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ショートショート|巻き戻してよガリレオビデオ

 僕の青春は長方形だ。動画共有サイト『ガリレオビデオ』、その動画が流れる長方形のスクリーンに日々齧りついているから。その執着した様子は「血眼になって」という慣用句がまさに当てはまるが、一方で寝不足とドライアイで医学的にも眼を充血させている。やめられない、とまらない。客観的に見ればそんなところだろう。

 ガリレオと聞くと魅惑のイタリアという印象だが、このサイトを運営しているのは日本の企業で利用者もほぼ日本人らしい。僕としてはその方が身近で良い。グローバル化が叫ばれる昨今ではあるが、ローカルの良さもある。このサイト名も深い意味はなく言葉遊びでつけられたそうで、そういう軽さが僕は好きだ。動画を誰でも投稿できて誰でも視聴できる。内容のすべてを列挙はできないがジャンルを一部挙げると音楽、ラジオ、アニメ、ゲーム、スポーツ、動物、料理、政治、科学などなど。それからガリレオビデオを特徴づける「分類が難しい動画」も多い。メインカルチャーもありサブカルチャーもあるが、割合としては後者が圧倒的に大きい。ハイもカウンターもある。
 先日、本を読んでいたら「暗渠」という言葉が書いてあった。これは簡単に言うと外から見えない水路のことだ。存在を市井に人々になかなか認知されないが縁の下の力持ちとしての役割を全うし我々の生活を豊かにしてくれている。僕はガリレオビデオのほんのごく一部の動画しか視聴できていない。が、未視聴の動画もあたかも暗渠のごとく知らないところで、しかし堂々と流れている。むしろこの未視聴の動画があるという事実が僕の心を温めてくれているのかもしれない。
 アリストテレスは「全体は部分の総和以上の何かである」と述べたらしいが、ガリレオビデオを利用していてその言葉が意味するところが分かった。運営、サイトを構築する装置、動画の投稿者、視聴者、他にもさまざまな要素が組み合わさった結果ガリレオビデオは形作られているわけだけれど、それ以上の何かが確かにある。

 中学1年生の時に校内で行われたスケッチ大会で僕の描いた絵が入賞した。そのご褒美として買ってもらったのがノートパソコンのThinkPad X300だ。2005年にLenovoがIBMのパーソナルコンピューター事業を買収し、以降しばらくThinkPadにはあの特徴的なIBMのロゴがついていたりついていなかったりしたが、2008年に僕の手に渡ったそれにIBMのロゴはついていなかった。僕はこの愛機とインターネットに飛び込み、程なくしてガリレオビデオと邂逅した。それからの作業はおよそ同じだ。動画のタイトルとサムネイルで良さげな動画を見繕いクリックする。動画を視聴する。ブラウザバックする。クリック、視聴、ブラウザバック、クリック、視聴、ブラウザバック、クリック、視聴、ブラウザバック、クリック……。

 僕は現在中学3年生で進路を考える時期に入ったからかもしれないが、最近はこういうことを考えている。「勉強をしましょう」を筆頭に「将来のために……」と大人は言うが、その将来には一体何があるというのだろう? その将来にはまた曖昧模糊な将来があるのに。問題の先送りのように思える。考えるに、現在に喜びを見出すこと以上はないのだ。僕にとってはそれはつまりガリレオビデオを楽しむことだ。僕は高校に進学しようとは思わない。なぜなら僕が学歴を含むキャリアを華々しいものに育てようが育てまいがガリレオビデオは変わらず門戸を開いてくれるから。あるいはインターネットの海をブイのように漂ってくれるから。進路に悩むのもそうだが、幸せについて考えると決まって反対に虚しい気持ちになる。

 しかしある日、以前ほど僕はガリレオビデオに熱を上げていないことに気づいてしまった。雷による停電で照明がパッと消えるようにそれに対する執着が僕の中から消えてしまったのだ。変わったのは僕か? ガリレオビデオか? グレーゴル・ザムザか? 彼の周囲の人間か? 僕には分からない。ガリレオビデオは充分に利用者に目を向けたり意見に耳を傾けたりしていないと批判する人がいる。いや、むしろ利用者に阿っていると毒づく人もいる。要するに向上心がないんだよと利いた風な口をきく人さえいる。
 僕は何かに責任を押し付けるつもりはない。ただ、ガリレオビデオを心から楽しめていた頃に戻れたらいいのにと心から思う。シークバーをスライドさせることで動画を(テープではないけれど)巻き戻し、前のシーンに遡るように。ねえ、君と僕の仲だろう、巻き戻してよガリレオビデオ——と呟きたい気持ちを僕はそっと抑える。

 僕の青春は長方形だった。動画共有サイト「ガリレオビデオ」、その動画が流れる長方形のスクリーンに日々齧りついていたから。だけどもう眼は充血していない。もう昔みたいではないから。客観的に見ればそんなところだろう。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ