ランダム小噺「激痛」

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 あまり記憶に残るような激痛は受けていない。私のささやかな自慢は、生きてから今までで骨折をしたことがないことだ。多分この先も骨折するような危険なことはしないと思う。なので逆に骨が折れることに対する恐怖が半端ではない。そもそもあれ、折れるのかという気がする。骨折れるって野生動物だと死亡案件なのではないだろうか。アフリカの象とかは足を骨折するとその場で死ぬしかないと聞くし。野生ではないけど競馬の馬も確か骨折したら安楽死させるしかなかったはずだ。ちなみに野生の象が交尾する時は両者の足にかかる負担がかなり大きく、骨折の可能性も伴う命がけの行為だという。大部分の野生動物の交尾は命がけであるが、骨折の危険性のあるセックスなんて嫌すぎる。絶対したくない。

 話を戻そう。激痛、が今回のテーマである。先ほど言ったように骨折の経験がないので激痛案件は割りかし地味なものが多い。足の小指をぶつけるとか。あの時、毎回小指が折れたと錯覚してしまう。その割には数分経つと普通の感覚が戻ってくるのが謎である。この構造は勝手に人類のバグだと思っている。

 激痛とは異なるが、一番痛みで苦しめられたのは歯痛である。今現在も少し治療の必要があるが、一番歯の痛みがひどい時は食事することが出来なかった。虫歯で死ぬって、まさか歯が痛くて食べ物が食べられないで死ぬことを指すのか!と当時一人で絶望をしたのを覚えている。おかゆがあんなに頼もしく見えた時もなかった。これは今後の生活に関わる!と危機感を覚え急いで歯医者へ。治療してもらうと一瞬で痛みが消え、近代医学に感謝を捧げた。あの感動は初めて眼鏡をかけた時に匹敵、いやそれ以上かもしれない。もういっそのこと俺の全ての歯の神経を抜いてくれとさえ思った。残念ながら神経を抜くと痛みを感じない以上に歯を支える基盤がないのと同義なので全部の神経を抜くことは愚か、出来ることなら抜かずにいるのが一番だそうだ。まぁ本当に神経がいらない子ならば進化の過程で歯の神経は全部なくなってるだろうな…。

 歯の痛みが深刻だった頃、サメが羨ましかった。虫歯になったらその歯が抜けてまた生やしたらいいのだはないだろうか。なぜそれをしないんだろう。食事の度に歯磨きの必要性に駆られる人類はやはりどこか生命体として未完成なのではないかとすら思えてくる。

 あと激痛を感じた時はどんなのが残っているかなぁ。昔バーベキューで鶏肉を食べた時に生焼けだったので大変なことになったのだけど、あれはどちらかというと高熱と下痢が酷くて、激痛の類ではなかった。あれ以来鶏肉を自分で焼く時は必要以上に時間をかけて、かっちかちになるまで肉を焼く癖が身についてしまった。

 今後の人生も激痛に襲われることのないよう、平穏に過ごして行きたいものだ。

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