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アウトリーチの可能性と必要性についての思いつきメモ

アウトリーチ活動の一環として本を書いたりYoutubeに出たりしていたら、そこから私にアクセスしてくださる方々が増えてきた。メールやウェブサイトの投稿フォーム、マシュマロなどメッセージを受け取る媒体はさまざまだが、その内容を読むと「こんな領域の人も関心を持つんだ」と驚くことが多い。それも、「言語に興味があります!」というコメントだけではなく、「自分のやっている仕事にこういうふうに活かせそうなので…」とか、「今立ち上げようとしているプロジェクトと関連して…」とか、全く異なる研究分野の方から「言語学の知見を取り入れてこういう研究をしたいのですが…」という、私が想像もしていなかった他分野への知識の応用という内容が結構あって、そんな応用の仕方があるのかと新たな視点に感心することが多くある。相談内容をあまり書くわけにいかないので、もしかしてこれだけ見ると「それってなにか怪しいタイプのアレ?」と思ってしまうかもしれないが、実際はどれも話を聞くと納得のいくものだった。

言語を対象とした研究をしていると、その応用分野としては「言語の学習・教育」が一番わかりやすい。というより、ちょっと考えたくらいではそれくらいしか浮かばない人が(専門の内外関係なく)多いだろうと思う。専門外の人に言語学をやっていますと自己紹介すると「何語を喋れるんですか?」とか尋ねられるというのは言語学者あるあるネタの代表格だし、分野内を見ても、自身の研究がある程度落ち着いたところで英語教育に言及し始める言語学者は結構いる。第二言語を対象としていると尚更、その知見を役立たせようとするとその行き着く先は言語教育ばかりだ。第二言語習得研究をやりたいといって修士に入ってくる学生の大部分が指導法研究にしか興味を持っていないと嘆く先生の話も本当によく耳にする(なぜ「嘆く」のかというと、この手の研究はそれほど簡単でない上に「最強の指導法を知りてェ…」という達成され得ない目標に結びつきがちだからだ)。

私にコンタクトをとってくださる方々は「相談」という形にとどまることが多いが、いつか自分の研究が新しい視点で活用され得るというケースを示すことができたらいいなと漠然と思っている。とはいえ、私はすぐに応用が効くとか、目に見えて明らかに役立つと思われる研究(のみ|こそ)が大切という考えではないので、まず第一に自分のできる基礎的な研究を日々コツコツと急がず休まずやっていく。

その中で自分の研究成果を分野外の多くの人に理解してもらう、少なくともそういった努力をすることは非常に大切だと、こういった相談をもらうたびに認識する(付け加えなければならないのは、「相談を受ける」といっても、相手も自分の分野で専門的(研究・臨床さまざまな環境で)知識を持った人たちだ)。自分の研究がどう役に立つかというアイデアは、得てして自分一人で自分の分野内の知識から捻り出してもたかが知れているのかもしれない。基礎研究の成果が実際にどのように役立つのかというのはしばしば、時には想像もつかないような別の知識・技能と結びついたときに明らかになるものだ。したがってアウトリーチは「もう充分だからこれ以上やらなくていいだろう」と研究者が自分から判断して切り上げる性質のものではないのだと思う。

私は所属が理工学部なので、同僚の先生方が自身の研究を企業などに向けて発信し、産学連携を積極的に受け入れるということをよくやっているのはよく目にしていた。最初は、まー理工学部はそういうこともできるんだねー、というふうにしか思っていなかったが、専門知が集まると新たな知見が生まれるというのは文理関係なく起こるものなのだろう。

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