見出し画像

【振り返り】8月31日の阪神戦について

甲子園での登板は今シーズン初めてでした。

つい先日まで高校生が熱戦を繰り広げていた場所でプレーすることに不思議な感じを抱きました。
僕は経験がないですが「高校生がここでプレーするときはどんな気持ちなんだろう」って考えてしまいます。

登板の振り返り

無死満塁という場面で藤嶋にバトンを渡してしまったこと、これがすべてです。
流れが相手に傾いている場面、特に満塁でのリリーフはハードルが高いので。

マウンドを降りた藤嶋には「同点までで終わってくれてありがとう」と声をかけました。
それでも藤嶋には「ランナーを返してしまった」という思いが残るでしょう。

ただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。


青柳くんとの投げ合いは久しぶりでしたね。
今回はお互い悔いが残る内容になってしまいましたが、打席でみて本当に打ちづらい(バッターの嫌がる)球を投げれるので去年から尊敬してました。

毎回思っていることですが、素晴らしいピッチャーの球筋が見れるのは幸せです。
ただ2打席目は「立つだけ」という指示が出てたので、おあずけされたようでちょっとつまらなかったですね笑


良くなかった登板のあとには「何が悪かったのか」、つまり原因を探そうとします。
もしかしたら僕はその原因探しのクセが人より強いかもしれません。(どうせ勘違いでしょうが)

でも、エキシビション期間ぐらいに思ったんですよね。
「原因探しって意味あるのかな?」って。

原因って探そうとすれば必ず見つかってそれっぽく見えるのに、だいたい幻じゃないですか。

たとえば今回の登板で「なぜ打たれたのか」って原因を考えた場合。
打たれたシーンだけ切り取れば

・ボールが高い
・ストライク先行できなかった
・フォアボール直後のストレートを狙われた

みたいに出てきます。
それに加えて僕たち先発ピッチャーは前の試合が終わってから1週間、調整してきてるので「調整に問題がなかったか」とか言い出したらキリがないですよね。
1週間(150時間以上)の行動すべてを疑うなんて無理です。

ルーティンやゲン担ぎが多い人って、そうやって原因探しをする範囲をせまくしているのかな。

なので今回は、原因が頭に浮かんだら「それが原因かもしれないし、幻かもしれない」と付け加えてみようと思います。

原因という妥協点にとどまるくらいなら、「何も悪くなかった」と良いこと探しをしたほうが前向きになれそうですよね。

さいごに

最近、あらためて「足るを知る」って言葉の大切さを感じることが多いです。

足るを知るは老子の書物に書かれていた言葉「知足者富(足るを知る者は富む)」からきているそうです。
(参考:「足るを知る者は富む」の意味や使い方は?続きの言葉や類語も紹介より)

まわりと比べて自分の「不足」を見つけて不幸を感じるより、「足る(充足)」に目を向ければみんな幸せ。
だから「ない」じゃなくて「ある」を探しましょうって教えです。

たとえばテストで80点とったときに「とった80点」に目を向けるか「間違えた20点」に目を向けるかで印象がぜんぜんちがいます。
僕は子どもの頃から「間違えた20点」ばかり気になっていたので、「間違えた自分」を創造していたのかもしれません。
もったいない感じがしますね。

今回書いた「原因探しをやめる」も「足るを知る」の一環です。

良くないできごとがあったとき、原因(不足)を探すのをやめたら充足をみつけて前を向けるんじゃないかと思ったんですよね。

「原因」という言葉を聞くとアドラー心理学の目的論を思い出します。
また読み直してみようかな。


いつも応援してくださりありがとうございます。
次の登板もがんばります。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?