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心の鎧のおはなし

このnoteでは、新たに自分の中で気付いた「心の鎧」についてのおはなしをしようと思う。

それとともに、これまでSNSに書くことのなかった僕の弱点について詳しく書いていく。改めた自己紹介みたいな感じで。

ひとつ断っておくと、ぼくはこれまで自分の弱点の話をSNSでしたことがほぼない。それも理由があって、人に対して弱みを見せてはいけないと思っていたからだ。

だから今回の気付きは、これまでと、これからの人生を大きく変えるほどのものであったことを先に伝えておく。

前置きはこのくらいにして早速本文に入ろう。


心の鎧のおはなし

「ふくろうくんには心の鎧というものがある」

これはNLPの授業を受けているときに、トレーナーに言われた言葉だ。

最初にそれを言われたときは正直なんのことか分からなかった。

心の鎧とは言わば一般的なメタファー(比喩表現のこと:このnoteではメタファーと記載していく)であり、僕の中で思い当たる節がなかったので心の鎧に対するイメージが湧かなかったからだ。

だけど、トレーナーにそれを言われるということは、何かあるに違いないとは思っていた。(僕たちのトレーナーは冗談抜きで人の内面を見透かしている)

そしてこんなことも言われた。
「ふくろうくんは心の鎧の正体が分かればもっと飛躍出来るのにもったいない」と。

それを言われてから自分の中で色々考えていたけど、どれだけ考えても答えは出なかった。

心の鎧って何だろう?

ずっとこの問いに対してモヤモヤしていた。トレーナーは絶対に答えを言わないので自分で気付くしかない。

トレーナーに聞いても

「自分で考えて」

としか言われない。ここ最近の話だが、どれだけモヤモヤしたことか。

NLPの授業では、毎回授業の始まりに1週間の近況と授業でどんなスキルを持って帰りたいかというのをみんなの前で発表する。

残り4回ほど授業が残ってるときにトレーナーから「心の鎧がある」と言われたので、次の授業以降の3回は毎回言うことは同じだった。また、鎧というくらいだから剥がせればいいのか?などと思い、毎回このように言っていた。

「今日の授業では心の鎧を剥がせるように頑張ります」

最初ぼくは、「心の鎧とは何であるか」というのはNLPの授業を受けていくうちに勝手に気付いていくものだと思っていた。何故なら、NLPの授業では得られる気付きの数が多いからだ。

それでも、残り3回の授業を全部受けても、結局ぼくの中にある心の鎧の正体が何であるかが分からなかった。

気付けない自分がめちゃくちゃ悔しかったし、授業が終わっても達成感はあったがどこかモヤモヤした気持ちだけは拭えなかった。

心の鎧ってなんだ?

NLPのマスターコースを卒業してもずっと頭にこの言葉が残ったまま。「これは自分ひとりで気付くことが出来るのか?」と毎日悩んでいた。



無視できない質問

そして時は進み、つい先日僕が学んでいるNLP内で、「NLP合宿」という名目で とある施設に1泊2日の合宿をした。

皆んなNLPの受講生だから、食事をしてるときも、お風呂に入るときも、ふざけたりするときも日常会話やNLPの話で盛り上がっていた。

そして夜ご飯を食べてるときに、一緒の受講生からこんなことを言われた。

「ふくろうくんって素の自分を出せる人っているの?」

言ってくれた受講生からしたら何気ない質問だったかもしれない。だけど、僕からしたらこの言葉は無視できなかった。この質問を蔑ろにしたら、自分の中で何か大事なものに一生気付けないと本能的に思ったからだ。

そしてその問いに答えるべく必死に考えた。考えて考えて考え抜いて頭がショートしそうになった。この時ほど内部対話(自分との対話)をフルスピードでしたことはない。

自分には素を出せる人がいるのか?

ずっと悩み続けた。思えば僕の人生はずっと、自分を取り繕う人生だったんじゃないかと。

自分を取り繕う話になるのだが、僕には3つ上の兄がいる。兄は人にものを頼むことが頻繁にある。

一緒に座っている机の上の「醤油とって」や「皿片付けといて」などはかわいい方だろう。

それがエスカレートすると「別の部屋の電気切っといて」「(ぼくは全然関係ないところにいるのに)あっちのおれの服取ってきて」など、その位置からわざわざ動かないといけないような頼みまでしてくるタイプだ。

本当なら「嫌」のひとことで済みそうだが、僕はその「嫌」が言えなかった。だから渋々服を取りに行ったり電気を切ったり。

こんなことを話すと「案外ちっちゃいやつだな」と思われるかもしれない。だけど、人からそう思われるのは僕からしたら大した問題ではない。

それよりも兄の頼みを断れない自分にモヤモヤしていた。「いいよ」とは言いながらも内心はめちゃくちゃ嫌だったからだ。

分かりやすく言うと、自分の感情と行動がリンクしてないことに対してモヤモヤしていた。でも、弱みを見せることが出来なかったぼくは誰にも話せずに1人でずっと抱え込んでいた。

結局それも自分を取り繕って人にいい顔しようとしてただけで、自分の感情は無視してしまっていた。

それをずっと頭に抱えて生きているときに

「素を出せる人がいるのか?」

なんて質問をされたら無視も出来ないだろう。

自分を取り繕う人生。言ってしまえば、僕なりの理想像の性格をそのまま自分の性格としていたのかもしれない。

例えば○○になりたいという理想像があるとする。ヒロアカを知ってる人なら分かると思うが僕にとっての理想像はオールマイトのような存在。

実際僕はオールマイトみたいな人が好きで、「僕の性格はオールマイトと同じだ!」と思い込んでいた。

だから、どれだけ悔しかったり落ち込んだりモヤモヤすることがあっても「オールマイトならこのくらいの感情、笑って吹き飛ばすだろう」と思って、それを投影していた僕も笑って吹き飛ばすことをしていた。

それはもちろんしんどかった。だけど「オールマイトならこうするだろう」という考えを捨てきれず、またどうやって捨てれるかも分からなかったので心に正直になれないままだった。

そして本当に素を出せる人がどのくらいいるのだろうと自分なりに考えたが、その人数はいるかいないか分からないくらいだった。

悩みを相談したりできる人はいるのだけど、素を出せる人はいない。この違いを僕なりに定義すると、悩みを相談するのは「事実を伝えれば済む」が、素を出すとなると「事実に自分が思った感情を乗せて伝える、もしくはネガティブもポジティブもどんな感情も出せる」ということだと思う。

つまり何が言いたいかというと、「こんな事があったんだけど、どうすればいいと思う?」というのは悩みとして人には話せるが、「今めっちゃしんどい。どうしたらいい?」などのネガティブ感情を乗せた事実が怖くて言えなかった。

最近になってようやく「嬉しい」という感情は出せるようになったけど、未だにネガティブな感情を出し切れていない。ネガティブなことを言ったら嫌われるのではないだろうか、などと考えてるからだろう。

そして未だにぼくの中で「オールマイトはネガティブなことを言わない」などと思ってるのが証拠である。



自分がサイボーグだと気付いたから見えた改善点

これまでのぼくは、事実だけを並べてただ伝えるという「サイボーグ」のような人間だったように思う。ただ、先ほども述べたように最近になってようやく「嬉しい」という感情は乗せれるようになった。

まずはこれはいい気付きだと思う。

少し話は逸れるが、人は過去の思い出を話すときにどんな感情だったかも含めて伝えることができる。どんな感情だったかが分かるから、過去の話も無限にできるもの。

だけど、感情として記憶のメモリーに残すことができなかった僕は、必然的に過去の話を思い出せたとしてもすぐに終わってしまったり、そもそも思い出せなかったり。

これらを鑑みても、まだサイボーグの自分のほうが割合としては多いように思う。だから、素を出していけるように頑張ればいいのだと気付いた。要は、素直になればいいのだと。

「素直になることが大事」というのは頭では分かってはいたけれども、素直になることがどこか怖い自分がいたことは否めない。

素直になることは、簡単な言葉だけどかなり奥が深い。人間の真理をついている。

そして気がついたのが、トレーナーが言っていた心の鎧の正体が「素を出せてない自分」ということが分かった。そのような過程があって、素直になることがぼくの第1目標になった。

まずはポジティブな感情もネガティブな感情も出して、自分でそれら全てを受け入れる努力をしようと決めてからは、僕の心の中に微かではあるが光が射し込んだ。

これからは脱・サイボーグを頑張っていこうと決めた。



別のトレーナーのひとことで、射し込んできた光の輝きが増した

そして昨日、NLPの振り替え授業に出席した。(振り替え授業とは、正規の日程の授業を都合が悪くて受けられず、別の日に同じ内容の授業を受け直すことである)

振り替え授業となると、トレーナーが変わる。いつもと違うトレーナーから教われるということで楽しみにしていた。

そして、いつもと違うトレーナーに心の鎧の話をした。するとこのように言われたのである。

鎧ってことは自分を守る大事なものなんだよ。だから別に剥がす必要はない。ただ、もしかしたらふくろうくんは鎧を着すぎて動けなくなってるんかもね。
RPGってあるやん?あれもどんどん鎧とかの装備を強くしたりするけど、扱い方を間違えたら弱くなるから、自分の扱いやすくて強い鎧を選べばいいんだよ。

この言葉を聞いてハッとした。
これまでは、鎧は剥がさないといけないと思ってたものが実はそうではないと分かったからだ。

鎧を着込みすぎて関節とかも覆ってしまってるから、自分を出せずに身動きが取れなかったということに気付いた。

それなら関節とかを出せる鎧を着ればいい。

ぼくらが生きていく世界では鎧がないと自分を守れない。鎧があるから、自我を保ってられるのだ。ゲームなどでもラスボスを倒すのに鎧をしないバカはいない。結局は着ている鎧を上手く使えるかどうかに依存する。

これまでずっと悩んでた心の鎧の正体が、昨日やっと明確になった。

鎧は着たままで、素直に生きる。これができればさらに飛躍出来るだろう。

心の鎧があることを教えてくれたトレーナー、メタファーでヒントをくれたもう1人のトレーナーには感謝してもしきれない。

答えは絶対に言わずに、ぼく自身に気付かせてくれるような人に出逢えたことにも感謝だ。本当にありがたい。

そして、僕は理想像になるのではなくて、素直になって理想の自分に出会うことが大事だとも気がついた。

以上がぼくが経験した、人生を大きく変えるほどの気付きである。



おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。

自分の人生を大きく変えるほどのことに出逢えたのでnoteを書かせていただきました。

もし同じような境遇にいる人がこのnoteを見て、何かひとつでも気付きがあるのなら嬉しく思います。

それではこの辺で。



















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