見出し画像

ショートショート|普通の人生を送るのって難しすぎない?

 人に歴史あり。以下の文章は、おかしな書き方をすれば「時代の寵児となった凡夫」の一代記です。あなたもこの男をどこかで見聞きしたことがあるはず。たとえ人生が驟雨であっても、それで生命が息吹くことを考えれば無駄ではない。どうかお付き合いを。まずは序文からです。 

 SNSや電子掲示板でこう述べられているのを(本当に)よく目にする。こう書くとまるで上から目線だが、そういうつもりがないことは承知してほしい。私もそう受け取られないよう重々気をつけたい。さて何が書かれているかというと「普通の人生を送るのって難しすぎない?」という内容だ。
 虐待やひどい貧困がない家庭で生まれ育つ。学生時代には勉強、部活、恋愛を存分に経験し、大学にも進む。当然、中退などはせずきっかり4年で卒業し、いっぱしの企業に就職するか公務員になる。安息の中で労働を続け、若いうちに結婚する。子宝にも恵まれ、温かい家庭。可愛い孫にも巡り合う。平均寿命前後の歳で惜しまれつつこの世を去る。
 そこに高望みはない。稀代の成功者にならなければ、という強迫観念もなく、確かに手が届きそうなものばかりだ。しかし、これらすベてを達成するのは大変難しい、というわけだ。そこには「一度レールから外れると二度と元には戻れない」という社会への諦念も見え隠れしている。実態が本当にそうかは議論が必要だが。しかし、概観は正しいように思える。例えば高い未婚率や晩婚化の現状一つとっても、これを統計を用いて精査すれば「普通の人生を送るのって難しすぎない?」という提言を肯定することになるだろう。

 彼はパセリと呼ばれていた。料理の主役にはなれないがシブい存在感があるところが彼らしかったから。あだ名は侮蔑の意味を込めてつけられることもあるけれど、彼の場合、親しみによるものだった。松井秀喜がゴジラと呼ばれているのと同じだ(この強打者ほどスター性を有しているわけではなかったが)。パセリ「君」に話を戻すと、人気者ではなかったけれど彼を好いている人間は多かったし(私も好意を抱いていた一人だ)、嫌われることなど到底なかった。ちなみに同い年の幼馴染で、家が近所だったため幼稚園、小学校、中学校、そして高校まで一緒だった。私は女子大に進学したため、ここで進路が分かれたが交流は依然として続き、お互いをよく知っている。そのことは下記で充分にあなたに伝わるだろう。

 パセリ君は熊本市西区で生まれた。父母は郵便局員(ちょうど父は郵政民営化の当事者となった)で、母はパセリ君を産むにあたって退職し、彼が小学校に上がるまでは専業主婦で、その後パートタイマーのヤクルトレディとして働いている。このパートの仕事をしているのは、主婦業の忙しさを上回るバイタリティを備えており、そのエネルギーを持ち腐らせるよりはという理由で、要は元々金銭的にそれほど不自由のない家庭だった。付け加えておくと両親共に酒、煙草、ギャンブルに近づかなかったし、さらに大人になった彼自身も誘惑に対して強かった。また、彼は人生を通じて私立の学校には進学しなかった。学費の面で孝行息子だ。両親からは教育的かつ、ふんだんな愛情をもって育てられた。羨ましい話だ。一人っ子だったため甘やかされたきらいもあるが。

 少し先を急ぎすぎたようだ。彼は高校まで近場の学校に通い、どういう生徒だったかと問われれば、「大人しい」と答えるのが適切だろう。「大人しい」にはいくつかの意味がある。そのうちの2つを引用すると『大辞林』にはこう書かれている。
(1)性格が穏やかで素直だ。落ち着いて静かだ。
(5)大人っぽい。大人びている。
 まさにこの点、彼はこの両方に当てはまる。それから、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる兄弟、ドミートリー、イワン、アレクセイ、あとスメルジャコフも? の中でどの人物に性格が似ているかだと、やはりアレクセイだろう。中高共にテニス部に所属(キャプテンではなかった)。高校卒業までに2人の女の子と付き合った。

 次に彼の大学時代についてだが、先述の通り私と同じ大学ではないため以降は伝聞と本人談がこれまで以上に多く含まれる。彼は山口県にある下関市立大学経済学部に進学した。将来、熊本県内の市役所で働きたいと考えていたらしく、そうなると生まれ育った熊本県でまた暮らすことになるから大学時代くらいは出身地を離れ、外の世界の空気を吸っておこうという心算だった。この計画は見事に成就し、下関市立大学をストレートで卒業後、帰郷し熊本県の山鹿市役所に勤めた。働きぶりは勤勉で、職場結婚も果たした。彼も妻も28歳だった。その1年半後に女の子が生まれ、さらに3年後に男の子が生まれた。一姫二太郎。パセリ君は節制し、浮いたお金で柴犬を飼い始めた。犬が好きで子どもの情操教育にも打ってつけだと考えたのだ。念願叶って子どもも犬も朗らかに育った。絵に描いたような幸せだ。
 パセリ君は家族でファミレスに行った帰りの車でハンドルを握りながらこう思った。人生のアガリを迎えたな、と。これからもリスクを取ることなく、コツコツ真面目に暮らしていこう。

 転機というものは誰にも分からないものだ。パセリ君が犬を飼っていることは既に述べた。彼と妻(寿退社済み)はこの犬の日常をビデオに撮って簡単な編集をし、YouTubeにアップロードしていた。これは金を稼ぐためでも、自己顕示欲を満たすためでもなかった。残念なことにこの愛犬が自分らより先に死んでしまうことを見越し、その姿を映像に残しておきたかったのだ。YouTubeにアップしておけば保存場所として便利だし、世界に公開する以上は編集もするため見返した際に無編集のものよりは見応えがある。
 不思議なもので、こうした肩の力が抜けていたところがむしろ良かったのか、それとも具体的には言葉にできないがこの犬の容姿や仕草が特別に和ませられるのか、アップされたビデオはかなり多く再生され、群雄割拠の動物カテゴリの中でも上位に位置することとなった。メディアからの取材もそれなりに。そして金を稼ぐためではない、と先述したが結果としてだいぶまとまった収益がこの家族に転がり込むことになった(パセリ君は公務員で副業が認可されていないため妻が主に動いた)。
 パセリ君は既に保有している資産とこれからの自分の公務員としての給料で充分家族を養えると判断し、これらの収益の半分を(当時で言う)仮想通貨に投じることを妻に促した。2017年初頭のことだ。ご存じの方も多い通り、市場が急騰し「仮想通貨元年」とも呼ばれる年で、ラッキーなことにその勝ち馬に乗れたかたちになる。
 増えた資産はさらにグラフィックデザインツールを提供する、またユニコーン企業でもあるCanva社の株に突っ込んだ。これまた急成長し……

 いやらしい感じがする、やはり金の話ばかりだと。実はここまでは序章に過ぎず、この後も彼の資産が雪だるま式に増え、キャリアも躍進するというサクセスストーリーは続き、果ては金字塔を打ち立てることになるが、その過程で表舞台に立つこととなった彼の姿を身近にいた私が敢えて書く必要はないと思う。プロの伝記作家に任せればいい。だから、ここで切り上げて彼の死について語りたい。
 彼は大金をもって妻と(いまひとつスタンダードにはならなかった)軌道エレベータに搭乗した。待望の宇宙旅行だ。彼は同意書にサインすると同時に、もし自分が死んだら慎ましい一代記を書いてほしいという手紙を私に寄越した。それはまるで予言だったのだ。宇宙曝露で弱ったカーボンナノチューブのケーブルに周回するスペースデブリが衝突し、この命綱は一つ残らず千切れた。パセリ君はステーションが望まない遊泳をし始めた時、緊急連絡で冗談めかしてこう言った。「普通の人生を送るのって難しすぎない?」と。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ