ショートショート|マスターボール不経済事件
プレス・スタート・ボタン! 人生はあたかもゲームのようだ。いや待てよ、ゲームが人生を模しているからそれは当然の帰結か。撤回。
しかし人生とゲームのリンクはゲーム好きなら誰しも感じたことがあるはずだ。例えば大学受験の際、勉強はレベル上げで挑戦する大学はボスだ。受験に失敗したら負けイベントだと思い込んで平静を装う。負けイベントというのはゲーム内で必ず負けるように設定されたイベントだ。詳しく説明すると、プレイヤーがどれだけ腕利きだろうと絶対に負けてしまうようゲーム側で調整されており、主人公はその負けを糧にハッピーエンドへ突き進む、というシナリオが定番としてあるのだ。
僕はゲームが大好きだ。幼稚園生の頃から。当時、鼻炎がひどくて通院していた耳鼻科に行く車中でもプレイしていたんだ。
雪が降り始めた。雨が降った時にペトリコールがあるように、今も鼻腔は土とも岩とも判別できないような田舎道の独特の匂いを感じ取っている。あいにく傘は持ち合わせていないため、せめてもと思いパーカーのフードを被った。「降ってきましたねえ」とおそらく散歩中であろうお爺さんが僕に話しかけた。彼は家から傘を持ってきていたみたいだ。用意周到だ。これが年の功か。「そうですね、積もらなければいいんですが」と僕は返した。
マスターボールとは何か。ご存じの方も多いと思うが改めて説明したい。と、まずはマスターボールより先にモンスターボールについて(ボールに種類があることは後述)。ポケットモンスターというゲームに登場する道具で、ポケモン(要はモンスター)を捕まえる際に使う。ポケモンをこのボールの中に入れるのだ。アニメ版だとより様子が分かりやすい。ボールは服に装着している段階では卓球ボールのように小さいが、手に持つとソフトボールぐらいに拡大する。それをポケモンに向かって投げるとポケモンが圧縮されボールの中に入る。画が浮かばない? 何とか付いてきてほしい。ただポケモン側もただ黙って捕まるのではない。このボールから飛び出したりするのだ。ゲーム版に戻ると、だからポケモンに逃げられて結果的に捕まえられなかったりする。強かったり、他にも希少な〈伝説〉と呼ばれるポケモンは捕まりにくい。
後述すると言ったボールの種類について。今話したのはモンスターボールだが、スーパーボールもある。簡単な話でモンスターボールより捕まえやすい。メタっぽいことを言うと現代の多くのゲームは確率に隷属している。その点、モンスターボールより高い確率でスーパーボールはポケモンを捕まえることができるのだ。また変わり種ではヘビーボールなんてのもあって、これはポケモンの体重が重いと捕まえやすいという仕組み。他にもボールの種類はたくさん。
ようやくマスターボールだ。これは簡潔明瞭で投げれば野生のポケモンであれば必ず捕まえられる。俗っぽく言えば〈最強〉。だからゲーム内で1つしか手に入らない。あれ、1つであってるよな? 僕がプレイした『ポケットモンスター金』では確かそうだった。ポケモンが大人気であることは言うに及ばずで、ゲームが何作も発売されているから。
この『ポケットモンスター金』が僕が初めて買ってもらったゲームだ。5歳だったかな。『ポケットモンスター金・銀』のうち、なぜ金の方を選んだのか遠い昔過ぎて憶えていない。憶えているのは友達がこの前作の『ポケットモンスター赤・緑』の緑をプレイしているのを見て自分もしたくなり、親に泣きついたことだ。誕生日に買ってもらうよう漕ぎ着けた。その頃ちょうど『ポケモン金』が発売されることになったため、それを買ってもらうことに。携帯ゲーム機であるゲームボーイカラーも一緒だ。ちなみにこちらはパープルのスケルトン。齧り付くようにプレイした。
しかし惜しむらくは僕が幼過ぎたことだ。分別があればマスターボールは選ばれしポケモンに投じるのが定石だ。ただ僕は〈26ばんどうろ〉の草むらにいたドードーという弱く全く希少ではないポケモンに投じてしまった。マスターボールは本当に触れ込み通り必ず捕まえられるのかという好奇心に突き動かされ、投じれば次はないという事実が頭から抜け落ちたのだ。予定調和よろしく捕まった凡庸なドードーを見て、はたと気づき僕は泣いた。
家に着いた。凍える体を一刻も早く温めたい。僕は石油ストーブに点火した。小さいけれど重さのあるグォウという音が響いた。雪で濡れたパーカーを洗濯機に放り込んだり洗面所で手を洗ったりした間に部屋が暖まり、しばらくして寒暖差で鼻水が出てきた。子どもの頃に耳鼻科に通院していたのは果たして効果があったのか。すぐにティッシュで鼻をかんだ。それからソファに腰を下ろして改めて石油ストーブの暖かさを身に沁みさせた。すると萌え立つ幸せがそこにはあった。特に良い出来事に恵まれたというわけではないが、ふと——軽く病的に——満たされた気持ちになることがある。こういう時にふと、あのマスターボール不経済事件を思い出す。今となっては笑える。我ながら不気味な一幕だ。
僕はこんなことを思った。近頃のゲームはオートセーブが主流でいちいち手動でセーブしなくてもよくなった。ありがたいことだ。一方で、思い出深い『ポケモン金』では当然、手作業でその都度セーブしていた。このゲーム内では〈セーブ〉の代わりに〈レポート〉という冴えた用語が宛てがわれていた。主人公が冒険のレポートを書いてくれるのだ。そうさ、今この瞬間の幸せをゲームみたいにセーブして憂鬱な時にロードできればなんて思ったんだ。
ね、人生とゲームは海底トンネルのように深いところで閑かに繋がっている。
人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ