ハーバード見聞録(66)

「ハーバード見聞録」のいわれ
「ハーバード見聞録」は自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。
「マハンの海軍戦略」についての論考を9回に分けて紹介する。


5 マハンの海軍戦略――白頭鷲の巣立ち後の雄飛を指南したマハン提督とその戦略理論(4月16日)

●マハン提督の人物像
『マハン海軍戦略』(中央公論社)の監修者の戸髙一成氏は同書の「解説」の中でマハンの人となりの一端を次のように書いている。

1840年にニューヨーク州ウエストポイントで生まれたマハンは、12歳で進学校の寄宿舎に入り、1854年にコロンビア大学に入学した。マハンの深い信仰心はその青年期の生活によっている。コロンビア大学を2年で中退したマハンは、アナポリス海軍兵学校に入学、1859年に卒業した。成績は良かったが、元来海軍士官というよりは昔ながらの帆前船にあこがれての転進だったようで、急速に蒸気管推進軍艦に変わってゆく海軍には、一種の嫌悪感を持っていたようである。このために、海軍士官としては海上勤務ではあまり精励とはいいがたかったようで、南北戦争が終わった頃からは、多くの経歴を陸上施設で過ごすことになり、結果として、海軍戦史の研究に時間を当てるようになった。

また、元統合幕僚会議議長の故栗栖弘臣氏が著された『安全保障概論』(BBA社)には次のような記述がある。

マハンはウエストポイントで、陸軍士官学校教官のデニス・ハート・マハンの子供として生まれ、コロンビア大学に2年学んだ後アナポリス海軍兵学校の2学年に編入、1859年に二番で卒業したが、性来孤高の人であった。父親はジョミニ(スイス出身の軍人、軍事研究家)の研究家であって、息子にジョミニの著書を与えており、これがマハンの兵学研究の基礎となった。

歴史には、偶然と思われることが多い。マハンの人生にもそれが当てはまる。

第一の偶然。マハンの父親はウエストポイントの米陸軍士官学校教授であった。本来であれば、マハンはアナポリス海軍兵学校ではなくウエストポイント陸軍士官学校に入校し陸軍士官になるほうが自然ではなかったのか。そうであったならば、マハンは海軍戦略ではなく陸軍戦略の創始者になっていたはずだ。

第二の偶然。マハンは、アナポリス海軍兵学校卒業成績が優秀(二番の卒業成績)であり、本来順当なら、海上勤務で精励して出世し米海軍の中枢部署で海軍大将に栄進するなどして、日の当たらない米海軍大学校の戦史・戦略教官などになることはなかった。しかし、マハンは性来「孤高の人」で、多くの兵士を督励・指揮する機会の多い軍人・将校タイプではなかったようで、少年時代からの憧れの帆船から急速に蒸気管推進軍艦に変わってゆく海軍には、一種の嫌悪感を持ち、海上勤務ではあまり精励しなかった。それゆえマハンはエリートコースから脱落し「陸上勤務」となり、結果として、海軍戦史の研究に時間を当て得るようになった。そのことが、マハンが海軍戦略家としての素養を高める上で大きく作用し、「海軍戦略家マハン」の誕生に繋がった訳だ。

第三の偶然。それは、彼が2年間コロンビア大学で学び、中途退学して海軍兵学校に転進したことだ。そのまま、コロンビア大学を卒業していたら、或いは神学者か単に歴史学者にでもなっていたかもしれない。コロンビア大学で何を専攻したのかは分からないが、人文系とりわけ歴史への興味はコロンビア大学で学んだことによるものではないだろうか。そんな彼が、その後アナポリス海軍兵官学校を経て海軍士官となったことで、単なる歴史に留まらず、「陸・海戦史」に興味を持つようになったのではなかろうか。このように、マハンがコロンビア大学とアナポリス海軍兵学校の両校で学んだことが海軍戦略家マハンを出現せしめたものだと思う。

第四の偶然。父親がジョミニの研究家で、(何時の時期かは定かではないが)息子にジョミニの著書「戦争概論」――マハン誕生の2年前に出版された――を与えたこと。これがマハンの兵学研究の基礎となった。マハンの著書には、ジョミニの「戦争概論」の引用が随所に出てくる。私は、陸上自衛隊で陸上戦闘についての戦術を学んだが、陸上自衛隊の「戦術理論」には、ジョミニが大きな影響を与えている。私の「陸上自衛隊戦術理論」の理解を尺度にして申し上げるならば、「マハン海軍戦略」は、ナポレオンにより実践された欧州の大陸上における様々な陸上戦闘史から帰納法的に抽出した「ジョミニの(陸上)戦術理論」を広大無辺の広がりを持つ海洋上に適用(応用)し、焼き直したものではないかという気さえする。

●マハンの海軍戦略理論の要点
以下のマハンの海軍戦略理論の要点は、故栗栖弘臣元統合幕僚会議議長が著された『安全保障概論』(BBA社)から抜粋したものである。説明の便宜上「第○条:」と表示しておいたが、これはマハンの原文とは何の関係もない。

第一条: 歴史家は一般に海に対して特別の興味も知識もないため、海洋力が大きな諸問題に及ぼす深遠かつ決定的な影響を看過してきた。古来の戦争は海を制するか否かにより、その実施と結果が大いに左右された。ローマの海上支配がハンニバルをして長途の危険な進軍を余儀なくさせ、英海軍の英仏海峡支配がナポレオンに英国上陸を断念させた。

第二条: 帆船時代においても蒸気船時代においても海軍の正しい任務、真の目標、艦隊を集中すべき地点、石炭や補給品の集積所の位置、集積所と本国の交通路確保、通商破壊戦の価値と効率的方法、追跡の重要性等に変わりはない。

第三条: 海軍戦略は、戦時に於けると同様へ平時においても必要である点で陸軍戦略とは異なる。海軍戦略は戦争によってはほとんど獲得できないようなある国の重要な地点を、購入によるか条約によって占有することにより、最も決定的な勝利を平時に入手することもある。また戦争によって勝利を得た国は、平時において富を得るために海洋を利用し、戦時においてはその海軍の大きさ、海洋に依存して生活する国民の数、地球上に散在する幾多の作戦基地により海洋を支配した国だ。

第四条: 貿易に依存する海洋に面した国は、海運業を自国の船で行う願望を持つ。その船舶の保護は、戦時武装船で実施しなければならず、そこに海軍の必要性が生じ、かつ世界の遠隔地に適当な海軍基地を持つ必要がある。但し海洋力とは海洋上における軍事力に限らず、平和な通商や海運を含むものである。

第五条: 諸国家の海洋力に及ぼす主要な条件。

第一に地理的位置である。陸の国境防衛に煩わされることなく、兵力の集中が容易であり、世界交通の重要路の一つを管制でき、仮想敵に対する良好な出撃基地があるなどである。

第二は、国の自然構造である。長い海岸線、多数の水深が深い港湾、航行可能の河口、沿岸地方のみならず内陸の発展、船舶建造資材に豊富、海に取り囲まれていたり、国が海によって幾つかに分かれている状態等である。

第三は領土の広さである。海洋力の発展に寄与するのは、国の総面積ではなく海岸線の長さや港湾の特質である。海岸線の長さは人口の多寡に見合う必要がある。一つの国は一個の要塞のようなものであって、その守備隊は要塞の外郭に比例すべきである。

第四は人口の数である。人口の総計のみならず、少なくとも戦場で容易に使用できる者や、海軍用資材の製造に役に立つ者を計算する。前者は乗組員の予備兵力であり、後者は海軍資器材の製造要員である。

第五は国民の性質が挙げられる。エネルギーや資源の不足を痛感して、交易性のある物品の生産を含む貿易への商業的性向、海上雄飛の冒険的気質、植民地獲得の要求等である。

第六は政府の性質である。国民の精神を十分に吸収し、一般的性質を意識している政府が、制度的に法制的にかつ指導的に海洋発展を刺激することである。

第六条: 海洋戦略の特徴は、作戦地域が陸上よりも遥かに広範に跨り、全部が平坦な海面であるが風、潮流などの影響が大きく、しかも遠く離れた戦略要点を容易に連接できるのみならず、大機動力により兵力の集散離合が迅速であって、また戦略要点の奪取や港湾の封鎖など柔軟に運用できる。反面陸上と違って恒常的な制海は困難である。海軍の特性は機動力にあるから専守防御は不可能である。

第七条: 海洋国家としての米国の現状は、海洋力の第一段階たる国内産業補発展には意を用いるが、海運業及びこれを保護する海軍力と海外基地に欠けている。

第八条: 海軍戦略の原則に関する主要事項は、①集中、②中央線又は中央位置、③内側行動線又は内線、④交通線であるが、②は①の手段であり、③は②に付随する利益である。有限の兵力を持って戦勝を確保する道は、ただ敵の一部(決勝点)に対して優越を占め、他の各部分においては主攻撃成功まで敵を抑制する手段によって攻撃力を集中するにあり、これが戦術及び戦略の根本原則である。平たく言うと「最大の兵力を持って最初に戦場に到着する」ことである。中央位置とは、ナポレオンが「戦争は位置の事務である」と証したような位置の一要素に過ぎず、両側に優勢な敵が現れると中央位置はほとんど無用となるごとく、位置と力との和が位置なき力に対して優越するという意味である。

第九条: 海上作戦において真に勝敗を決する唯一の決定的要素は戦う艦隊である。艦隊の最大攻撃力は個艦の問題ではなく艦隊としての力である。従って戦闘艦隊は決して分離してはならない(マハンは米海軍艦隊を太平洋と大西洋に分離して配備することに絶対反対という立場であった)。

第十条: 歴史を見るに、例え一箇所でも大陸と国境を有する国(A)は、仮に人口も資源も少ない島国(B)が競争相手国であれば、海軍の建設競争では(AはBに)勝てないという決定的事実を歴史は示しえる。
(注:「第十条」については栗栖将軍の著書には無いが、筆者が別の資料から採補した)

上述のマハンの海軍戦略理論を最も簡潔に要約すれば、「海洋の支配するものが世界を支配する」ということになる。ちなみに、これに対抗する戦略理論がマッキンダーの理論である。マッキンダーの理論は、マハンとは真逆で、「大陸(ユーラシア大陸)の支配が世界支配をもたらす」という考え方である。この考え方を表すマッキンダーの有名な言葉として、「欧州を支配するものが心臓部(ハートランド)を制し、心臓部を支配するものが世界島(ユーラシア大陸)を制し、世界島を支配するものが世界を制する」――がある。

海洋国家米国と旧ソ連(大陸国家)と世界の覇権をめぐってしのぎを削ったが、ついに米国に軍配が上がった。これは、マハンの理論がマッキンダーの理論よりも正しかったことの証明ではないだろうか


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?