ランダム小噺「取扱説明書」

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 取扱説明書と言っても色々あって、じっくり読むものとほとんど読まないものに大別される。子供の頃、じっくり読んだ取扱説明書はゲームソフトの説明書だった。当時は攻略本の代わりになるのではないかと思うほど、細かい内容が書き込まれており、ゲームの時間が終わって遊べない時は説明書を穴が開くまで読んでいたように記憶している。キャラクターやステージの紹介など、今考えると説明書の段階でネタバレされる部分も多かったが、当時は全く気にならず(もともと私自身ネタバレを気にしないのもあるが)、まだ進んだことのないステージ紹介文を読んでは早くそこまでたどり着きたいとワクワクしたものだ。

 去年Switchを購入し、ソフトにポケモンの最新作を購入した。その時に驚いたのが取扱説明書の存在である。なんと説明書がなかったのだ。多少ゲームに関する紙は入っていたものの、説明書というよりもそれらは宣伝のチラシに近く、ゲームそのものについてヒントを与えてくれる存在ではなかった。

 だからと言って、ポケモンのゲームを始め最近のゲームが遊びにくいかと言うとそんなことはなく、むしろゲーム内で丁寧にチュートリアルを行ってくれることが多い。今のネット社会においては、ゲームを遊ぶための説明を紙にまとめる必要はないのだ。大変合理的だと思うが、あの頃の、ゲームが出来ないから説明書を読んで空想を膨らませる経験を今の子供達は体験しないのだと思うと少し寂しい。ネットでゲームについて調べて、遊んでいない間にネット情報やプレイ動画を見てワクワクするのだろうか。もはやそれはゲームを遊んでいる時とあまり変わりがないように思えるが…。

 取扱説明書といえばもう一つ小噺がある。Appleが元祖なのか分からないが、家電やパソコン機器の取扱説明書に多種類言語を載せるものが多くなった気がする。昔からあって私が子供の時に家電の説明書を読んでいなかっただけだろうか。最初にそういう説明書を見かけたのはAppleのiPod nanoを購入した時の頃だった(懐かしいなぁ!)。初めてこの他言語説明書を見た時は「これがグローバルというやつか!」とびっくりしたのだけど(当時中学生なのでアホな感想でも許してください)、それと同時に日本語ページの少なさに少しがっかりもした。この前紹介したOsmo Actionの説明書も例に漏れずたくさん言語がついているが、分厚い割に一言語あたりのページ数は5ページくらいに止まっている。

 こちらの方が毎回国別に説明書を束ねなくていいので効率がいいのだろうか。他の読めない言語のページをチラチラ見て世界に想いを馳せつつ、ここに載っていない地域の人々は説明書を読むのも一苦労なのだな、と不特定多数の異国の人々のことを考えてみた。自分は多少英語が読めるからいいものの、もし説明書の言語が全て読めなかったらかなり怠いことになっていたのだろうな。

 なので今夜も私は、他言語取扱説明書に日本語が載っていることに感謝して眠りにつくのである。

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