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宮沢賢治が死んだ歳

37歳になって思う事

先日37歳になった。
37歳というと宮沢賢治がなくなった年齢だ。
僕は彼の“雨ニモマケズ”という詩から人生で大切な事を学んだ。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
という文から始まる詩は、彼が亡くなってから世に出たもの。
彼は、本当の彼の思いを世に出す事をしなかったという事。
本当の本当の思いは自分だけに止めておいたのかもしれない。

大事な人の死に対して

彼の“雨ニモマケズ”には
“南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ”
という文がある。

僕は一人っ子。
両親が唯一の家族。
とても大切な人がいつかは死んでしまう。
その時に側にいてなんて声をかけるか。
その答えが彼の詩にはあった。

“怖がらなくてもいい すぐにいくから”

自分の死から考える

自分が死ぬ時になんて声をかけてもらいたいか。
そんな事を考えてみた。
“怖がらなくてもいい すぐにいくから”
ちょっと安心するような気がした。

両親が亡くなる時に安心して欲しい。
そんな思いに達した。
その時に両親が僕より先に亡くなる時の不安が少し和らいだ。

“サウイフモノニ ワタシハナリタイ”

“雨ニモマケズ”
は彼の理想の自分像が描かれている。
困っている人の為に生き
自分は必要最低限の物資で生きる。
自然の一部となって生き
自分の世界観を大切に生きる。

けど、そういう生き方ができなかった。
理想を羅列し、最後に
そういう人になりたい。
と残している。

そういうもの

彼の理想
僕の理想。
35歳の時に僕の理想ができ始めたと思う。
それは、彼の詩に出会ったときからかもしれない。
自分の“ソウイウモノ”が今はある。
今はかけ離れているかもしれない。
けど、少しづつ近づいている実感はある。

どうしようもない自分、人を傷つけた自分。
そういう一面がある事を反省し、“ソウイウモノ”になる為に生まれ変わるんだ。
人生を語るには早いかもしれないが、僕も37歳になった。
少しぐらい人生を語らせて欲しい。

自分のルーツ、これまでに出会った人に感謝して
“ソウイウモノ“になる為に一日一日を積み重ねる。
そうやって生きると毎日がとても幸せに感じるよ

ありがとう賢治さん。


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