プーチンの歴史(2)ドミトリー・メドべージェフ (1)

 メドベージェフの人生は、プーチンによって支配されていると言っても過言ではありません。

生まれ

 1965年9月14日、ソビエト連邦レニングラードで生まれました。父はレニングラード国立工科大学で科学エンジニアを教え、母は減る全国立教育大学でロシア語の教えていました。幼い頃より知的好奇心が強く、小学3年生になると「ソビエト小百科事典」全10巻を読んでいました。

 1982年にレニングラード国立大学で法学を学びます。卒業後も大学で研究と講義を行い、「厳しいが厳しくない」と生徒からも人気のある教師で、100万部以上売れたというわれる民法教科書の共同執筆も行いました。

プーチンとの出会い

 1990年にレニングラード市議会の議長に返り咲いたアナトリー・ソブチャク(Анатолий Александрович Собчак)に採用されます。その後、ソブチャクの教え子だったプーチンも顧問となっています。ソブチャクの市長当選後にメドベージェフは外務委員会の顧問となります。委員長はプーチンでした。

 1999年11月、プーチンはサンクトペテルブルク出身者(サンクト派)を積極的に要職に登用し始め、メドベージェフもロシア連邦政府官房次長に任命されます。12月31日にプーチンが大統領に就任すると、大統領府の副長官に任命され、プーチン大統領に最も近い政治家の一人となります。

ガスプロム(Газпром)

 2000年にプーチンは、メドベージェフを大統領府第一副長官に昇格させ、同時にロシアの重要企業におけるロシア政府の支配力を高めるため、ガスプロム社の取締役会会長にも任命します。ガスプロムは、国内の天然ガス産業を独占し、ロシア最大の売上高を誇る半国有の多国籍企業です。また、天然ガスにおいては世界最大の企業です。

 ガスプロムについては、エリツィンが大統領だった1992年11月にロシア連邦内閣決定により株式会社となり、12月に当時の会長だったヴィクトル・チェルノムルディンを首相に任命しました。以降、ガスプロムの取締役は半数以上がロシア連邦政府から派遣されており、同社への政治的影響力は増大しています。

 ロシア連邦エネルギー副大臣だったアレクセイ・ミレル(Алексей Борисович Миллер)が2001年に取締役会会長になり、メドベージェフは副会長となります。ミレルも、サンクトペテルブルク出身で、1991年から1996年にプーチンが委員会長を務める、サンクトペテルブルク市役所対外関係委員会の副議長に従事しています。ミレルも、プーチンに非常に近い側近として米国の制裁対象「クレムリンリスト」に含まれています。

 メドベージェフは2002年6月から大統領に就任する2008年5月までガスプロムの取締役会会長を努め、ミレルは2002年から取締役会副会長となり、現在は取締役会副会長兼代表取締役社長(CEO)です。ガスプロムは、2022年に国際市場から上場廃止され、経営は大幅に悪化し続けています。


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