ハーバード見聞録(55)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。

今週は、前週紹介したロバート・ロス教授の論文『平和の地政学、21世紀の東アジア』の「要旨と若干の所見」に引き続き、「抄訳」を7回に分けて紹介する。



第1回 「まえがき」と「第1節 現在の東アジアにおける超大パワー(超大国)の構造」(1月30日)


まえがき
冷戦後、東アジアにおいては、地域的な緊張と超大国(米中)の軋轢の高まりの行方に注目が集まっている。学者達の中には、リベラル派・カント哲学派が主張する「三つの平和の源泉」――①自由民主主義、②経済の相互依存性、③多国間の国際機関の存在――が欧州に比べ欠如しているという理由で、東アジア地域の緊張は高まるだろうと予測する向きもある。現実主義者達は中国の台頭に伴う力関係の変化は、東アジア地域の新秩序を巡る大国の争いを招来すると主張する。親現実主義者達は(米国の一極だけから)多極化の出現、ひいては力の均衡に関する平和的な管理についての挑戦が行われると指摘する。

東アジアには強大国(訳者注:米中のことと思われる)の競争のみならず世界最大で最もダイナミックな経済が存在する。このように、経済と戦略的重要性が並存するという理由から、強大国(訳者注:米中を初めとする強大国)にとって東アジアにおける力の均衡は何よりも重要な課題である。とは言え、東アジアにおける強大国の競争は、必ずしも緊張の高まり、戦争及び危機により特徴付けられるものではない。本稿は、現実主義者と新現実主義者が指摘するように、東アジア地域に於ける様々な変化が当該地域の闘争の性格付けに影響することは認めるが、むしろそのことよりも「地勢こそが構造的な様々な影響を及ぼすことが出来る」、ということを強調するものである。

強大国の地位は、経済発展及び技術・教育のレベルを含む多くの要素が決定するものであるが、それ以前に、地勢こそが強大国たりうる要件を有するか否かを決定する基本要素である。即ち、地勢こそが、「どの国が強大国たりうるか」を決めることが出来る。地勢は、21世紀において、東アジアが二極構造になるか多極構造になるか、を決定する。地勢はバランス・オブ・パワーを形成する上で二つの作用を為す。第一に、地勢は国益に影響をもたらす。即ち、地勢は死活的に重要な国益を巡る争いに影響を与える。第二に、地勢は、強国の関係が攻勢的であるか防勢的であるかに影響を及ぼす。即ち、地勢は、安全保障上のジレンマから来る争いの激しさを決定する。地勢上及び構造上の誘因は互いに強めあう。しかし、地勢と極構造が対立する時は、地勢の(作用の)方が極構造に優る。

核兵器は最低限、全面戦争を抑止しただけではなく、国際政治を変えた。しかし、冷戦下においても、熱核戦争の影(恐れ)の中で、強大国は、同盟国の獲得、自国の影響を及ぼす範囲及び天然資源を巡って闘争を続けていることが明らかになった。更に、冷戦下においても、強大国は、危機への関与、武器開発競争、地域紛争への介入及び全面戦争開始の脅しを継続していることも明白になった。同様に、核兵器によって、地勢が国家の行動に影響を及ぼさなくなる事はないことも分かった。

本稿では、第二次世界大戦が終わろうとする時に、政治学者達が戦後のバランス・オブ・パワーと平和の状態ついて地勢の影響について理解しようとしたのと同じように、冷戦の直後においても、21世紀に於けるバランス・オブ・パワーについての地勢の影響を調べることは重要であることを強調するものである。

本稿の第1節においては、世界的に米国の一極化が広がる中で、現在の東アジアは二極化し、大陸地域(中国)と海洋地域(米国)に区分されていることを論じている。

第2節においては、「ロシアと日本が『極』となるためには地政学的な条件を満たしていないため、当該地域においては、強大国とはなり得ない」という理由から、米中の二極構造は安定していることを主張するものである。

第3節においては、米中両国は、相互に挑戦できる地勢的な利点を有しており、両国は強大なライバル国家として宿命付けられていることを論述している。

第4節においては、①東アジアにおけるバランスの傾向、②地勢により条件付けられた米中両国の国益、③安全保障上のジレンマを巡る地勢上の緩和効果、――という理由から、米中二極構造は安定的であり、比較的平和が保たれやすい、ということを説明している。

最後の二節においては、スプラトリー諸島、朝鮮半島及び台湾を巡る争いが東アジアの秩序に及ぼす影響並びに米国のプレゼンスの削減の可能性について考察した。

第1節 現在の東アジアにおける超大パワー(超大国)の構造

冷戦後、世界の構造は、アメリカの一極構造により特徴付けられる。ソ連が崩壊し、ロシアが国内の軍事・経済の混乱対処に専念せざるを得ないことと、軍事力の弱体化により、米国は世界唯一の超大国家である。しかし、米国の世界的優位性は米国が地域的に政治上の覇権を有している事を意味するものではない。地域に於けるパワー構造は、世界的パワー構造のパターンとは異なる。

超大国家と地域勢力国家の区分について分析すればそれは歴然としている。ウイリアム・フォックスが55年も前に述べているように、超大国家はその国の周辺地域(ホーム地域)外の地域においても伝統的に強大国家であり、一方、地域的な強大国家は強大国家としての地位を享受するが、その国益と影響の範囲は、戦力が衝突する一つの戦域においてのみ顕著である。

ケネス・ボールディングが「戦力(パワー)の傾度の減少」と説明したように、パワー(戦力)は本国から離隔すればする程を低下し、強大国家相互の力の間に均衡を作ることになる(訳者注:需要曲線(A国のパワー曲線)と供給曲線(B国のパワー曲線)の交点が出来るようなもの)。

このような要素(学説)が、世界的な一極構造下においても、地域的には二極構造或いは多極構造の力の均衡が出来る理屈を説明してくれる。この理論は、19世紀に、何故大英帝国が超大国家でありえたかを説明してくれる。即ち、大英帝国は、ヨーロッパにおいては、覇権を有していなかったが、同国はヨーロッパ以外の諸地域で強大国の地位を有しており、この事が同国を超大国家たらしめたのである。

この理論はまた、19世紀の英国が世界的には超大国家の地位を有しつつも、同時に、日本やロシアが英国の国益に挑戦する東アジアのようなヨーロッパ地域以外の多重構造地域において、何故安全保障のためにしのぎを削るのかを説明してくれる。 

中国は台頭するパワーではなく、既に確立された地域勢力であるという理由から、東アジアはすでに二極化構造になっている。米国は、地域的に覇権を有している訳ではないが、バランス・オブ・パワーという点において、中国と共にこの地域における強大国の地位を有している。

1970年初めから冷戦終了まで、東アジアには米国、ロシア及び中国による戦略的な三角構造が存在した。ソ連の崩壊により、米国だけの覇権ではなく、ソ連を差し引いた残りの米中二国により構成される二極構造が生まれた。まさしく、中国はソ連の崩壊により、東アジアにおける戦略上の受益者である。ソ連の影響下にあった第三国はいずれの国も、その空白を中国が埋めた。

朝鮮半島において中・ソが競い合った北朝鮮においてもこの例に漏れず、中国が優位を占めるようになった。ソ連のベトナムからの撤退に伴い、インドシナは、中国の影響下に入った。

冷戦後の東アジアの二極構造は、中国優位の東アジア大陸地域と米国優位の東アジア海洋地域とに二分された。北東アジアにおいては、北朝鮮が中国に陸接していることと、北朝鮮が戦略的・経済的に世界から孤立していることにより、中国の覇権が北朝鮮の経済及び安全保障にも及ぶようになった。

中ロ国境においては、中国は通常戦力面での優位を満足している。モスクワが、兵員に給与を支払い、兵器産業に資金を与え、軍事的インフラを維持する能力が無いため、ロシア軍の物的な面での能力が弱められ、士気が低下した。モスクワは、十分に資金が配当され訓練された中国軍と競争しつつ、同時に国内における小数民族の活動及び多数の小さな隣接国家を支配することは出来ない。

中国は、ロシアが新たな国境隣接国家として見なしているカザフスタン、キルギスタン及びタジキスタンに対しても同様の優位性を確保しており、この三国に於ける中国の経済的プレゼンスは更なる優位性を生み出している。

中国は、東南アジアの大陸部分も支配している。ビルマは、第二次世界大戦以降、事実上中国の保護国となっている。中国の東南アジアにおける影響力の拡大は1975年に米国が同地域から撤退したのに伴うものであり、タイはその際、米国との連帯関係を中国との連帯関係に切り換えた。北京政府は、従来のソ連とベトナムによるタイの安全保障に対する脅威と同じ程度の脅威をタイに及ぼす訳である。ソ連のベトナムからの撤退に伴い、ハノイはカンボジアに於ける中国の平和の要求を受け入れた。その後カンボジアは、中国との緊密な関係を構築し、北京はかって「ベトナムの傀儡政権」と呼んでいたカンボジアと協力することに満足した。

中国は、1991年までに東アジア大陸部分における優位性を確立した。唯一の例外は、韓国が米国と同盟関係を有していることである。しかし、以下述べるように、韓国についても、将来の情勢は不透明である。ワシントンは、ソウルの同盟国であり、韓国に軍事基地を保有しているが、そのことが韓国の戦略上の評価を左右するものである。ところで、1990年代半ばまでに、北京とソウルは緊密な戦略的な連携を確立した。中韓両国は、共に日本の軍事的潜在力に懸念を有している。更に言えば、ソウルは、米国が韓国に対するコミットメントを再検討する可能性を念頭に置きつつ、これを戦略的に補完する準備として、中国との戦略的な結びつきを構築することを追求している。これに加え、1997年には中国は韓国にとって第3位の輸出市場であり、且つ最大の海外投資対象国になった。

米国は東アジア周辺の海洋を支配している。米海軍は1975年、タイにおける基地を失い、1991年にはフィリピンの基地から撤退したが、これらの後退は絶対的・相対的に米海軍の戦力を弱めることにはならなかった。米国の東アジアの同盟諸国は貧しく、自国だけで海・空軍基地施設を維持・建設することが出来ないので、米国はこれらの国々に支援・協力するという形で、東アジアにいくつかの基地を確保することが出来た。米国にとって、基地施設の負担を担うことは、これら海外の基地を保有することにつながるのであった。今では、優れた海・空軍基地・施設が東アジアのいたるところに存在しており、米海軍は恒久的な基地ではなく、必用の際に使用できる基地・施設に対するアクセスに関心を持っている。
   
ワシントンは、シンガポール、マレーシア、インドネシア及びブルネイとの間に、海軍施設の使用に関する合意を取り付けている。(中国を含む)他のいかなる国も、米国が有するこれらの国々の海軍施設に対するアクセスは持っておらず、空母及び当該地域をカバーする地上配備の航空機も保有していないので、米海軍は中東と東アジアを結ぶ重要なシーレーンを含む南西アジア海洋域を支配している。

北東アジアに於いては、地上配備の航空機の行動半径では重要な海洋域はカバーできない。かかる理由から、北東アジアは南西アジアよりも一層面倒である(解決が難しい)。それにもかかわらず、在日米軍基地と優勢な米空軍の能力により北東アジアの海洋域を米国が支配することが可能になっている。

北東アジアの海洋地域の外周部(即ち中国大陸)に於ける中国の努力にもかかわらず、中国の航空機は中国本土を含むいかなる戦域においても米軍機に太刀打ちできない。米国が21世紀に向けて、更なる新鋭機の開発に努めているのに対し、北京は21世紀初頭の空軍の中核戦力としてロシアの1970年代のSu-27に頼るように見える。中国は、東シナ海及び日本海における米航空機との空中戦等では脆弱である。かくして、米国は、北東アジアにおいて航空優勢、延いては海上に於ける優位を獲得することになる。


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