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夜のランニング迷子と心優しき蕎麦屋さん


夏本番を前にしたこの時期、毎年、ふと思い出すことがある。


数年前になるが、時々仕事終わりの夜にランニングしていた私は、ある日、迷子になってしまったことがある。


私のゆるいランニング

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運動不足解消のためになんとなく始めて、気が向いた時に気が向いた距離だけ走るという、ごくゆるいランニング


利用していたのは自宅近所の公園。都心の住宅街の中にあっても、わりと大きな公園だった。

四季によって表情を変える木々が公園を囲み、敷地の中央には400メートルほどのトラックがあった。

トラックの周りにはきちんと手入れされた芝生が敷かれ、子供向けのアスレチック遊具や大人向けの筋トレ器具まで設置されていた。


自然豊かな公園は走っていて気持ちがよいので気に入っていた。

また夜の9時台であっても、明るいライトに照らされていて、ウォーキングやランニングする人、敷地の外れでスケボーする人、楽器を演奏する人などひと気も多く、女性ひとりでも安心して利用できた。


私は公園内のトラックをぐるぐると反時計回りに何周か走り続け、短いときは20分、気分が乗れば40分くらいがんばったりという感じで、仕事終わりの夜に時々ランニングしていた。



ランニング迷子

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住んでいたマンションの更新の時期が来て、ちょっと別のところにでも行ってみようかと思い立ち、引っ越しをすることにした。


引っ越した後もランニングは続けていたが、近くに手頃な公園がなかったので近所を走っていたが、それもなんだかしっくりこない。

マップで調べてみると、少し離れているが大きな運動公園があり、次のランニングはそこに行くことに決めた。


そしてその日、新たな運動公園へのルートを頭に入れて、いざ出発──


しかし予定では10分くらいで着くはずなのに、20分以上経ってもなかなか着かない


さすがにおかしい気がしてくるが、Uターンしても戻ろうにも、住宅街をあっちこっち進んでいるうちに、方角もわからなくなってしまった。

引っ越したばかりの全然見慣れない風景で、いま自分がどの辺りにいるのかも検討がつかない。

スマホを持っていればよかったのだが、ランニング時は邪魔になるのでいつも持っていなかった。


気づけば、時刻は夜の10時過ぎ。


引っ越す前の地域では、夜でも街頭が明るく人通りも多かったのだが、走っている地域の住宅街でそれまで連れ違った人は、たった2、3人だった。

そのわずかな通行人に声をかけて、情けない話だがここはいまどこなのか教えてもらおうと思いながら走っていたが、なかなか勇気が出ない。


大通りではないので街頭も薄暗くなる一方で、コンビニもお店も何もなく、

怖いな、どうしよう……。

と若干パニックに陥りかけていた。


その日は平日。明日も仕事があった。


このまま家に帰れなかったら、無断欠勤になるんだろうか……。
心配して電話がかかってくるだろうか……。
あ、でもスマホは家に置いてきているから出られないな……。


そんなことを考えながら、心細さはピークだった。



心優しき蕎麦屋さん

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薄暗い住宅街の中、ふと何かのお店らしき明かりが見えた。

一度通り過ぎたものの、ここしかない!と決めて、お店の前に立つ。


看板から、お蕎麦屋さんらしいとわかった。

暖簾は下げられ閉店した様子だったが、店内の明かりがついていたので、誰かいるはずだと思った。


見ると、お店の右手側、裏口の戸が開いて明かりが漏れていた。

そっと中を覗き込むと、話し声が聞こえた。


「あの、すみません……」

私は恐る恐る声をかける。


中には、店主らしき年配の男性と奥さんらしき女性の方がいらっしゃって、とてもびっくりされていた。


私は謝りながら、事情を説明し、ここがどこか教えて欲しいと頼んだ。


すると、お二人は使い込んだ古い地図を取り出してくれた。

ご主人は地図を指さしながら、

「ここがお店で、あなたの家はこの辺りじゃないか? こう行ってこう行けば戻れるよ」

優しく丁寧に教えてくださった。


教えてくださったルートを忘れないように復唱した私は、心の底からお礼を伝えて、店を後にした。

再び迷わないか少しだけ不安はあったが、ひとまず行くべき方角はわかったのでほっとしていた。


急ぎ足で走り出してわずか、後ろからバイクの音が聞こえてきた。

振り返ると、先ほどの蕎麦屋のご主人だった。


ご主人は、

「後ろついてきな」

と言って、ゆっくりとバイクで私を追い越した。


バイクはお蕎麦の配達用らしく、後ろの荷台には料理を持ち運ぶ際の箱である「おかもち」を取り付ける器具が見えた。

その器具がバイクの振動で左右に揺れるのを見ながら、私は見失わないように走って追いかけた。


さっきまで心細かった風景は、ずっとあたかいものに見えた。


そして日付が変わる前に、私は無事に家に戻れたのである。


ご主人は手を振って帰っていった。



方向オンチではない……

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迷子から数日後、私は菓子折りを持って、あのお蕎麦屋さんを訪ねた。

そして改めて、助けてくださったお礼を伝えさせていただいた。


夜遅い時間帯、突然現れたランニング姿の変な女に、あたかい手を差し伸べて親切にしてくださったお蕎麦屋さんには、本当に感謝している


毎年この夏の時期になると、ふとこのことを思い出す。



そして私は方向オンチではないとずっと言い張っていたが、この迷子事件以来、方向オンチであると認めることにしたのだった。




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