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バーチャル空間と現実世界

今年、「どうぶつの森」が世界中を席巻した。累計販売本数2000万本というゲーム業界に激震が走る記録を打ち立て、ゲーム好きだけでなくコロナ禍で暇を持て余した全ての人を虜にした。今回のテーマは「バーチャル空間」だが、どうぶつの森もバーチャルとして認識されるべきものなのだろうか。今回の討論は、定義をするところから始まった。
バーチャルとは「仮想的」つまり「実際にはそこにないもの」という意味の言葉だ。言葉の通りにいくと、どうぶつの森やフォートナイトといったゲームも全てバーチャルとして認識することができる。そしてバーチャルは下の図のように分類することができる。

横の軸はコントローラーを用いるかどうか、縦の軸はVR機器を用いるかどうかで分類される。現在のVR技術はこのマトリクスのどこかに入る。では、バーチャル空間の未来を想像する上で発達すると予想されるのはどの象限だろうか。無論、第一象限だろう。最も仮想空間に入り込んだような感覚を感じられる、言い換えれば、最も現実との区別がつきにくくなるのが第一象限だ。
現在、バーチャル空間はよりリアルに近いものを目指して技術を向上させている。VR機器は鋭い感度や臨場感のある音を作り出すことで現実に近い世界を提供するが、やはり歩き回るためにはコントローラーが必要だ。コントローラーを手に持つことによってまだリアルとバーチャルを分けられている。ではこの煩いを取り払い、最大限に仮想と現実を区別しにくくした「バーチャルの限界」はどこだろうか。私たちは「」こそがバーチャルの限界だと考えた。夢は脳内の想像、つまり脳自体がVR機器とコントローラーの役割を同時に果たし、先のマトリクスでは第一象限の遥か先に位置する。イメージで言えば椅子に座って頭に機械をつけて眠ることで、脳内の空間で遊んでいる状態だ。さらには複数人が同時に同じ夢に入りコミュニケーションを楽しむことだってできるかもしれない。夢は想像、故にに実現不可能はない。この脳内仮想空間が何年後の技術なのかはわからないが、夢の限界がどこなのかも考えてみよう。
現在バーチャル空間は「娯楽」として扱われており、経済活動や生活の場としては機能していない。しかし夢の空間で実現不可能はことはないと思われるため、人間の活動の全てを脳内仮想空間に移行することだってできないわけではない。栄養は点滴で摂取すればいい話だ。まさにSF映画の世界だ。もしそれが可能になったらこの世界はどうなるのか。
夢、即ちバーチャル空間で経済活動が可能になれば、おそらく1日のほとんどの時間をその中で過ごすことになる。しかし私のような人間はそんな生活をしたくないと考える。嫌悪感を抱くからだ。つまり夢の中で全てが済んでしまうといっても、それをする人間としない人間、または娯楽だけ楽しむ人間などグラデーションができるだろう。
そうするとまず大きな人口減少の未来が見える。脳内仮想空間において、セックスの快感を直接脳に送り込むことによって味わうことは容易だが、生殖はできない。それによって人間の数を今まで通りに増やすことができなくなり人口減少が起こると予想される。

ここからが本題だ。次に夢の中におけるサービスの提供を考えてみる。以下のように定義しよう。

①夢を見るには料金を払わなければならない(サブスクリプション制)
②夢のプログラムは現実世界の人間が作っている
③夢の中の人は実現可能な範囲で経済活動を通して現実世界に干渉することができる

すると以下のように変化すると予測できる。

1.仮想空間で働く人が増える
夢の中にいる人間は稼いだお金をサブスクリプションサービスで定期的に払う。バーチャル産業には問題なく済むだろうが、ここで非常に大きな問題が起こる。それが2だ。

2.需要と供給のバランスが崩れる
夢の人間は現実世界の産業で働いているため、現実世界での供給量は変わらない。しかし現実世界におけるあらゆる産業、例えば車や電化製品や食料、水道代や携帯料金なども夢の人間にとっては必要のないものなので、需要量は大きく減る。供給量が変わらないのに需要量が減ったとき、取られる対策は「供給量を減らす」か「需要量を増やす」かだ。前者をするともちろん売り上げは下がる。そうしたら余分な人員は切り落とされる。(後者をした場合は4に飛ぶ。)

3.リストラが起こる
生産量を減らせばその分人員は必要なくなりクビにされる可能性がある。夢の人間もその例外ではない。

4.仮想空間から追い出される
仕事を辞めさせられた夢の中の人間はサービス料金が払えなくなり追い出されてしまう。(2で需要量を増やす場合にも人々を夢から解放する必要がある。)

つまり、夢の中で経済活動を行うと最終的に夢から追放され、サービスとして機能しなくなるのだ。「経済活動はバーチャル空間に持ち込めない」のだ。

となるとやはり夢、ひいてはバーチャル空間はやはり娯楽のための場所であると考えられる。想像上の世界だからこそ「なんでもできる」のだ。夢ともなればスリル、興奮、快楽など、さまざまな感情も感じることができる。今回の結論は「バーチャル空間は『娯楽の最大値』である」だ。バーチャル空間は確かに「なんでもできる」。しかし先程述べた通り経済活動を持ち込めばサービスとして破綻してしまう。つまり「なんでもできる」にも上限があり、その範囲が娯楽なのだ。

では具体的に何ができるのか、私はバーチャル空間だからこそできる「ポイント」という制度に目をつけた。最初に紹介したどうぶつの森にも「ベル」という独自の通貨がある。ゲーム内でベルは、様々なものを売ることで手に入る。ではこのベルが現実世界で運動することによって手に入ったらどうなるだろう。運動すればベルが手に入るのだからみんな走り出すだろう。それがベルでなくても、リアルとバーチャルが連動することによってヘルスプロモーションなどに繋がるのではないかと考える。このように様々なものにポイントを付与することによってゲーム性を生み出し、お金にならない行動に形のある利益を生むことができる。運動以外にも、読書をしたら、勉強をしたら、ちゃんと睡眠が取れたら、様々な行動でポイントが手に入ってバーチャル空間で使えるシステムができれば、世界はもっとサステナブルになるのではないだろうか。

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