私がカンボジアへ行った理由はコミュ障から
私は小さい時から内向的でストレス溜まりやすい性格
友人も作るのが苦手で、あまり人と喋らない。
小学生の時は本当にそれが酷くて、おはようございます以外は誰とも喋らずに外をぼっとみていたことがあった。「やべ、早くうち帰りたい。」
コミュ障である。
家へ帰れば、アニメ、ゲームだけが生きがい。
それを共有する人もいないので、いつもイライラし、部屋の壁をぶち壊すこともある。引きこもり一歩手前な状態だが、両親も忙しいため、ほとんど家に帰らず関心はない。
そんな私でも植物には興味があった。父親が研究者で
某企業の研究・農場長だったので、たまに施設にいくことはあった。
施設園芸の場所だ。
ハウスから自然と出ているマイナスイオンは
何かストレスを解放してくれるかのようだ。何かストレスがある時はよく行ったものだ。
学校の勉強は全くできないし、引っ越しが多く友達・先生との会話もできない。テストもビリから数えた方がいいかもしれない状態だった。
そして、なんとか高校卒業して、農学関連の大学を卒業することができたが、私の中では組織で働きたくない思考が・・(引きこもり手前かぁ)
いいや、新卒で面接受けるのも一切しなかった。
そんなある時、父親の知り合いから連絡があった。
「カンボジアに行って、農村開発してくれないか?」と急に連絡があった。
知り合いは福祉事業の仕事をしている人で、これからガンボジアで訓練学校を作るらしい。(これが今でいう実習生の学校)
といっても私コミュ障だし、英語できんし。
「特にしたいことないからとりあえず行ってみようかなぁ」みたいな感じで話してみた。2日〜3日だけ行ってみてそれから考えるということにした。
実際にカンボジアのシェムリアップ空港に行ってみた。
周りを見ると、畑が赤土で、何もない場所だった。
ヤギが雑草を食べているのだが、骨が見えている。
「栄養ないし、ここはやばいんじゃないか」
死ぬかもしれんと思うようになった。爆弾とかたくさん埋もれてる可能性もあるし。
とんでもない緊張感が・・・
まず連れてかれたのは、学校だった。この福祉事業者が寄付を集めて
学校を作っていたのだ。その時は衝撃的だった。
村のカンボジア人がパレードをしてくれたり、ダンス、歌を歌ってくれたのだ。なんかよく分からないが、感動するのである。何か温かみがあるというか。
その後に孤児院へ行くことになった。
そこは親がいない子や生活で困っている子が生活しているのだ。
私みたいな内向的なタイプでも、何か積極的に話してくれるのだ。
花をくれたり、なんか優しくされたことに嬉しくなってしまったのだ。
カンボジアは最初行った時に爆弾あるかもしれない、語学ができないとどうしようとか不安ばかりあったがその心配はなくなっていき自分の心の闇に光を当てるような人ばかりだった。物凄い不安と緊張があったが、そこにいた現地の優しさ記憶を残したのだ。
もしかすると、この経験は人生を変えるかもしれないと直感的に思うようになり、日本に帰ってからカンボジア語を勉強して、2ヶ月後にまた出発してプロジェクトに参加するようになったのである。
今ではあの経験が、、しっかりと生きている。本当に感謝でしかない。
旅の資金にサポートをしていただける方がいましたら、嬉しいです。新しい情報をどんどん発信します