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極限芸術〜死刑囚の絵画〜

死刑囚たちが描いた絵画を集めた展覧会。実名と匿名合わせて37名によるおよそ300点の作品が一挙に展示された。同類の展覧会としては、たとえば「獄中画の世界 25人のアウトサイダーアート展」(Gallery TEN、2010年)などが先行しているが、これだけ大規模な展覧会はおそらく初めての試みではないか。

会場を一巡してたちまち理解できるのは、いずれの作品も「死刑囚」という不自由な境遇で描写された絵画であること。画材はほとんど色鉛筆やボールペンであり、支持体もノートや色紙などに限られている。いずれも絵画のサイズが決して大きくないことも、その不自由の象徴だろう。いつ訪れるともわからない死刑執行への不安や恐怖がそれぞれの絵画の根底にひそんでいることも、大きな共通点だ。

とはいえ、そのようにして表現された絵画は、じつに多種多様。死刑囚である自分を具象的に描く者がいれば、抽象的に描く者もいるし、あるいは漫画として表現する者さえいる。死刑制度への反対を訴えるポスターもあれば、死刑によって命を落とす自分を象徴的に描く者もいる。技術的な面でも、稚拙なものから職人的な完成度を備えているものまで、さまざまだ。

たとえば、林眞須美の《青空泥棒》。青い背景に黒い枠組みが描かれ、その中に赤い丸が一点置かれた、じつにシンプルな絵である。タイトルが暗示しているように、この赤い丸が青空から隔離された作者自身であることは、想像に難くない。青空の見えない三畳一間で365日を送る非人間的な日常。それを、直接的に描写したのであれば、とくに感慨も想像も生まれたなかったに違いない。情緒性を一切排除した抽象的な記号表現だからこそ、私たちはそれらの奥に向かって具体的に思いを馳せるのである。

あるいは、闇鏡の《100拝》は、ノートを日付によって分割し、それぞれの枠に野菜などのイラストを3つずつ記したもの。ネギ、大根、ナス、じゃがいも、豆腐などのイラストが細かく並んだ絵は、「死刑囚」という条件が連想させるシリアスなイメージとは裏腹に、何ともかわいらしい。これは、その日の食事で供された味噌汁の具材を記録したものだという。死刑囚による絵画表現には、考現学的な調査報告も含まれていたのだ。

本展で浮き彫りになっていたのは、単に死刑囚という特殊な境遇にある者が描いたアウトサイダーアートではない。それは、むしろ人が絵を描く原初的な動機である。これほど、切実に、純粋に、真正面から、絵を描くことができるアーティストが、現在どれだけいるだろうか。アートマーケットなどには目もくれず、アイロニーという逃げ道を拵えることもなく、絵画を理論武装するわけでもない。ただただ、絵を描きたかったのだ。いや、描かざるをえなかったのだ。そのあまりにも透明度の高い絵画は、私たちの不純な視線をあらわにする鏡のようでもあった。思わずたじろぐ私たちを、彼らはどんなふうに想像しているのだろうか。

極限芸術〜死刑囚の絵画〜

会期:20130420~20130623
会場:鞆の津ミュージアム
参加:風間博子、林真須美、宮前一郎、万年三太郎、小林竜司、若林一行、原正志、高橋和利、松田康敏、北村孝紘、岡下香、金川一ら、計37名

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