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福島フェスの作り方 〜創立 / きっかけ〜 vol.1

昭和52年...1977年。
僕の産まれた年で、また「福島フェス」の中心となる殆どのメンバーが産まれた年。中田英寿、香取慎吾ちゃんが同じ年の産まれだが早産まれなので学年はひとつ上。安室奈美恵は同学年。なんとなくイメージしやすいですね。
メンバーは福島の高校の同級生で、高校を卒業し、大学や進学のために一度は福島を離れ、その後、あるものはアーティストとしてデビューし一世を風靡、あるものは海外に勉強という名の放浪に向かいその後MCという転職を見つけ、あるものはデザイン業を生業とし、あるものは地元に戻り家業の会社を継ぎ、あるものは職を転々としつつキャリアアップを重ね、あるものは日々日本酒を好むファイナンシャルプランナー、あるもの(私)は音楽やイベントの裏方として生計を立てるものとして人生を頑張っていました。

そんな我々が「福島フェス」の元に集まることになった経緯を語るには、東日本大震災の少し前に遡る。僕と為永(福島フェス初代実行委員長)はお互い東京で仕事をしており、帰省のタイミングが合ったときに福島の酒場で飲んだりしていた。齢30そこそこの歳で、仕事は順調にしているものの、心のどこかで地元への引っ掛かりのようなものが芽生えていたのだろう。話は良く「福島で何かしよう」というテーマになっていたのを覚えています。
お互いにエンタメ・デザイン周りの仕事をしていたので、福島で何か起こすなら、その部分で福島に還元できる何かが良いよねと話しており、収入の見込みはないものの、法人化の話もしたりしていました。
お互いまだ若く、ぼんやりとした内容の話でも、イメージだけで酒が飲めるような年頃だったので、話をしている間は何か新しいことが始まりそうなワクワク感で満たされていたことを覚えています。

そんな話をしているときに、東日本大震災は起こりました。
文字通り東日本を一時完全に機能不全にし、夥しい死者を出したこの震災で、多くの方々の人生が変わりました。僕もその1人です。
震災からしばらく経って為永と会った時に話したことは、このまま当初の予定通りに起業していくのが正しいのかということと、地元のために何かできることがあるのではないか、ということでした。
話し合いの末、当初の起業予定は株式会社ではなく「NPO法人」として設立することとしましました。
NPO法人は、会員が10名以上必要ということを知り、地元の同級生を中心に声をかけ、今自分たちが思っていることを伝えたところ、賛同してくれる10名の友人が集まり、NPO法人を設立しました。その中のメンバーの殆どが、今の福島フェスの実行委員でもあります。
地震・津波以外に原発という被害を被った福島は、専門家でなくてもこの先長く辛い復興への道が待ち構えていることは目に見えていました。その事実に対して、何かアクションを起こしたい。我々はまず、福島をプロモーションするWEBマガジンをロンチするなどを考え、その後の構想として「福島発オンラインショップ」の立ち上げや、「地元福島を訪れて体験するワークショップ」の開催の企画立案など、できることを試してみました。WEBマガジンは、これまた地元出身の同級生で本職がスポーツライターのTくんの力も借りて、なんとか開始することができました。ただ、少しづつ続けていくにつれ、本業がある身で、いくら地元のこととはいえ、集材や編集・打ち合わせなどに多くの時間を費やすことに限界を感じ始めてもいました。何より、購読者がいたとしてもその反応がダイレクトに伝わってこない。今自分たちがやっていることが、果たして正しいのか、福島のためになっているのかが分からなくなる時が度々ありました。

そんな時に、とある人と話をしていた時に、現状の活動の悩みを話していたところ「では、イベントをしてみたらどうですか?」というヒントをいただく機会がありました。確か2012年のことだったかと思います。
もっとも、それまでに福島県内では官民問わず、様々なイベントが行われていましたが、都内で福島をPRするイベントはせいぜい物産展くらいで、もっと若い人たちや、外国の方などにもアピールできるイベントはなかったので、しばらく考て「もしかしたらこのアイデアは良いかもしれない」と思うようになりました。
我々が立ち上げようとしていた「WEBマガジン(福島を知る)」「ECショップ(福島を買って体験する)」「参加型ワークショップ(福島を体験する)」を、イベントだと一気にまとめて表現することもできるし、何より週末の2~3日で設営〜開催をするので、短期集中型で我々に合っていると思ったこと(このことは後に大きな間違いだったことに気づきますが、苦笑)、そして

"デザイン力や音楽の力も使って、新しい元気な福島をPRする"

今いるメンバーの力を最大限発揮できる方法はこの方法なんじゃないか。
妄想が少しづつ膨んでいきました。
...まずは東京でイベントが開催できる場所を探さなければいけない。
我々は少しづつ行動に移していきました。

<Vol.2に続く>

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