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それわかる、はもしかしてわかってないんじゃないだろうか

(藤原)


感情の老化

打ち合わせをする。会議をする。プレゼンをする。
いずれの場合も、50%は参加している人がわかる話。50%に言いたいことを書くべし。
という記述を本か何かで読んで、以降そのようにしている。

大学の講義で面白くない場合の大抵はわからない話が多すぎるし、
逆に、勉強しにいったのに知っている話ばかりするセミナーは退屈なのもこれが原因だと思っている。塩梅が大事。

以前に資料の作成方針で打ち合わせをした際に、こちらが説明をしていると、すごく同意されたのだけど、ちょっと相手の意見と違ったことを言った途端にやんわり否定された。
それ自体は悪くないのだけど、なぜ否定したのかを聞いても答えてくれないし、自分はこう思っているからどうでしょうか、と言っても響かない。
でも「わかる」と言われる。何がわかっているのだろうか。
結局、色々な言葉を利用して、自分の意見を通してもらったが、納得していなさそうな様子を見ていると、はて、これはどうするべきだったのだろうか。と悩む。
悩んでも答えは出ない(強いて言うなら、もっと説得力のある言葉を事前に用意しておく、なのだが、その時に持ち合わせていなければどうしようもない)

わかる、わかると言って、結局はわかっていない。むしろ、分かろうとしていないのではないだろうか。想定外のことであっても、自分の理解の範疇にあるものだけを受け取ろうとしていないだろうか。
すなわち、斬新なものや、意外性のあるものも、わかったふりを無意識にして、他人を傷つけたり、もっと感動すべきものに気づけていないのだろうか。
小学生の時ように朝顔の成長を喜んだり、
中学生の時のように、テニスの引退試合で負けて泣いたこと
高校生の時のように、年に1回しかない受験勉強に向けて不安な気持ちを抑えながら勉強したこと
当時抱いたような機微な感情や感傷的な思いを、今は「知っている」ということにしてそこまで素直に受け入れられないのではないだろうか。
感情の老化。すごく怖い。

Mー1が終わった

年末のビッグイベント。Mー1グランプリ。今年も例年以上に(個人的に)盛り上がった。
Mー1が終わると、1年も終わったなと感じるようになった。
もちろん1回戦の時から(youtubeで)追いかけていた。
3回戦が終わる頃には誰が準決勝に行くだろうか、ワクワクして予想もしたりして。
準決勝、今年は観に行けたけど仕事とかで行けなかったので来年は行きたい。
前日からソワソワしちゃって。
当日はもちろん敗者復活から全部観て。
録画しているので追っかけ再生のため、数時間は携帯をさわれない(ネタバレ防止)。
決勝が始まったらくじの順番を気にして。
興奮して夜遅くまでTwitterで感想観て。
翌日の特番も面白かった。来年も楽しみだ。
個別具体的なコンビの感想とか書き出すと止まらないから、いずれの機会で。

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