見出し画像

ショートショート|おめでとうという神話

 今日、8月8日は僕と双子の兄貴の14回目の誕生日だ。僕はこの日になると決まって一休さんが詠んだ狂歌の「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」を思い出す。来る日を迎えたということはまた一歩着実に死に近づいたいうことだ。だから僕が思うに、誕生日にはあの名称は分からないが誕生日会ほかパーティーの場でよく被る厚手の紙でできた円錐で派手な装飾の帽子ではなく、むしろ喪服を着て喪に服すべきではないか。人生が月の満ち欠けみたいに繰り返すなら話は別だけどね。ということを兄貴に話したら、「屁理屈の甲子園でも目指しているのか?」とか言われた。深紅の優勝旗を持ち帰ってやろうか。
 先ほど母はケーキを作るための材料、具体的には薄力小麦粉、牛乳、イチゴなんかを買いに行くと言ってスーパーへ出かけた。父も今日は仕事を休みにしており、今にも鉢巻を締めるのではないかというぐらい祝うのに気合が入っている。それはありがたいのだが、問題なのはこの父が過剰にイベント好きで毎年同じような誕生日会を開くのではどうも満足できない様子であるところだ。それで一考した父は誕生日の僕らに自作の謎解きを突きつけるようになった。一昨年からだ。「兄弟で協力して謎を解き誕生日プレゼントを掴み取れ! そうすれば喜びは何倍にも増すだろう」とか満面の笑顔で言って。
 僕らは毎年案外楽しんでいるが、もし父が僕ら以外の人間にも何と言うか不躾に謎解きを突きつけているのだとしたら合掌したいところだ。と言うのも、父は以前に野球や遊園地を題材にした謎解きを考案したと嬉々として語っていたが、僕らにそれが突きつけられたことはなく、ということは別の誰かがその謎解きと対峙したのではないかと僕は危惧しているからだ。
 
 さて父は僕らを呼び、インヴィテーションカードを渡してきた。そこにはこう書かれていた。
 
 おめでとう! これまでに、この瞬間に、これからに。さあ待ちに待った誕生日だね。君たちが生まれたことはまるで神話のような出来事だったとつくづく思うよ。今日もまた、おめでとうという神話の一節だ。
 誕生日会の会場は18時から貸し切っている。会場に辿り着くことができるかな? ヒントはこれだ。
 
 最小の非負整数 町村役場 句点
 オカヒジキ シュンギク
 
 父、母より
   追伸 18時までに会場に辿り着けなかったら場所を電話で教えるよ
 
 僕と兄貴は顔を見合わせた。文章としてはだいぶ簡素だ。「さて解いていこうじゃないか」と兄貴は言った。今は昼前。兄弟のプライドにかけて間に合わせなければならない。
 まず「最小の非負整数」とは何だろうか。これは数学の授業で習ったから分かる。「0(ゼロ)」のことだ。謎解きの取っ掛かりとしてまずは答えを導きやすいものを先頭に置いたのだろう。
 次に「町村役場」と「句点」だが、その言葉が示す辞書的な意味は分かるけれどもそれが並んで書かれている意図は分からない。兄貴も同じだった。ここで結構時間を取られてしまった。
 しばらくして、「『町村役場』という書き方に少し違和感を抱かないか?」と兄貴が言った。
「と言うと?」と僕は訊き返した。
「俺らが住んでいる町にももちろん役場があるが、それを日常会話で指すときは『役場』、もし地名を含ませたい場合は『**町役場』と言うだろう? 俺は『町村役場』なんて言葉は使わない」と兄貴は答えた。僕も「町村役場」という言葉を口に出してみたところ、確かに違和感があった。
「『町村役場』というのは何か専門的な用語なのかもしれない」と兄貴は言った。掘り下げる価値はあるな、と僕は思った。
「町村役場」という言葉が使われそうな領域について僕は考えてみた。行政、法、それから地理とか。そこでピンときた。僕は即座にインターネットで調べて確認をとった。
「どこかで『町村役場』という文字列を目にしたことがあるような気が微かにしていたんだよ。地図記号だ。地図上で『町村役場』を表す記号は『○(丸)』だよ」と僕は言った。
「ナイス! そうか地図記号だったか」と兄貴は言い、さらにこう続けた。「インヴィテーションカードの暗号1行目に書かれた最後の『句点』はそのまま『。(小さい丸)』と捉えてよさそうだな。『0』、『○』それから『。』、共通点は誰でも分かる。すべて円形だ」
 僕らはハイタッチをした。
 
 さて暗号2行目だ。
「オカヒジキって何だっけ?」と僕は兄貴に尋ねた。
「海辺とかに生える植物だよ。食べることもできたはず」と兄貴は答えた。なるほど、正直全く知らなかった。兄貴がオカヒジキのことを認知していたのが驚きだ。
「どっちかと言うとシュンギクの方が僕らにとって馴染み深いから、まずはこっちから考察してみない?」と僕は提案した。シュンギクは僕も知っており、すき焼きや天ぷらで食べたこともある。兄貴は了承した。
「じゃあ、とりあえず辞書を持ってきてシュンギクについてどう書かれているか教えてくれ」と兄貴は言った。
 僕は辞書を持ってきて「シュンギク」の欄を音読した。
 
 キク科の一、二年草。地中海沿岸原産。若い茎葉は独特の香りがあり、野菜とするため栽培する。高さ五十センチメートル内外。葉は、羽状に深裂。夏、黄色または白色の頭花をつける。菊菜(キクナ)。茼蒿(シュンギク)。季:春。
 
「情報が多すぎてどこから手をつければいいか分からないな」と兄貴は言った。僕も読むのに疲れてしまった。
 僕らは辞書を睨みながら何か糸口がないかひとしきり頭を悩ませた。しかし、少しも光明はなかった。
「シュンギクは置いておいてオカヒジキに移る?」と僕は言った。だが、そう口にした僕もシュンギクでこの有様だからオカヒジキも同じなような気がしていた。
「暗号2行目は保留にしてさ、1行目に戻ってみないか? 一応1行目はそれらしい答えが出たけどもっと深い意味があるかもしれない」と兄貴は言った。僕は同意した。
 
 改めて暗号1行目は『0』、『○』それから『。』ですべて円形。これは何を示唆しているのだろう? 三重丸に意味があったりしたっけ? 確か競馬では本命の場合、二重丸の印をつける。そういった要領で三重丸が使われている分野があったりして。僕は記憶を洗ってみた。しかし、これといった収穫もなく諦めかけていたその時、出し抜けに兄貴が口を開いた。
「三猿」
「え?」
「いや、3つの円だから『三猿』。これどう?」
 大きな前進になる気がした。見ざる、聞かざる、言わざるの三猿。そして僕に電撃が走った。
「さっき僕が読んだ辞書のシュンギクの欄に『菊菜(キクナ)』という別名がある旨が書いてあったよね。もしかしたら『聞かざる』と『キクナ』が対応しているんじゃないかな?」と僕はやや口早に言った。
「そうか! よしオカヒジキについても調べてみよう」と兄貴は言うが早いかインターネットでオカヒジキについて調べ始めた。そしてにっこり笑って僕にこう言った。
「オカヒジキの別名は水松菜(ミルナ)だそうだ。『見ざる』はこいつで決まりだな」
 残りは「言わざる」だ。僕は辞書を開いて「イウナ」で調べてみた。しかし、「雖(いうと)も」の次には「言うならく」とあり、「イウナ」はなかった。それから今度は「ユウナ」で調べてみた。そこには「夕菜」とあり、これは「夕食のおかず」であることが分かった。それを聞いた兄貴は「これは核心だぞ」と言い、こう続けた。
「誕生日会の会場は夕食を食べる場所そのもの、つまりレストランか何かの可能性が非常に高い」
 僕もそう思った。そういえば今朝スーパーへ出かけた母もケーキの材料を買うとは言っていたが、夕食の材料を買うとは言っていなかった。これもヒントだったのかもしれない。
「ただ俺たちが住んでいる町は大きくないとはいえ、飲食店は山ほどあるぞ。もっと絞らないと」と兄貴は言った。僕は返答した。
「聞いて。実はキクナ、ミルナ、ユウナという言葉を頭で繰り返す中で、ある別の言葉が浮かんだんだ」
「何?」
「南ヨーロッパ風の料理店を指す『タヴェルナ』だよ。『食べるな』からの連想」
「そうか! もしこの町にタヴェルナが1軒しかなかったら間違いない」
 僕らは家を飛び出した。
 
 向かったのは駅前の観光案内所だ。そこで僕は職員のお姉さんに「この町の飲食店の情報も網羅していますか?」と尋ねた。
「もちろんですとも。観光とグルメは切っても切り離せませんからね」と彼女は自信が垣間見える微笑みとともに答えた。それを聞いて安心した。
「この町にタヴェルナはありますか?」と兄貴が尋ねた。彼女はしばらくパソコンを操作した後に答えた。
「1軒だけありますね」
 
 18時にタヴェルナのドアを開けるとクラッカーの音が店内で弾けた。テーブルの上に南ヨーロッパ風の料理と母が作ったのであろうケーキが並んでいるのが目に入った。父と母はかの有名な「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」を歌った。インヴィテーションカードに書いてあった通りこの店は貸し切られているため他のお客さんはいないが、代わりにコックがいて笑みを湛え拍手をしている。何とも気恥ずかしく、僕らは照れ笑いをしてしまう。店内は笑顔で満ちている……と思いきや、父だけどこか浮かない顔をしている。父は言った。
「すまない、ついさっき気づいたんだが、謎解きを考えてこの店を貸し切ったりインヴィテーションカードを作って君たちに渡すのに気を取られて肝心の誕生日プレゼントを買うのを忘れてしまった……」
 なんだ、そんなことだったのか。まったく気に障らない。兄貴もきっと同じさ。月の満ち欠けみたいに人生が繰り返さない限り誕生日には喪に服すべき、なんて無粋なことを言ったのは誰だ? 誕生日の今日は年に一度きりでまた素晴らしい、あたかも中秋の名月のような日なのだから。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ