私の住んだ街履歴書

南こうせつさんの歌で『淋しい鞄』という私の好きな歌があります。

男はいつでも心の中に 淋しいかばんを持っている

日々の暮らしを渡る時 信号待ちで止る時

男はかばんを開けてみる 初めて愛した人の名や

ひとり暮らした街並が 息をひそめて入ってる

・・・

というわけで、後半は「ひとり暮らした街」ではないのですが、

私がこれまで移り住んだ町をご紹介します。

~1980年 石川県加賀市山代温泉

生まれ故郷であります。昔は豪雪地帯ということで、胸の高さまで雪がありましたね。立体迷路とか普通の家の高さぐらいあるカマクラとか普通にできました。今はそれほど降りません。

今でも実家に帰省して総湯に行く途中の街並みで、年少時代を思い出します。

1981年 兵庫県西宮市上ヶ原

大学の1~3年間下宿していた街です。

大阪市内や神戸市内ほどには都会でなく、ほどよく都会というところが学生には過ごしやすかったのではないでしょうか。

震災で壊滅的な打撃を受けたのですが、googleストリートビューで見る限り、住んでいたアパートはまだあるようでした。

1984年 兵庫県神戸市東灘区御影

学生下宿アパートではなく単身で住んでみたいという願望で大学四年のとき住んだ街です。隣近所に学生がいないので『神田川』のような孤独の意味がなんとなくわかる環境でしたね。

神戸のことをフランス語でモンテメール(山と海)と表現することがありますが、まさにそれがピッタリくる街でした。

神戸に住んでいる人は山が北、海が南という習慣が付いているので三方が山という京都に入るととたんに迷子になるということを実感しました。

歌の中の場所(長崎)とは違うのですが、さだまさしさんの「坂のある町」という歌の歌詞がよく似合います。

1985年 兵庫県尼崎市園田

会社の寮に入った関係で三年半ほど住んだ街です。

神戸とは違って、地形にほとんど変化が無く、人が雑多に暮らしているというある意味神戸よりもずっと都会的な町でした。

風景的な風情がない代わりに通勤や買い物、スポーツなど何をするにも近くて便利という、そういうところに価値がある町という感じでしたね。もちろんココで生まれ育った人には私に見えなかった景色や風情があるのかもしれません。

1989年 大阪府豊中市柴原

会社の寮が無くなるというので、独身の締めくくりに住んだ街です。

大都会豊中にはいろいろな光と影(笑)があるのですが、まあ概ねベッドタウンであまりその土地に愛着がわくといったことはありませんでしたね。

1992年 兵庫県宝塚市安倉

結婚して初めて住んだ街です。同じベッドタウンでも伊丹の方がなにかと便利そうなのですが、その分カントリー的な風情があるというか、結構好きな土地でした。ここで阪神大震災を経験したのですが、私の住んでたハイツは張りぼてだったことが幸いして、建物はほとんどノーダメージでした。(笑)

震災2日目に近所を自転車で回ってみましたが、古い家とかビルディングが軒並みつぶれていましたね。3日目で近所のスーパーに食べ物が無くなり渋滞の中5時間かけて千里中央に買い出しに行った記憶があります。

2000年 東京都江戸川区葛西

単身赴任で9ヶ月ほど住みました。

東京の地理はよく分からないのですが、地下鉄東西線が毎日鬼のように満員なのと自転車で浦安のTDL間近までいけることと、バスで秋葉原まで乗り換え無しということだけ覚えています。活気があるという感じではありませんでしたがまあ仕事にしろ生活にしろ、毎日闘っている町という印象でした。

2000年 滋賀県大津市

私の実家にも近くて通勤圏内ということでこの土地を選びました。

地理的には京阪神に近いのにかなりの田舎を実感できるところです。

子供を育てるにはこういう少し不便なところの方がいいと思うのですがいかがでしょうか。ただし冬に雪が少々積もることと、強風で電車がよく止まることは誤算といえば誤算でしたね。

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