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アピアランス〈外見〉問題と原子爆弾(前編)|『子育て支援と心理臨床』より⑤

 子育て支援に関わる人々の協働をめざし、心理臨床の立場から子育て支援の取り組みと可能性を発信する雑誌『子育て支援と心理臨床』が、年1回小社から刊行されています。各号では子育てに関わる様々なテーマを特集してきましたが、そのほかにもエッセイや連載などで多角的な視点から子育ち・子育てを考える記事を掲載しています。このコーナーでは、そのなかから特に人気の記事・連載を紹介していきます。
 前回に引き続き、医師の原田輝一さんによるアピアランス〈外見〉問題に関する連載を掲載します。

 現代社会において、人の健康や幸福と深く関連する外見(アピアランス)。病気や外傷により外見に不安や困難を抱える人々に、どのような心理社会的支援を行っていけるのでしょうか。
 原田輝一さんは、医師として治療に携わりながら、新興の学術分野である「アピアランス〈外見〉問題」の最新の研究成果を紹介し、その学術的知見と技術の導入をめざしています。本連載では、アピアランス〈外見〉問題の概要や、それに対処するための研究とケア開発の歴史について、事例を交えながら紹介していただいています。

*下記の内容は、『子育て支援と心理臨床vol.20』から転載したものです。『子育て支援と心理臨床』の詳細はこちらをご覧ください。

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 今回のエッセイのお題は、えらく恐そうな雰囲気である。この20号と次の21号の2回にわたり、前後編として書かせていただくことにした。
 
 これまで4回のエッセイでアピアランス〈外見〉問題とは何か、それに対処するための研究やケア開発の歴史について触れてきた。また、そうした問題へ個別にアプローチする時に立ちはだかる困難さについても、よもやま話をまじえながら、何となくその輪郭がわかるように紹介してきた。ざっとふり返ると以下のようなテーマでエッセイを綴ってきた。ハンディキャップを抱える子どもへの母子密着がいかに重荷になっているか(16号)、社会性をともなって発達しなかった青年が陥る孤独感と焦燥感、そして抑うつと攻撃性との間で揺れる様子(17号)、そうした問題の増悪因子としてメディアの問題(18号)、この問題への解決のアプローチは多様であることを示唆し、ケアラーの立場そのものへの考え直し(19号)。
 2020年9月の日本心理学会第84回大会において、おそらく日本で初めて、本格的にこの問題が取り上げられた。ニコラ・ラムゼイ(Nichola Rumsey)氏の海外招待講演と、彼女もまじえてのシンポジウムが行われた。残念ながら新型コロナ感染症の影響下でウェブ開催となってしまったのだが、逆に2か月にわたる開催期間中、自由に閲覧できる形式であっため、実際には多くの方にご覧いただけたのではないかと思っている。そこで紹介されていた多くの事項は、アピアランス〈外見〉問題の現状と最前線の対策についての総括的発表として相応しいものばかりだった。まさしくこの10年の総括のような内容に仕上がっているので、何らかの形で、できれば論文などで残せないか検討中である。
 そこで今回は趣向を変えて、アピアランス〈外見〉問題を生み出す背景の文脈について考えてみようと思う。今までは標準的な現代社会での文脈で述べてきた。非常にだいそれた言い方になってしまうが、今回のエッセイは、人類という最大規模の文脈の中で、この問題を捉え直してみたいと考えている。
 「で、なぜ原爆が?」と思われる方も多いだろう。

私と原爆との関わり

 原子爆弾(原爆)は有名だが、私は核兵器について詳しくなく、国際情勢などについてはもっと素人である。今回、このテーマを中心にエッセイを進めるのは、私にちょっとしたきっかけがあり、この問題を深く考えるようになったからだ。アピアランス〈外見〉問題と原爆には深い関係があり、原爆は人類史上もっとも過酷な試練をもたらしたと痛感している。それはどういうことなのかを話す前に、まずは私に訪れたきっかけから話を始めることにする。
 おそらく多くの方がそうであるように、私も原爆についてあまりよく知らなかった。「ピカドン」というように、最初の閃光でひどい熱傷を負い、その直後の衝撃波で街が破壊された。それから残留放射能の影響で、いまだに多くの生存者が後遺症に苦しんでいる。私の知識はその程度だった。
 2014年、NHKの大型企画部の方々からアプローチがあった。大型企画といっても私には初耳だったが、要するに「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」など、特集番組を作成している部署だった。
「来年の2015年は戦後70年で、NHKとしては特集番組を多く作ります。戦争経験者が減っていく中、後世に残すべき声や資料を番組化していきたいと考えています」
「はあ、それで私には何を……」
 そんなやりとりの中でわかった先方の主旨は次のようなことである。これまでの原爆に関する特集では、現存する人的問題(放射線障害など)でも衝撃波による都市破壊でも、鎮魂という文脈のもとで、過度に刺激的な場面は避けて番組作りをしてきたという。しかし戦後70年をふり返ってみると、あの事件の本当の惨さがこれまで伝わってきたのかどうか疑問である。そこで来年の戦後70年では、原爆の問題として今まで一度も扱われることがなかった、熱傷に焦点を当ててみたいということだった。そして彼らが付け加えたことは、
「それなりに熱傷のことも勉強してみたんですが、どうも原爆の熱傷がわからなくて……番組を制作するにあたり、どう切り口を見つけていったらいいのかが……」
「熱傷の専門家なら全国にたくさんいますが……広島にも長崎にもおられると……」
「それはそうなんですが……どうも話がうまく進まなくて……」
「?」
 当時の私は学会役員でもあったので、たってのお願いということならば、協力しないわけにはいかないと考えていた。それで、とにかくデータを見せてもらうことにした。それから個人的関心として、原爆乙女たちのその後について知りたかった。当時は顔にケロイド瘢痕を負った人が多かった。特に当時の女性においては深刻な問題であったのは間違いない。何人かの女性はアメリカ側の支援を受けて、形成外科手術を受けに渡米したという記録が残っている。その人たちはその後どうなったのか、問題は解決したのか、その後に納得のいく人生を取り戻すことができたのか、そうしたことが気になっていたのだった。
 「どこまで有用な協力ができるかわかりませんが、まあとにかく資料を見てみましょう」ということでNHKと私との協力関係がはじまったのだった。

原爆に関する公式談話との乖離

 そこで最初に始めたのは、原爆当日の写真を高解像度で拡大してもらい、それを吟味して、通常の熱傷と原爆の熱傷との違いについてチェックしてみることだった。実は、当日の爆心地の様子がわかる写真は2枚しか残っていない。爆心地から2Km離れたところにある御幸橋での光景だ。昔、明治天皇が何度も行幸で渡ったことを記念して「御幸」と名づけられたところだ。1945年8月6日、爆心地から何とか逃げてきた被災者たちを臨時で救護した場所でもある。写真に写る様子を観察していると、意外な現象がいくつか目についた。その疑問に駆られて、広島と長崎の資料館収蔵の写真や目撃証言の手記も多数チェックすることになった。

 原爆について簡単に解説すると、爆発する前に中性子線やガンマ線などの放射線が放たれ、次に爆発が始まり、高温の火球が現われる。広島と長崎では半径が約200~300mだったと言われている。この表面温度は数千度にもなる。その火球が急速に膨張することによって衝撃波が生まれ、周囲に伝わり街を破壊する。ここで一般的に思われている間違いを指摘すると(何を隠そう私も間違っていたのだが)、この衝撃波が火球の表面温度を運び、地表温度も1000度以上になったと思われていることである。何が間違っているかというと、衝撃波は圧力波であって、爆風ではないことだ。つまり、火球表面付近の空気が風によって運ばれて、地表に達するのではない。圧力だけが伝わってくるために、実際の空気はほとんど元の場所を動かない(とはいっても、2~3秒だけは強風となる)。つまり、火球表面で高熱になった空気が、地表を焦がすわけではないのである。
 それではなぜ地表は高温になったのか、なぜ熱傷が発生したのか。理由は「ピカ」に該当する閃光である。これは可視光と赤外線を含んでいる電磁波である。赤外線は、例えば炭火からの熱であり、たとえ明るい光が見えなくても、波長の長い電磁波が作用して、あらゆる物体を加熱する。それよりも長い波長になるとマイクロ波や電波となって、熱を発生させることはない。可視光は反射しやすいものには吸収されにくく、吸収されやすいものには大きな熱を発生する。つまり、黒色や紺色など、暗い色の衣服や物体にはよく吸収され、大きな熱を発生する。しかし、どの物体も同じ温度になるのではない。それには比熱が関わっている。つまり、光の透過性がよくて深くまで進入するとか、また熱伝導がよい物体では、熱が表面にたまらず分散するので、極端な高熱にはならない。逆に表面で発熱するものは、相当な高温になる。瓦の表面が泡だったというのは、おそらくこの例に該当するのだろう。
結局、体内に入った光によって体内物質が発熱し、そのために原爆特有の熱傷が起こるという仮説にいたった。それを検証するために、膨大な数の証言記録を読みに広島と長崎を訪問し、また日本語や英語を問わず、様々な書籍も参考にした。いろいろな工夫を重ねるうち、やがて無事に番組はできあがった。

まとまった成果と新たな疑問

 2015年はNHKスペシャル「カラーでみる太平洋戦争―3年8か月・日本人の記録」と「きのこ雲の下で何が起きていたのか」が放送された。幸い両方とも好評で、前者は菊池寛賞を受賞し、後者も様々な映像賞をいただいた(両方ともDVD化され購入可能)。盛り込みきれなかったコンテンツについては、2017年のNHKスペシャル「原爆死―ヒロシマ72年目の真実」になり、書籍化もされた(『原爆死の真実』NHKスペシャル取材班著、岩波書店、2017)。2020年には戦後75年の節目としてNHKスペシャル「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」が放送された。せっかくなので論文としても後世に残そう思い、英文誌で論文化した(Nuclear Flash Burns, Burns Open 2:1-7, 2018)。
 思い出深かったのは菊池寛賞の授賞式のことであった。その回に同時に受賞されていたのが、『日本でいちばん長い日』の著者であり有名な歴史家の半藤一利氏(2021年1月12日に逝去)、長らく原爆詩の朗読活動をされていた女優の吉永小百合氏がおられたことだった。特に半藤氏は、『日本でいちばん長い日』で、原爆投下から終戦に至る過程を小説化し、本道の歴史観を確立している。また、会場にはナレーションをつとめた松平定知氏もおられ、懇意にお話しをうかがうことができた。ただし2人とも酔ってしまい赤ら顔になったため、残念ながら記念写真はお願いしなかったのが心残りではあった。
 そうした成果が出てくるのに反比例して、新たな疑問が私に湧きはじめた。人類とはなぜかくも不条理なことをしてしまうのか。問題はアメリカ側だけにあるのではなく、日本側にも戦争中の問題は多々ある。というよりも、グローバル経済そのものが不条理を抱えているといったほうがよいだろう。核兵器や関連兵器を手離せない世界は、別の問題も抱え込んでしまっている。温暖化対策もその1つだろうし、SNSを中心としたメディア時空が制御不能のまま拡大し続けるのもその1つだろう。地球上でもっとも賢いはずの人類は、集団となる時、隠しようのない不条理を露呈してしまう。
 話は大きくなりすぎたが、アピアランス〈外見〉問題に苦しむ人たちも、その問題解決困難の背景には、こうした人類の不条理と関連した問題が横たわっていると私は睨んでいる。原爆乙女らを苦しめていただろう不条理を思索しながら、原爆熱傷の論文で語りきれなかったことを執筆しようと、その構想を進めている最中である。

さらなる疑問が……

 日常の仕事のかたわら、アピアランス〈外見〉問題に関連する書籍や、それに関連する問題も抱えている原爆外傷や、そうした執筆をこつこつと進めているのが私の日常である。ところがそこに、また想定外の情報が飛び込んできた。
 かねてより親交のあったミヒャエル・パルマが、『Hiroshima Revisited』という本を出した。彼も医師だが、現在はカナダの大学で生化学を研究している分析化学の専門家だ。研究のかたわら、こつこつと原爆に関する資料を入手し、検討を続けていたのだが、その成果をまとめた本を世に出したのである。
 内容の要旨は、広島と長崎で原爆と称しているものは、核爆発ではなかったということだ。代わりにマスタードガスやナパームが使用されたという。海外で入手できる限りのエビデンスについて検討し、核爆発では説明できないという結論に達したのだ。
 仮にその結論を信じるとして、そもそもなぜそのようなことをアメリカ側は画策したのか。彼は歴史家ではないので、主流となっている戦後歴史家の意見を引用している。それによると、広島と長崎の原爆とは、日本を降伏させるための秘密兵器でもなかったし、ソ連を威嚇するためのパフォーマンスでもなかったという。一般市民への核攻撃という前例を作り、こうしたことに軍備予算を確保すること、そして平和を保証する世界政府構想(グローバル政府)を押し進めるためだったという。その目的は理解できるとして、それを実現する方法として、なぜ人間は、このようなことをしでかすことができるのか。そしてその悪行の下で、一生癒えぬ傷を負って生きねばならない人間が多数生まれる不条理。そうした人々を救う方法はありえるのか。これからの予防はできるのか。
 アピアランス〈外見〉問題を考えてきた私は、結局は人類というスケールのもとでの不条理が最終的なターゲットになるだろうと思っている。それには原爆乙女の問題や、彼女らを追い詰めた世界も関わっている。パルマが初めてではないのだが、フェイク原爆という主張は、この深みの底にわれわれを引き込んでしまう気がする。私はあえてその底を覗いてみようと考えているのだが、その本論は後編へと引き継がれてゆく。


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