流星群

 もし、ときめきに色やかたちがあるとしたら、それはきっと流星群みたいに違いない。制御できない高鳴りに心臓が震えてしまったら、もう遅い。ときめきに囚われたまま生きていくことになる。

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 パジャマの上にコートを着て、マフラーも巻いて、靴下も履いた。そっと玄関を開けて家を出ると、すべらないようにできるだけ新雪の上を歩く。走りたい気持ちを抑えて慎重に歩こうとしても、無意識のうちに早足になってすぐ転びそうになった。いつも学校の行き帰りで通る道が、全然ちがって見えた。心臓がどきどきする。

 物心ついた頃には既に、星や月を見るのが大好きだった。どの季節の星座もきれいだけど、空気が澄む冬は特別。オリオン座、カシオペア座、おうし座。だけど、雪深いこの町の冬は、星空ではなく雪空になってしまう。だから今日――ふたご座流星群が極大になる今夜のため、この数日は、祈るような気持ちでニュースの天気予報を見ていた。今は、ざくざくと雪道を歩きながら、期待と緊張感で心臓がきゅっと音をたてて縮む感じがする。角を曲がって土手に出るまで、空は見上げないと決めていた。
 土手は真っ暗。雪に埋もれた階段をのぼりきって真上を向いた瞬間、心臓に何か刺さった、と思った。無数の星が空じゅうに散らばり、南の空の真ん中に、勇敢なふたご座が輝いていた。お兄ちゃん星のカストルが、ふたご座流星群の放射点だった。一瞬、ひゅいっと星が流れる。いっそう、心臓がばくばくする。
 目が潤んでいるのは、星空がきれいで感動したからだ。どうしてこんなにもきれいで、わたしはどうしてこんなにも星空が好きなんだろう。友達には、わかってもらえなかった。みんなには、そこまで夢中になるほどきれいなものでもおもしろいものでもないみたい。この気持ちを誰ともわかりあえなくて、雪の降る外と暖房の効いた教室くらい温度差があった。好きなものが違うのは仕方ない。小学5年生にもなれば、それくらいわかってる。わからないのは、自分の心の方だ。

 今はたぶん、氷点下4度くらいだろう。雪すらも凍る真夜中、寒すぎて空気が乾くほど星の光はうるうるする。極寒のなか見上げる星空は、プラネタリウムよりも立体的で、呼吸する動物みたいに生きて見えた。心臓のばくばくは治まるどころか、加速していく。わたしは、まばたきも呼吸も忘れそうなほど無心で、空を見上げ続けていた。耳もほっぺたも指先も全部ちぎれそうに冷えきっている。前も後ろも、上も下もなくなったような気持ちになった。だけどずっと、心臓が喜んでいる。時々流れる星がそのまま心臓に飛び込んでくるみたいに、気持ちの高鳴りは全然治まりそうになかった。
 
 どれくらいの時間、そうしていたのかはわからない。ただ、知らないうちに真後ろにいたお父さんに「…たくさん流れ星、見えたか?」と声をかけられて腰が抜けてしまったのは、びっくりしたからだけじゃなかったと思う。流星群の夜空に魅入られ、飛び回っていた心臓が急にからだに戻ってきたからだ。そう思った。腰が抜けて、雪に両手をついて見上げた瞬間にまた、カストルのそばを星がひゅんっと流れて、消えた。

 凍死の危険性もあるほどの寒さに加え、真夜中にこっそりと家を抜け出した緊張感と、流星群を見られた興奮もあいまって、わたしは寝込んだ。もろもろ叱られたのは、3日後にようやく高熱が下がってからだった。熱にうなされている間も、頭の中や目の前には、いくつもの星が流れていた。いつまでも終わらない流星群のなかを漂っているようだった。

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「南の高い空に見えるのが木星、西の低い空にあるもっと明るいのが、金星」
 娘と歩いている帰り道、私は空を指さしながら教えてあげた。
 あの日からずっと、流星に射抜かれた心臓は治ることもないまま、私の胸の中で律儀に脈を打っている。小学5年生になった娘は、そんなに月や星に興味はないみたいだ。彼女のときめきはきっと、私とは全然違う色かたちをしているのだろう。
 叶うなら、その先何十年もずっと胸にたずさえて生きていくことになるときめきに出会ったんだよ、と、あの日のわたしに教えてあげたい。一方で、夜中に子どもがひとりで出かけていくなんて、親は生きた心地がしないから絶対にやめるように、と言いたい気持ちも、ある。

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