見出し画像

カー用品から中古車へ

平成10年2月に私は新卒で入社した会社を辞め、『Jac 日本中古車査定センター』を運営していた株式会社ジャック(現カーチスホールディングス)に中途採用していただきました。

転職を希望した理由は『中古車ビジネス』『ブラック企業からの脱出』です。大学時代は就職氷河期で、20社面接をしてようやく内定をいただいた会社は株式会社アイワールドという単店売上日本一を記録したディスカウントストアでした。

なぜか新卒社員は全員店舗から徒歩10分以内の借上社宅に住むように決まっており、家賃が給与天引きされていました。なぜ徒歩10分以内に住むのか?それは電車やバスの終電など到底間に合わない時間まで勤務するからでした(笑)

私はカー用品コーナーに配属され、レスリングでインターハイ出場歴のある部門リーダーと日本体育大学出身の先輩の下で朝から夜中まで(時には朝まで)社会の厳しさを叩き込まれました。

同時に仕事の基本も叩き込んでいただきました。Aランク商品は地域一番の低価格で集客し、周辺商品で利益を上げる。取引先様との関係性を強くし、仕入価格交渉や販売応援依頼などのご協力もいただけるようになりました。

不満に感じたのは何度売上目標を達成しても給与もボーナスもピクリとも動きませんでした。なぜなのか?答えは簡単です。売上は恐ろしいほど上がっていましたが、売上粗利は異常なほど少なかったのです。

今でも覚えているのは、特Aランク商品の『KURE 5-56』を山積みにして198円で販売していました。ちなみに原価は195円。1つ売って3円の儲けです。売り出しの時はなんと98円で販売していました。

また、当時新発売されたDVDナビゲーションセットを長時間接客、商談し総額40万円ほどで販売しましたが粗利が1万円ほどでがっかりしたことです。

転職を決めた決定的な出来事は今の妻との結婚する時期を決めたことでした。東京と宮崎の遠距離恋愛でしたので危うく切られそうになったので一緒になる時期を決めました。しかし、このままだと家族を豊かにすることができないと思い、父親に転職する事を相談しました。

元証券会社の父親は様々な会社や人々と繋がりがあり、今伸びている中古車買取の会社で副社長をしている人がいると紹介をしてくれました。そして面接に伺った時に副社長に言われた事も印象的でした。

『今の会社では何時から何時まで働いている?』
『休みは月にどれくらいある?』
『今の給料いくらもらってる?うちは月給90万は貰えるから。』
『君は真面目そうだし、よく働いてるみたいだから雇うよ。いつから来れる?即決してよ。』

矢継ぎ早に話を詰めてくる副社長さんに落ちそうになりましたが、所属している会社に筋を通していない事を理由に保留にしましたが、心の中ではワクワクしていたのでお世話になる事を決めていました。

所属している会社の上司の方々には何度も引き止めていだだきましたが、硬い意志を持っていたことが伝わり最後には応援してくれました。先輩には『立派な車屋になれ』と黒いセカンドバックをプレゼントしていただきました笑

そしてカー用品業界から中古車業界に転身するのです。夢と希望を胸に。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?