何が必要か、どれくらい必要かを判断するのは、意外と難しいものだと思うんだよね。それに、異なる2軸の分野それぞれで経験を積みながらも、流されず、自分の価値基準で判断できるのは、すごくしなやかな強さだと思う。

今回、改めて小池君と話してみて、違いって誰との間にも存在しているものだし、人と人との差を際立たせるものでもあれば、取り込んで価値観を豊かにしてくれるものでもあるんだな、と思った。それに、不協和音に対する認識もアップデートされたと思う。確かに、調和が取れていない気持ち悪い響きかもしれない。でも、不協和音自体を受け入れられたら、その先にある調和に向かって前進できるようになるのかもしれない。

小池さん:そう、違うけど調和する音って“良い違い”ですよね、きっと。人との関係性において「自分と相手は違うからおもしろい」と思えたら、そこにはきっと楽しさや喜びがある。まったく同じ音を求めるのが正しいとも思わないんですよね。お互いに違いを認識して、そのうえで違うことを喜び合えたら、それが一番望ましい不協和音なんじゃないかと思います。

山本さん:人との違いを認めあいながら、そういう音を鳴らせていけたらいいよね。今日はありがとうございました。

違いを理解する、受け入れる、だけじゃない。
違いを良いもの、うれしいものと感じられた時、そこに響くのは、果たして不協和音なのだろうか?
その音を聴いてみたいと思えた時に、違いのおもしろさを受け入れるドアが開くのかもしれない。

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メディア『対岸』では、”違いって、おもしろい”をコンセプトとし、魅力的な個人との対話を通して、その人にとっての違いや、違いの楽しみ方を記事にして発信していきます。
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