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~暑すぎる夏が終わろうとした時に考え始めたこと~

 

①空白という現実

障害者の父でもある私。
私は、障害者福祉という仕事にかなりの時間を費やしてきた。今働いている法人で10年をもう少しで迎えようとしている。その間に、相模原殺傷事件(2016)だけでなく、虐待によって多数の方が亡くなっています。
報道は殆どされませんが強度行動障害などによって、命の危険をも及ぼす可能性があるケガをする職員。それらがトラウマ等になり、思いをもった職員が離職する現実。
それだけなく、職員間のハラスメント。利用者家族からのハラスメント。
支援の質が向上するようなこともなく、毎日を惰性のように過ごす職員(思いが昔はあったのかもしれないが・・)
それが障害者福祉施設の一部現実。
空白は現実離れしてはいないし、その空白がなければ窮屈になり自分の存在する意味も考えなくなる。
なんのために‥この仕事を選んだのか。その意味をもう一度考え始めた夏。

②一人の職員の限界

 組織に属している以上その法人、事業所の指示に従うのは当然のことだが、福祉業界は古い慣習のようなモノや職員が新しいことに挑戦することを嫌う傾向があるように感じる。しかし、福祉基礎構造改革があり”措置から契約”になりサービス業の1つとして福祉事業も経営を考えなければならない時代に変わった(ここで国の財源や消費税のありかたを議論するつもりはない。)
 そうなると選ばれる法人、事業所、職員を目指さなければいけない。はず・・なのだが、福祉事業の多くの収入は税金になる。そうなると利用してくれる人が毎日来てくれるだけで法人の収入になり、一定数来てくれれば成り立ち、職員が無知でも虐待ぎりぎりのラインでも明るみにでなかったら存続は可能。職員はそうなってくるとどうすれば利用者の為に。という発想は皆無に近づき、毎日の仕事が何事もなく平穏に終われば良い。何もしなくても給料が発生する。といった間違った考え方になる。それが①の毎日を惰性のように過ごす職員だと考える。今までの私は楽してお金をもらいたいと考えていた。①と変わらない奴だった。むしろもっと酷かったかもしれない。

③告白

 私は精神的に弱い。と思い込んでいた。うつ傾向はあったし、休むことも多かった。今もしんどいと思うこともあるけど。。休むという選択肢は前に比べて減った。理由は妻からの言葉が大部分を占めている。と思う。立場が変わって休んでいる場合ではない。という現実もありますが…
そんな時に私は仕事のなかで・・臨床心理士のカウンセリングを受けることになった。その先生は法人の評議員でもありカウンセリングを受ける前から職場環境のことなどを相談していたり、法人の研修を行う猫好きのスーパーウーマンだった。
 そのスーパーウーマンと話していくなかで、私の中に眠っていたであろう考えや仕事に対する思いを表出することになった。一度表に出だすと今までの感情が素直になって、それが言葉になり涙になり文字に変わろうとしている。それが暑すぎる夏が終わろうとした時に考え始めたこと



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