大論争(1941-45)にて:クラインの意見表明
Klein, M. (1944). The Emotional Life and Ego-Development of the Infant with Special Reference to the Depressive Position. In The Freud-Klein Controversies 1941-1945, p.566-599, Routledge.
Abram, J. & Hinshelwood, R.D. (2018). Early psychic development. In The Clinical Paradigms of MELANIE KLEIN and DONALD WINNICOTT. Comparisons and Dialogues, pp.41-65, Routledge.ジャン・アブラム、R・D・ヒンシェルウッド『クラインとウィニコット 臨床パラダイムの比較と対話』第Ⅱ部「早期の心的発達」、岩崎学術出版社、2020。
クラインによる「特に抑うつポジションとの関連から見た乳児の情動生活と自我の発達」は、「大論争」において1944年に発表された、クライン派からの第四の論文である。
この論文を理解する文脈としては、クライン自身の展開と、論争に関わるものがありそうに見える。具体的には、彼女が「躁うつ状態の心因論に関する寄与」(1935)および「喪とその躁うつ状態との関係」 (1940)で展開した、「抑うつポジション」についてのより明瞭な記述が期待される。しかしながら、この論文は発達が主題であり、病理例を取り上げておらず、主に観察例に基づいて論じている。だからここでの抑うつポジションの「克服」は、正常の発達過程であり、二つの先行論文との連続性は乏しい。
大論争は論点が古く、その議論は渦中にいない者にとってはかなり縁遠いものになっている。スーザン・アイザックスによる第一論文「空想の性質と機能」は、1948年に国際誌に掲載されて、クライン派の基礎文献として残った。だがポーラ・ハイマンによる第二論文「早期発達における摂取と投影の役割の幾つかの側面」およびハイマンとアイザックス共著の第三論文「退行」は、その後ほとんど引用されていないようである。
大論争の全貌は、The New Library of Psychoanalysisシリーズの第11巻として刊行された『フロイト―クライン論争1941-1945』に収録されている。論争の詳細を知るには、編者の序論から目次・解説・会議録・発表論文・討議・・と合わせて千ページ近い文書を読まなければならないが、ここではウィキペディアの要約で十分なので、その英語版を参照しておく。ちなみに「フロイト―クライン論争」のフロイトは、創始者のS.フロイトではなくて娘の方を指す。
「大論争とは、英国精神分析協会での長引いた一連の会議で、1942年10月から1944年2月にかけて、ウィーン学派とメラニー・クラインの支持者たちの間で行なわれた。論争の結果、戦後英国協会では、訓練はクライン派、アナ・フロイト派、中間派(後の独立派)の三派に分かれることになった。
これらの集会では、古典的フロイト派の分析とより新しいクライン派の理論の間の違いが、かなり激しく議論された。フロイト派の側は主にアナ・フロイトによって代表され、クラインが幼い子供たちの分析者としての仕事の結果として提起した、理論および方法の改訂に対して、彼女は抵抗していた。クライン・グループには、スーザン・アイザックス、ジョーン・リヴィエール、ポーラ・ハイマン、ロジャー・マネー・カールなどが含まれていた。アナ・フロイト・グループには、ケイト・フリードランダー、ウィリー・ホッファーらがいた。「中間グループ」は、調整力を発揮しようと努めて、エラ・フリーマン・シャープ、ジェームズ・ストレイチー、シルヴィア・ペイン、ドナルド・ウィニコット、ウィリアム・ギレスピー、マージョリー・ブライアリー、そして後にマイケル・バリントが加わった。
最終的には1946年11月の正式合意において、一つはアナ・フロイト派に属する候補生のために、もう一つはフロイト派やクライン派の分析者者たち、そしてどちらかに与しない中間学派あるいは独立学派の分析者たちからの訓練を包含したものという、二つの並行した訓練コースが設立された。これに基づいて、協定は次のように規定した。
・訓練生の選抜・訓練・資格認定に関するあらゆる事項に責任を持つ訓練委員会を1つ設けること。
・学生はどちらかのコースを選択することができる。
・講義とセミナーは、技法に関するもの以外、全訓練生に共通とする。
・訓練生は、自分のコースやグループの分析者が行なう臨床セミナーや技法セミナーに参加する。彼らは、他のコースの分析者のセミナーにゲストとして参加することもできる。
・最初のスーパーバイザーは自分の所属するグループから、2番目のスーパーバイザーはどちらにも与しない中間学派からでなければならない。
・3年次には、すべての訓練生は両方のコースの教師たちが運営する臨床セミナーに参加する。
さらには、英国精神分析協会の主要政策を決定するすべての委員会には、三つのグループから代表者を出すことが合意された。」
このように三派は、技法つまり実践の仕方に結実する形で、発達過程・心の構造と機能・精神分析の役割の理解において異なってきた。
クラインの1944年論文は、彼女の他の論文とは違って、小見出しとフロイトの引用を中心にした文献注が付いている。それは読みやすさのため、そしてフロイトとつながっているという正統性あるいは異端性の否定の主張のためのようである。小見出しを列記して確認しておくと:
序論
早期対象関係
早期対象愛
不安と罪悪感の起源 (最も長い節)
喪失と悲嘆の感情
乳児期抑うつポジション
乳児の情動的生活への接近法
摂食の諸問題
罪悪感と償いの願望
抑うつポジション、防衛機制、自我の発達
象徴形成
適応と統合の成長
知的発達と情動的発達
理解困難な乳児
結論
見て分かるように、見出しの段階では主題の提示のみであり、何に関してどう異なるのか、を明示するスタイルではない。本文では、アナ・フロイトの見解への批判が多いが、その確認は実際の講読で行なうとして、他に考慮した方が良さそうな着眼点を挙げておこう。
・乳児期の喪失と抑鬱経験は、鬱病とどう関連しているのか
離乳を頂点とした経験の中核には、確かに抑うつが存在するが、それは同時に新しい対象関係(離乳食・・)に開かれる経験であり、喪失することになる対象との固執がメランコリーとは異なる。
・対象関係はいつから存在するのか
・愛情・憎悪といった情動は、欲動とどのような関係があるのか
性欲動=リビドーの三段階は、フロイトを踏襲する以上、単なる比喩ではなく実在するものとして扱わざるをえない。しかし欲動は対象と関係を持つ主体ではなく、全体対象が登場しないのに情動関係を言うことには、無理がある。倒錯的関係は、退行として成立している。また、破壊性の分類は、フロイト自体に変動がある。
・フロイトが「神経症的なものと正常なものの間には構造的な差異はない」と発見したからと言って、「精神病的なものと正常なもののについても同じことが正しい」と主張できるのか。
・同じく、成人の精神病者と乳幼児の不安と空想の経験は、不安と空想において類似性を認められるだろうが、「喪の感情が小さな規模で経験されて徐々に克服されていく」といった漠然とした記述以上に、どこがどう異なるのかは明示されていないようである。
・この論文は、治療関係の外から養育環境を含めて乳児を観察した素材に依拠している。その点で、乳幼児あるいは患者の内的体験の報告のような臨床論文とは異なり、経験を辿っているところは少ない。発達が中心なので、肯定的・陽性の感情と経験が評価されており、後年の「感謝」に近いものに触れられている。しかし「貪欲さ」は登場しても、「羨望」への言及は見られない。
・「象徴形成」が「昇華」の一形態であるという指摘は、ペトーで詳しく論じられている(Petot, J.-M. (1990). Melanie Klein, Vol. 1. First discoveries and first system 1919-1932. (C. Trollope, Trans.). International Universities Press, Inc.)。
クライン論文は、実在の母親を中心とした環境との相互作用も論じている。それはウィニコットの考えとどう関わっているのか――それを歴史的に詳述したものは見当たらないが、2月のセミナーで取り上げるもう一つの、アブラムとヒンシェルウッドの対話は、概略を把握するのに役立つだろう。