ショートショート|コーラに浸したミスター・ブルー・スカイ
どうしようもなく夏だ。あくまで入道雲は白く高い。クチナシの香りがする。短めのハーフパンツから伸びた脚の脛にぶつかる風が心地良い。
僕が高校3年生の頃——厳密には終盤の受験真っ盛りの時期——に、僕も例に漏れず勉強に根を詰め憂鬱にもなっていたのだが、ある日クラスメイトでたまたま同じ大学を志望していたためよく話していた女の子がこう助言してくれた。「心が疲れた時には幼少期によく耳にしていたアニソンを聴くといいよ。『クレヨンしんちゃん』とか『名探偵コナン』とか」
なかなかどうしてこれがすごく効く。ノスタルジックな気分になった後、心の泉の底からエネルギーが湧いてくるのだ。無鉄砲、良いように言い換えればその瞬間に全力だった幼少期が蘇るからだろうか。今でもそういったアニソンをまとめた自分なりのプレイリストを持っていて、へこんだ時には再生する。彼女にはまともな礼を言いそびれたが、僕が人生の中で他者から与えられた教訓の中でも抜群の有用性を持っている。僕は大学4年生だが、今後これに比類するものと多く出会えるだろうか?
たった一言二言で人は救われる。小さくも大きくも、広くも深くも。僕も実践しなければならない。じゃないと生きる上で張り合いがない。だから(これは楽しいな)と感じるちょっとした活動を紹介させてほしい。万人がそれを楽しいと享受できるかは疑問だが聞いて損はさせないつもりだ。タイトルをつけるなら『コーラに浸したミスター・ブルー・スカイ』。今まさにこの活動を終え、家路を辿る最中に左脳で内容をまとめている。夏の昼過ぎ。ほら、信号もそろそろ青に変わる。
初っ端から条件をつけるのは心苦しいが、今の僕のように実施するのはできれば夏のよく晴れた日がいい。このことは以下の説明で自ずと分かってくると思うが一応。しかし、こういった〈日和〉があると待ち遠しくなって良い、と個人的には思っている。長期休暇中にだけ会える遠距離恋愛のようなものだ。
まず、エレクトリック・ライト・オーケストラの『ミスター・ブルー・スカイ』を屋外で聴く準備をしてほしい。〈騙されたと思って〉という言葉を(僕は一生のうちにこの胡散臭い言葉を使うことがあるのだろうか)と思いながら見聞きしてきたが、ここではついに用いたいと思う。ええ、騙されたと思って。難しくないし大金もいらない。たとえばiPhoneでApple Musicのサブスクに加入するのが今時だし手っ取り早いが、別にテープレコーダーとカセットテープでも構わない。 最終手段、この曲を知っている家族なり友人なりに歌ってもらって、それを記憶し脳内でリピートしてもいい。
そしたら家を飛び出そう(古い言い回しだ)。さて、あなたの街にコカ・コーラ社の自動販売機はあるだろうか? 僕は離島を旅するのが趣味の1つで、自慢じゃないが自動販売機がない島があることも重々知っている。だからといって不幸ではないことも。コーラがなかったら別の飲み物にしよう。公園にある水飲み場の水でももちろんオッケー。結局、目的は形而上にあって先述の『ミスター・ブルー・スカイ』やコーラという具体は便宜的に登場しているに過ぎない。
もうお分かりの通り、家を出発したら『ミスター・ブルー・スカイ』をリピートで鑑賞しながらコーラが冷えている自販機まで歩こう。ノってきたら鼻歌も。月並みな言葉だが音楽は素晴らしい。本当に。本当に。お手軽に絶望を味わう方法がある。世界から音楽が消えることをきめ細かく想像するのだ。話を戻すと、しっかり聴けるようにコーラを手に入れるまでそれなりに距離があることが望ましい。汗をかいたらその分だけ飲む際の爽快感も増す。
ついにコーラとの逢瀬の時だ。そうだ、なぜコンビニやスーパーではなく自動販売機での購入を薦めるのか言っていなかった。前者2つの場合、商品をピックアップし会計をする間に建物のクーラーで体が冷えてしまい、飲む際にコーラの冷たさを存分に味わえないからだ。
さて、コーラを迎え入れたら逸る気持ちに任せて思い切り飲もう。あの芳醇な液体を流し込むために唇をつけて傾けた際に、斜め上を向いた目に太陽の光がこれでもか差し込まれたら最高。コカ・コーラ社の赤と大空の青が反倫理的にじゃぶじゃぶと溶け合う。その後、有機交流電燈のように胃の中で仮定された大空が、流れ込んできたコーラでこれでもかと浸され、最後には頭がクラクラする。
少し長くなってしまったが聴いてくれてありがとう。言いたいこと、そして言うべきことを済ませ、僕としては清々しい気持ちだ。
……ちょっと待ってくれ。僕は思わず立ち止まった。ある種の憑き物が落ちたことで僕は気づいてしまった。例の「アニソンを聴くといいよ」と助言してくれた「彼女にはまともな礼を言いそびれた」なんて僕はノタマったが、よく考えてみれば電話でもして早急に礼を言うべきではないのか? なぜそれを今に至るまで為していない? 自己弁護だがたまにこういうことがある。
「もしもし、久しぶり。今、時間は大丈夫? よかった、そんなに長くはならないから。要件だけ伝えるね。あの、高校生の頃にさ、君が僕に『心が疲れた時には幼少期によく耳にしていたアニソンを聴くといいよ』ってアドバイスしてくれたことを憶えてる? ……そうか。……そうだ、君自身、アニソンを聴く習慣はある? うんうん、それでさ、特に『クレヨンしんちゃん』とか『名探偵コナン』のが好きでしょ、まさにそういう話だったよ。……ごめん、なんか問い詰めてるみたいで……。どうかしてたよ。僕の本心としては、このアドバイスをしてくれたことに感謝したかったんだ。ありがとう。バタバタしちゃってごめんね。いやいやいやそんな、僕の身勝手だから。本当にありがとう。そうだね、冬休みだったら。じゃあ、その前に。うん、またね」
電話を切ると聞こえてくるのはアブラゼミのジジジジリジリジリという鳴き声だけになった。彼女に電話をしたのは考えてみれば行き当たりばったりのハタ迷惑な行為だった。彼女の誠実な対応だけが残り、僕をひどく冷静にさせた。いや、意気軒昂の反動による寂寥感とも言うべきか。精神科を受診したわけではないから下手なことは言えないが、僕はごく軽い躁鬱病なのかもしれない。居た堪れない気持ちだ。
それから、僕が金言だと思っていたものは彼女にとっては大したものではなかったようだ。この乖離に、なぜかひどく恥ずかしさを覚える。
ああ、廃墟が蜘蛛の巣まみれになるみたいに心を余計な思考に支配される。爽やかな晴れた夏の昼過ぎとは裏腹に僕の心はどんより。こんな時こそ『ミスター・ブルー・スカイ』を聴いてコーラを飲まなくては。アンコール、そして拍手。僕は踵を返した。鼻で大きく息を吸うとそれだけでだいぶ気が紛れた。口でゆっくり息を吐くともう翳りはない。なんといっても夏空の下だからね。やっぱり躁鬱気味だよ。電話すべきなのは精神科の予約だ。でも今だけはこの盛夏に溺れよう——
人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ