【創作】副反応にはご用心

※この話はフィクションです。また、現実に存在する特定の思想・団体・個人を批判するものではありません。

「では、今から15分…13時10分になったらこの用紙を持って出口のスタッフまでお声がけください。それまではあちらの席で経過観察になります」
新型ウイルスのワクチン接種。結局のところ意味あるのかないのかわかんない儀式を終えたヒロトは、時間が記入された用紙を受け取ると近くの椅子へと腰を下ろした。大学の建物の一室を貸し切って作られた接種会場には、本来の収容人数よりもはるかに人がいなかった。

ほどよく間隔を開けて並べられた椅子の配置にもずいぶん見慣れたものだ。以前何かの機会にパンデミック以前の講義の写真を見たことがあったが、あまりにも密すぎて驚いてしまった。それだけ今のこのゆとりを持った距離感が当たり前になってしまっていたのだろう。

スマホでtwitterを開きつつ、時折手元の用紙に目を落とす。
副反応。ワクチンで抗体を得るその過程で、熱が出たり腕が痛んだりするとかなんとか。ヒロトももれなく過去の接種でその副反応に苦しんだものだが、何の気兼ねも無く一日中寝れるボーナスタイムとも思えばまあどうということはない。
あくび一つ、手慣れたフリック入力でツイートする。

『ワクチン接種完了!明日は熱出るだろうけどその分バイト休めるぞい』

ああ、なんてゆるやかな日常。
感染症は収まらないけれど、今期の単位は早くもやばそうだけど。
世界は終わりはしないし、自分もそんな簡単に死にはしない、のんべんだらりとした時間が流れていた。

だが、異変が訪れたのは経過観察の15分が終了するところだった。

スマホ画面の右上の時間表示が『13:10』になったのを確認して、ゆっくりと立ち上がる。
今日はこの後特に予定を入れていない。最近給料日だったおかげで懐が温かいし、帰りにどこかで昼食としゃれ込むかなぁ、と。

その瞬間。
「——っ!⁉」
全身に電流が走った。
血管の中を無数のカッターの刃が動き回って、身体の内からズタズタにされる感覚。脳が知覚できる量を超える痛みが、何の前触れもなく襲ってきた。
「っぐああ”あ”…!」
マスク越しでもはっきりと周囲に聞こえるほどの苦悶の声を上げ、思わずその場にうずくまる。肌寒いのは、部屋の空調のせいじゃなくて、明らかに身体の不調だった。現実世界と少しずつ切り離されていくような気がした。
「どうされました!?」
即座に近くにいたスタッフの人が駆け寄る。はっきりとは聞こえないが遠くで誰かが医療関係者を呼ぶ声がする。ヒロトと同じように接種しにきた他の人が、何事かと好奇の目で見ている。

「いえ、ちょっと躓いただけです、すみません…」
針の穴を通すがごとく必死で精神を保ちながら、ヒロトは言葉を返す。
今にもブラックアウト寸前な状態で彼が思っていたのは、「面倒なことにはしたくない」だった。
このまま別室に連れていかれたり、あるいは病院に運ばれようものならあまりにも厄介だ。最悪実家に住む親に連絡が行くよりかは、さっさと自室にこもって事なき事を得たい。
「大丈夫ですか?」
「いやいや、あっ、あの本当に体調に変なところはないんで、はい」
全力を振り絞って何事もなかったかのように立ち上がり、スタッフに会釈してそそくさと出ようとしたが―—

「いえ、やはりこちらで一度安静にしてください」
明らかに先ほどよりも強い語気で、しかも腕を掴まれた。
「えっ」
「この方を」
部屋の各所で待機していたスタッフ数名が険しい顔で集まってくる。俺は狙撃された大統領かなんかかと思うぐらい、あっという間に囲まれ両腕を取られる。
「すみません、ではこちらへ」
半ば足を床に引きずるような形で連行される。
おかしい。あまりにも手荒すぎやしないだろうか。
確信はない。でもやばいやばいやばい…と本能が警告している。ブザーが鳴りひびく。

だから、反射的に動いてしまった。
「—は、なせ!」
ただ、掴まれた腕を振り回しただけ。
それでも、次の結果は予想できなかった。
「ぐわぁっ!」
数人の唸りが聞こえ、自分の周囲が一気に開ける。まるで風船が破裂したかのように、ヒロトを囲っていたスタッフが壁まで弾かれた。
「…は?」
思わず自分の手を見る。
成人男性とはいえ人間数体を一度に投げ飛ばせる力があるはずがない。なんなんだこれ、なにがなんだか。
あまりにも現実離れした体験をして一瞬動揺するも、頭を振ってすぐに理性を戻す。取り敢えず逃げなければならないのだ。

すると途端に向こうのこちらを見る目が明らかに変わった。
憎悪というか嫌悪というか、家の中で害虫を見つけた時のそれだ。
フロントに、開けっ放しの自動ドアから初夏の風が入り込む。
セミは流石にまだ鳴いていないか。
ヒロトは自分の心臓が収まるのを待ち、出口に向かって軸足に力を入れようとしたその時。

室内に、喧騒が舞い込んだ。
「!?」
ガラスの割れる音、悲鳴、机がひっくり返る音、そして空間を震わすようなエンジンの轟音と共にヒロトとスタッフたちの間に黒いバイクが滑り込んでくる。紺色のカーペットにさらに濃い色のタイヤの跡がつき、ガソリンの匂いで辺りが満たされる。一昔前の不良ドラマのようなワンシーンに思わずその場にいた全員が動きを止めた。
その中でバイクに乗っていた人間がヘルメットのバイザーを取り、ヒロトの方へ向き直った。
「乗れ!死にたくないなら!」

その言葉には、乗った。
ヒロトは頷くと無我夢中でバイクの後ろへと跨った。そういや二人乗りの条件ってなんかあったっけと教習所の教本を思い出す間もなく、バイクは再びけたたましい音を鳴らし建物を飛び出した。


「すまなかったね。仮にも君の大学で暴れてしまって」
バイクで運ばれること十数分。街の外れに来たヒロトは廃墟の地下に通された。段々日光が遮られるのを感じながら、階段を下りていく。
「ここはライブハウスだったんだけどね。緊急事態宣言のせいで経営が立ち行かなかくなって潰れちゃったんだ」
そういいながらバイクの男は重たそうに扉を開ける。すると穏やかな音楽とアルコールの匂いが急に流れてきた。
「みんな、また一人”解放”してきたよ」
部屋に入りながら男がそう言うと、あちこちでわっと歓声がわきあがる。
キャパ150名といったところだろうか。大学の大教室よりかは余裕で狭いスペースに20~40代くらいの男女数十名が各所に群がっていた。
「カイト様、どこからです?」
そのうちの一人が男、カイトに尋ねる。ヒロトと同い年ぐらいの女性だった。もしかしたら大学ですれ違っているかもしれない。
「W大学の接種会場。ずっと見張ってたら連れていかれそうな彼を見つけた——あぁ、君は疲れているだろう。そこのソファで休んでね」
言われずとも、ヒロトは手近な黒ソファに倒れ込む。想像していたよりふわふわしていなくて思わず息が詰まる。
「で、皆さんは誰ですか?」
ダンゴムシのようにのそりと仰向けになりながら質問する。
するとよくぞ聞いてくれたと言わんばかりにカイトは大仰に両手を広げる。イラつくしぐさだ、起業家にでもなりたいのだろうか。

「僕らは『突然変異種』だよ。君と同じようにね」
「同じ?」
「稀にいるんだよ。ワクチンが強烈に身体に作用して、副反応の度が過ぎてまるで超人的な力をいる人が」
容量の少ない頭で必死にカイトの言葉を噛み砕く。しばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた。
「さっきの俺が周りの人を吹っ飛ばしたのは…」
「おそらく、副反応だね」
そんな馬鹿な。
というか副反応ってそんな早くに出るものなのか?あまりにもインスタントすぎやしないか?
それでもそれを嘘だと切り捨てることはできなかった。先ほどの経験が、力を入れずして突き飛ばした経験が鮮明に残っていたからだ。

それにその話には少し心当たりもある。
「じゃああの、ワクチンを打ったら5Gに接続したとか磁力発生したとかはあながち嘘じゃないということですか?」
「そゆこと」
カイトは満足気に首肯すると、指をパチンと鳴らす。するとカイトの後ろから男女一名ずつ出てきた。女性の方はさきほどカイトに話しかけていた若い人で、男性の方は無精ひげを伸ばした30代後半のやつれたミュージシャンのようだった。
「例えばこのコウジは炎が出せるんだ。ほら」
促されるがままコウジは手のひらを掲げる。一拍置いて、虚空に赤々とした火炎が天井スレスレまで立ち上った。また歓声が上がる。全員真昼間からお酒飲んでるんじゃないだろうか。そんなテンションだ。
「で、ミハルちゃんは空を飛べるんだ」
今度はミハルと呼ばれた女がふわりと空中へ飛び立つ。ワイヤーで引っ張られるかのように、重力を無視して空に漂った。また歓声が上がる。今度は先ほどよりも大きく。
まだ倦怠感が抜けていないからなのかもしれないが、こんな不可思議現象を目の前にしてもヒロトはいまいち無反応だった。

「単刀直入に言おう。君も仲間にならないかい?」
「…なって何するんです?」
「国家の転覆だよ」
何気なく言われたその言葉にヒロトは思わず目を見開く。
普通ならアメコミ原作の映画みたいだなと一笑に付すところなのだが、実際にこの集団を見ていると本当にやりかねないと思うようになったのだ。
理屈はわからないけど、ともかくこいつらには”力”がある。
理不尽な暴力になりえる、”力”が。

「君も思ったことはないかい?この世界が歪んでいるって」
「マクドナルドのメニューが値上がりしたとか?」
ヒロトの冗談をカイトは鼻で笑った。
「新型ウイルスが世に広まって三年目。一向に収まる気配はなく、経済も人の暮らしも圧迫され続けている。誰もが思ってる。これは政府のせいだ。国が全て悪いんだ…と」
言わんとすることはわかる。
未曽有の事態とはいえ、あまりにも後手後手な対応。共存か収束待ちかどっちつかずな判断。謎のキャンペーン。開催の基準がはっきりしないイベント諸々。この数年であらゆるものを奪われた、その原因は政府にあるのではないか。
「パンデミック以前から、ずっとずっと国は歪んでいた。僕たちの力があればきっと今の政府を正しい姿にできる。リセットできる。そう思わないかい?」
最も単純に正義を示す方法とは暴力である。
極端な話、誰も寄せ付けない腕力を持つ巨人の前ではどんな為政者もひれ伏すだろう。
ヒロトも決してこの社会の現状を良しとしているわけではない。ネットニュースを見てはあ?と愚痴を漏らすことだってあるし、同様の愚痴を身内や友達から聞くこともある。本当に国民のことを考えた政策がいくつあるだろうか。

不満がでることもある。今の社会がよくなるのなら万々歳だ。
けれど——
「悪いですが、やめておきます」
「…ほう?」
仮に転覆したとて、お前らに政治ができるのかとか。絶対仲間割れするでしょとか。色々思うことはあるけれど、理由は単純。
「どうでもよくないですか?政府がどうだとか。そりゃあウイルス蔓延は辛いし、今の社会がキレイだとは言いませんが…世界を変えるとか興味ないですって、そんなの」
ソファから上体を起こし、そっぽを向きながら答える。
意識高そうなことは、意識高い人らがやればいいだけのこと。
ヒロトにとってはただ今日明日をいつも通りに過ごせたら何も言うことは無い。腰は上げるのではなく落ち着かせるもの。波よりも風よりも、怠惰を好む。ただそれだけ。

「そうか…なら死ね」
それを聞いてカイトは笑顔を崩さないまま再び指を鳴らした。
コウジが一歩前に出て、ヒロトの方に向けて手を突き出す。
「僕は君みたいな事なかれ主義が一番嫌いなんだ」

爆発のような音がして、ヒロトの周辺がコウジから放たれた火に包まれる。鼻の奥を突くような匂いと黒煙があっという間に部屋の中をかけめぐり、幾人かはせき込んだ。
「カイト様!何も殺すことは…!」
「黙れミハル。こんな社会に無批判な奴らがいるから今の日本はダメなん——」
瞬間、炎があたりに四散した。
ゆらめく陽炎の中からヒロトがゆらりと立ち上がる。服や顔に煤がついているものの、あの灼熱に包まれてなおほとんど無傷だった。
「なっ…!お前…!」
カイトたちの動揺もどこ吹く風、ジャケットの汚れを手で払った後今度はヒロトがゆっくりと手をかざす。
「今度は俺の番だ」
「…っ!この思考停止野郎が!お前ら、かかれ!」
カイトの怒号で我に返ったメンバーたちが、次々にヒロトに飛びかかろうとする。ある者は風を巻き起こし、ある者は氷柱を生成し、ある者は腕を巨大化させる。
「俺の副反応、念動力かと思っていたんですけど、多分ちょっと違うみたいですね」
しかしそれらよりも一瞬早く。
左腕、ワクチンを打たれた箇所を起点として首、腹、足、全身へと力がみなぎる感覚。もうちょっと前までの痛みも疲れも感じなくなっていた。
ヒロトの、『対象物を自分から引き離す力』が発動する。

「『密です』ってね」

バイクよりも、爆発よりももっと大きな音。
空間が破裂する音が辺りに響いた。



「『政府、ワクチンの副反応重症者の保護に乗り出す。市民からは安全性に疑問の声も—』か…」
電車のドアの上部に取り付けられたモニターに映し出された文字を追う。
どうやら政府がワクチン接種者に対してアフターケアをもっと充実させるとのことだ。明言はしていないがヒロトも対象に入るのだろう。帰ったらポストに何か入っているかもしれない。

思えば接種会場で発症して苦しんだ時、向こうはこの超人的な力に目覚めるケースを知っているようなリアクションだった。カイト達があのままクーデターを起こしても国側は何かしら対抗手段があったかもしれない。
まあどちらにせよ世間にスーパーパワーの存在がバレるのは時間の問題だろうが…今は気にしないでおこう。官僚の人たちに心の中で手を合わせる。

駅から出ると照り付けるような日差しが容赦なく降ってくる。
一体春とはなんだったのかというぐらいの変わりようだ。Tシャツ一枚でもよかったかもしれない。
リュックを背負いなおし、駅前の広場を通り抜けていく。駆け出しのミュージシャンが奏でるギターの音を聴きながら、スマホのカレンダーを開いて今日の授業後の予定を詰めていく。ああそういやバイトも副反応で一日休んだ分どこかで入らないといけない。

「マスク、はんたーい!」
ふと、セミみたいに音割れしたメガホン越しの声が聞こえてくる。その方向を見るとマスクをしていない中高年の集団が何やら声を上げているようだった。お手製のけばけばしい看板を掲げ、新型ウイルスが政府による陰謀だということを声高に主張している。こんな暑いなか目をギラギラさせて口をパクパクさせて、必死の形相だ。

まぁでも、あれぐらいなら平和だよね。
ヒロトは苦笑しながらワイヤレスイヤホンを装着し、歩く速度を上げた。
あちこちで開かれている路上パーティーを、そっと迂回しながら。


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