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ショートショート|忙しないある昼下がりの物語

 13時少し過ぎ、あるカフェの椅子に座って店内を流れているおそらく一生そのタイトルを知ることはないであろう曲に耳を傾けていると、苛立ちを隠せない表情の女性が赤ちゃんを抱っこしながら入店した。彼女がレジカウンターで店員にコーヒーか何かを注文をしているのを眺めながら、ひょっとして彼女は旦那と喧嘩をして家を飛び出したのではないか、と俺は考えた。マリッジブルー、マタニティブルーとこの頃は憂鬱になりやすく、それはしばしば喧嘩の火種になるものだ。いや、他人のことをどうこう憶測するのも失礼か。
 しばらくして俺の友人の姿が見え、店内を見渡した彼はすぐにこちらに気づいた。レジカウンターで注文をし、その後(黄色だからたぶん)チーズケーキとそれからコーヒーか何かを恭しく受け取り、こちらに歩み寄った。
「すまん、遅れて」と彼は椅子に座りながら言った。そしてこう続けた
「今日は忙しいか?」
「いいや、予定はないよ。休日にすることにした」と俺は言った。言葉の通り、今日はこれ以上仕事をしない日にしようと決めたのだ。その時のことを彼に話す。

 少しずつ暖かくなる10時、俺の始業時間。パソコンを立ち上げ、それが完了するまでの間に指を組んで腕を上げ、伸びをする。それから深呼吸。
 準備ができたら仕事の始まりだ。俺の仕事は簡単にいえばスパゲティコードを改良すること。スパゲティコードとはコンピュータのプログラムを形成するソースコードがまるでスパゲティが絡み合うように複雑で読み取りづらくなっている状態のことで、IT業界に身を置いていると割とよく耳にする。複雑になっていても機能すればそれでいい、と思う人もいるだろう。スパゲティコードを書いた本人もそういう考えだったのかもしれない。あるいは納期が間近に迫っていて焦りながら書いたとか。しかしそのままの状態にしておくと、後からソースコードに手を加えようとした際に何のことやら判別できなくてお手上げ状態になることがままあるのだ。さらに書いた本人が異動でいなくなっていたら尚更タチが悪く、そうなるとプロジェクトはしばし中断を余儀なくされる。それを恐れたチームが、その前に俺にソースコードの改良を依頼するのだ。
 モニターに所狭しと表示されている文字列を睨みつけながらキーボードを打つ手を動かす。仕事は順調だ。早めに終われるかもしれない。などと思っていると、それを戒めるかのように問題が発生した。機能するはずのない不十分なプログラムがなぜか機能してしまっているのだ。こういうことが稀にある。上手くいくだろうと期待したのに上手くいかないことは日常茶飯事だ。そうであれば不備を探し出してソースコードを訂正すればいい。厄介なのはなぜか上手くいってしまっている方だ。なぜなら、「なぜかプログラムが機能してしまっている原因」は「プログラムが機能しない原因」より解明するのがずっと困難だからだ。もちろん、今は上手くいっているから大丈夫とか言って見て見ぬ振りもできない。後々に問題を起こす爆弾になり得るからだ。
 強敵を前にして俺は頭を抱える。澱んだ気持ちだ。そして不意に「生きがいってなんだろう?」と考え始める。たまに悶々としてしまう日がある。スパゲティコードの根絶は果たして生きがいか? 暗い気持ちを皮肉るように光に溢れる昼過ぎ。
 悪い癖だが現実逃避でスマホを手にとると、メールが来ているのに気づいた。友人からだ。

 久しぶりに会おう
 コーヒーでも

 今日はどうせ考え過ぎてしまう悪い日だ。仕事を休みにしてもバチは当たるまい。仕事のスケジュールにも余裕があるし気分転換をしよう。友人にカフェと時間を指定したメールを送る。今日の今日でも大丈夫だろうか? すぐに了承の返信が来た。家を出る準備をする。選んだカフェは距離が近く(友人の家からも)、歩いて行くから車には乗らない。今日は休肝日みたいに言えば休車日になるかもな。家の鍵、それから連絡と決済のためのスマホをポケットに入れて玄関に向かう。

「生きがいについて悩んでんの?」と彼は言った。俺はウィンナーコーヒーを飲みながら頷く。彼は続けてこう言った。
「僕の昔話をしていい? 悩みを解決するヒントになるかもしれないやつ」
「ぜひお願いしますよ」と俺は頭を下げる。彼は話し出した。
「実は僕は乳児の時に人助けをしたことがあるんだ」
「本当かよ? まだ物心もついてなくてオギャアオギャア言ってるだけなのに」
「まあ、よく聴いてくれ。これは僕の成人式の際にそれを見に来ていた叔母さんから話してもらったことなんだけどな、僕が生まれた頃、叔母さんは自分もこれから子どもを産んで育てようか、それともやめておくか真剣に悩んでいたそうなんだ。当然だよな。出産と子育ては人生を一変させる出来事だし、責任も重い。だけど乳児の僕の姿を見て、ハッと自分も子どもを産んで育てることを決心したそうだ。『赤ん坊のあなたがが本当に愛らしかったから』とさ。乳児の僕が叔母さんの悩みを拭い去ったんだ。な、人助けをしてるだろ?」
「はー、なるほどなあ」
「世のため人のためってのは生きていく中で意識せずにしてるものなんだ。乳児の頃の僕のようにね。生きているだけで充分なのさ。明石家さんまも言ってたろ、『生きてるだけで丸儲け』って。生きがいについてそんなに深く考え込むことはないってことじゃないかな」
「言ってることは正しいと思うよ。だけどな、それでも生きがいに執着してしまうし、だからかもしれんが時折こいつは逃げ出してしまうんだよ。生きがいをどう飼うか自分の中で結論が出ない」
「こう考えたらどうだろう。もう少し聴いてくれ。と、その前に突然だけど猫を飼ったことはなかったよな?」
「実家が飼ってるよ」
「あれ、そうだっけ?」
「最近の話だ。学生時代にお前をウチの実家に招いていた頃はまだ飼っていなかった。保健所から引き取った雑種で色は黒。体躯は小さめ。帰省……と言うほど離れていないんだが、帰ったら肉球を触らせていただいている」
「それなら想像しやすいと思う。あ、偉そうに言っている僕もテレビで聞き齧っただけなんだがな。それによると、平安時代から中世にかけて日本で猫は一般的に紐で繋がれて飼われていたそうだ。現代とは違うな。生きがいの飼い方は現代のそれに近いかもしれない。紐で繋いでおく必要はない。だけど屋外に出ないように戸締りはきちんとしておく。家で遊びまわるのはいいけれど逃げてくれるな生きがいよ、みたいな」
 俺は生きがいが猫みたいに俺の脚に頭を擦りつけたり、本棚の上に登ったりする様を想像した。なるほど、生きがいとは猫だったのか。
「そういうもんかな」と俺は言った。
「そういうもんさ」と彼は言った。
 それからお互いに体の調子はどうだ、と尋ね合う。詳細は省くがこの友人は脊髄を悪くして右手に問題を抱えている。だが、聞くところ状態は良いみたいだ。よかったよかった。しかし、健康についての話が多くなると歳をとったと自覚する。若造なんだがな。自己暗示ではなく。

 14時手前に自宅に戻った。まだこれから何にでも着手できる時間だ。プールで泳いで一汗かくも良し、全力で体を休めるも良し。何にせよ、とりあえず充電をしておこうかとポケットに入っているスマホを取り出すと、メールが来ているのに気づいた。デジャヴだ、メールを送ることが何周か遅れで流行っているのか? 実家の妹からだ。

 ロコイサ(実家で飼っている猫の名前。黒猫だけど白い毛が点在しているところが、よくある白い面に黒い点が描かれたサイコロの逆だから)が脱走したから探すのを手伝って!

 俺は溜め息をついた。近年稀に見る慌ただしさ、今日はそういう巡り合わせだ。忙しないある昼下がりの物語。俺はその下手くそ語り部。すぐに実家まで車を走らせよう。休肝日みたいに言えば休車日になるかもな、なんて期待するから運転することになるんだ。車には悪い言い方だけど。
 ウチの実家で飼っている(そして逃げ出した)猫の特徴はもうご存じですよね? もし道端で見かけたらどうかご連絡を。それから生きがいの飼い方について一家言のある方もぜひ。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ