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お仕事1年振り返り

今年も残すところあと少しですね.
次第に慌ただしくなってきて,季節を感じます.
さて,本業は月刊誌の編集をしていて,今年も無事に12冊出すことができました.
その中で「編集後記」という編集担当が所感書くコーナーが隅っこの方にあります.普段はFacbeookで発売された日くらいに雑誌に掲載された時から少し加筆・修正したりしてアップしているのですが,せっかくなので本記事にて今年分の編集後記を載せて,1年を振り返ってみようかなと思います.


1月号

最近,VRゴーグルと触覚機器,センサー等によって遠隔でロボットを操作することができる技術が発表されたのをニュースで見かけました.身体に障がいを持つ方が遠隔操作ロボットを用いて接客する実験的なカフェも開催されたと聞いています.

「AVATAR X LAB @ OITA」(146頁)はVRとロボットを組み合わせたテレプレゼンス技術をはじめとしたさまざまな技術を,来たる宇宙開発時代に向けて実証実験するための施設です.驚くべきはこれまで「物理的な移動」に関わってきたANAホールディングスが遠隔通信技術に注力しようとしていることです.普通に考えると高速通信技術が発展し,より精彩な体験を遠隔で行えるようになると,「物理的な移動」は減ってしまう.航空ビジネスを展開する企業にとっては痛手です.しかし,ANAホールディングスは遠隔通信技術の技術開発に積極的.つまり,ここでは技術の発展によって「移動」の概念が拡張されたことが伺えます.

昨今では,スカイプを活用して遠隔で打ち合わせすることもしばしば.今回もNY,ベトナムと離れた場所にいる設計者とスカイプでの打ち合わせを挟みつつ,誌面の作成を進めていきました(担当した作品もスコットランド,中国,ベトナムと多種多様).技術革新により私たちの生活の前提が変わる時,合わせて既存の概念が拡張されるのでしょうか.それを考えると電子書籍の発展により雑誌のつくられ方も変わるのかもしれません.今はまだ紙の誌面をそのままデータ化しているのみですが,今後の取り組み具合によっては,デジタルならではの表現も発明されていくのかもしれません.
そのためにも,変わり続ける社会の動きを見逃さないようにしていきたいです.

いわゆるテレイグジスタンス技術に触れていますね.本号に掲載されている「AVATAR X LAB @ OITA」はそのための拠点的な場所のプロジェクトなのですが,日本でもそういうプロジェクトが出てき始めたのは興味深いです.

スカイプでの遠隔MTG程度で感銘している当時ですが,このあとバーチャルMTGなどが周りで普通になってくることは知る由もなかったのである...


2月号

地域再生法改正により住宅団地でシェアオフィスや商業施設の設置などが可能になる(13頁)というニュースが報道され,社会全体で空き家などのストックの活用が求められる時代になってきています.
「南麻布のフラット改修」(138頁)は床や天井を解体するだけで空間を変容させ,「欅の音terrace」(108頁)は躯体はそのままに建物前面にデッキテラスを展開させることで,家とまちとの接点を新たに生み出しています.これらの改修は床や天井の懐の深さ(南麻布のフラット改修),小学校に隣接したY字路の突端の敷地(欅の音terrace)という既存のコンテクストを丁寧に読み解き,設計を行っています.ストックをいかに上手く活用するかを考えなければいけない時代においては,こうした細やかな改修により,最小限のコストで住まう場所を豊かに変える操作が重要になるのではないかと感じました.

つい先日は設計者の方と「欅の音terrace」で飲み会して,住み始めてからの様子も拝見することができました.普段の取材では,あまりそういう機会がないので新鮮でしたね.


3月号

「須賀川市民交流センター tette」(28頁)のオープニングイベントに行きました.駅から徒歩で向かい,東側の入口から入ると西側まで突き抜けるtette通りと吹き抜け,そして多くの人びとが行き交う様子が一気に目に入ってきました.
館内を歩き回ってみると開かれた場所や囲まれた場所,多様な性質を持った居場所のそばには本が置かれていて,須賀川市民ではありませんが思わず自分のお気に入りの場所を見つけてみたくなりました.この体験から,市長がこの建築を「街のような建築」と表現したと聞いた時には「まさに!」と思いました.この建築の中で発見される居場所,生まれるアクティビティや体験は須賀川市の人びとの思い出の場所になっていくのだろうな,と考えると,この建築が送る生涯がどのようなものになるかより一層楽しみになりました.

伺ったのはオープニングイベントの時だったので,普段はどんな使われ方なのか気になりますね.


4月号

「新日鉄興和不動産本社移転プロジェクト」(181頁)では移転にあたり7割の部署が従来の固定席からフリーアドレスへと働き方を変えています.それがなぜ可能になったのかを聞いてみると,IT・ICTツールの発達の影響が要因のひとつとしてあるそうです.ネット環境も整備され,ノートパソコンは小型・軽量でもマシンパワーは十分.ほかにもこのオフィスでは庶務業務を外部委託するなど,フリーアドレスへスムーズに移行するためのサポートが十分に整っています.また,「Arup 東京 新オフィス」(134頁)ではペーパーレス化が実践されているそうです.その結果,どこでも仕事が可能になり,無駄な業務はなくなり,生産性もアップしたそうです.ワークプレイスは,場所としてのあり方はもちろん重要ですが,こうしたソフト面も重要なのだなと改めて感じました.

「働き方」の変化に対してどういうアプローチを取ったのか,この号ではまさにそこで働く方たちなどに話を聞いたりしてみました.当たり前ですが,ソフト面でのさまざまな努力がホスピタリティの高いオフィスをつくりだしているのだなと感心しました.


5月号

「東急電鉄と静岡県が3次元点群データの相互利活用に関する協定を締結」(13頁)というニュースが出ていました.
これにより自動運転の実証実験を行っていくそうです.自動運転を完成させるためには自動車自体に眼(センサー)をつけることや自動車が認識できる3次元の世界を構築することが重要です.人間が機械と協働していくには,現実世界の映しが3次元データとして生み出され共有される世界になっていくことが重要なのでしょう.

ふと見かけたニュースから未来の世界を想像してみたのが,こちらのnoteでした.


6月号

文部科学省インタビュー記事作成のため,「学習指導要領」や「学校施設整備指針」を読み込もうとしましたが,あまりの密度と細かさにダウンすることがしばしば.これに向き合う教職の方には脱帽です.

考えてみれば,僕たちが受けていた教育の裏にはこうした国がまとめた指針のようなものがあったというわけです.なんだか不思議な感覚.しかしながら,「教育」という評価などが定量化しにくいものをいかに考えていくかは莫大なエネルギーが必要だし,注がれるべきです.それを実現する仕組みができていくことを願います.

「学校」と聞いて思い出したのは,最近読んだ日土小学校の記事に掲載された写真たち.
1994年に撮影されたその写真たちには学校が「生きている」様子が映っているように感じました.使われ尽くされた感のあるその建築では子どもたちがそれぞれの居場所を持っているのでしょうかか.時間と共に積み上げられてきた場所の強度がそこには垣間見えます.

この号で紹介される建築たちもこうして時間を蓄積して,場所の強度を増していくのでしょうか.楽しみです.

この号では文部科学省の方にインタビューしました.私たちがそこにあるのが当たり前のように受けてきた教育の後ろには「学習指導要領」や「学校施設整備指針」が存在していた.そう考えてみると,今まで自分が受けてきた教育はどうだったかなと思い返すきっかけとなりました.


7月号

内藤廣氏の建築論壇「どこかにある場所とそこにいるわたし 建築は都市の断片となり得るか」では,日向市での20年について綴られています.

最初,日向を訪ねた時「寂れた」と感じたと書かれていますが,長い付き合いを重ねていく中で,熱量のある人たちがいて,「とんちゃん」という素晴らしい居酒屋があって...というように日向の潜在的な魅力を発見していきます.それらは,文中で語られる渋谷のハチ公のような「断片」と言えるのかもしれません.

話は変わりますが,先日読んだ『ドライブイン探訪』(2019年,筑摩書房)では,戦後,モータリゼーションによって急速に増え,今は消えつつある「ドライブイン」を訪ね,その店主たちにインタビューを行い見えてきた,それぞれの個人史が描かれています.日向の魅力が次第に発見されていったように「ドライブイン」も「寂れた印象」とは裏腹に熱量のある店主がいたりドラマがあったり,と魅力に溢れていることがこの本では語られています.「ドライブイン」の魅力もまた内藤さんが渋谷や日向を通して語る「断片」の一端なのかもしれません.

このように,内藤さんが語る「断片」,はたまた「どこか」は日本全国で燻っていて,生み出されるのを待っているのかもしれません.それらを発見するには,やはり,当たり前のことですが,時間をかけて丁寧に「泥臭く」関わっていくことが重要なのではないかと改めて感じました.

どんなところでも,かけがえのない「断片」が存在している.そんなことを考えさせる論考でした.たまたま読んだ『ドライブイン探訪』がそんな叙情をさらに強めてくれたのでした.


8月号

建築論壇「集合住宅は再び希望になれるか 家族のための住まいを超えて」で,掲載プロジェクトを見た上野千鶴子氏が「夢も希望も感じませんでした」とバッサリ.生まれつつある新しいライフスタイルに対して,どう試みるか,そしてそれをどう記録するかが問われています.

さて,担当した「横浜市寿町健康福祉交流センター/横浜市営住宅寿町スカイハイツ」(120頁)の解説では,この建築が建つ寿町の持つ空気が「足を踏み入れると,他人の家に上がり込んでしまったかのように感じる」と表現されています.この街のことをよく知らないまま取材で訪れた時の感覚も同じでした.
かつては日雇い労働者に溢れていた街は高齢化が進み,様相はここ十数年で一変したと伺いました.現に簡易宿泊所利用者に占める60歳以上の割合は1989年に約13%ほどだったものが,2012年には約67%となりました.2043年には65歳以上が寿地区全体の約55%,75歳以上が約30%になるという予測も出されています.そんな変わりゆく街で,旧労働福祉会館とは打って変わって「開かれた」構えを持つこの建築は街にどのような影響を与えていくのか.ある種特殊な例なのかもしれませんが,時代が流れ急激にライフスタイルが変化していく.そんな動きに建築がどう対応していけるのかを考えるためのひとつのきっかけになり得るかもしれません.

恥ずかしながら寿町という街がどういう場所か知らないまま取材に訪れ,その様子に圧倒されました.本号に掲載したプロジェクトの前身である緒形昭義氏による「旧労働福祉会館および市営住宅」も独特な魅力を持つ建築でしたが,この建築もそうした魅力を蓄積していくのでしょうか.


9月号

都電荒川線の沿線に住んでいるので,ふと思い立って電車から「コーセー先端技術研究所」(162頁)を見てみました.黄色味がかった煉瓦のスクリーンが周辺の住宅のサイディングの色味と調和していて,街に溶け込んでいるように感じました.今度は王子駅から歩いてみると,突如として街中に煉瓦の壁が現れました.しかし,住宅地の中に現れた異物のような建築でありながら調和している,そんな不思議な感覚を抱かせる建築でした.

都電荒川線,あんまり使ったことないんですが,やはり街との距離が近いモビリティには新鮮な発見がありますね.


10月号

建築論壇では後藤一雄氏の「建築家は木造に手を出すな」なんて言葉も引用され,木材の可能性と課題が綴られています.
さて,思い返してみると,生まれてからずっと鉄筋コンクリート造のマンション暮らし,通った学校も鉄筋コンクリート造,せいぜい体育館の床が木だったかな(小学校の教室は木パネルだったかな)という生活を送ってきた私の人生にとっては「木」という存在はまったく身近ではありません.
改めて建築論壇を読んでみると,2010年の「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」の施行やさまざまな人たちの長年の取り組みによって木材活用が活発化しているようで,都市部でも木が取り入れられた建物がちらほらと見られるようになってきています.

三井所清典氏の論考では1959年の伊勢湾台風以来,建築業界では木造建築の教育はほとんど行われなくなり,現在でも限られた大学でしか教えられていないことが明かされています.つまり,かつての日本ほど木造建築の担い手はおらず,それに比例して木材を活用した建築も限られた数しか生まれ得なかったのではないかと思います.私のような木にまったく親しみのない人間は現在では少なくない数がいるのだと想像できます.そのような人びとにとって木材活用の普及が行き着く先には,経験したことのないような未来が広がっているのかもしれません.

ずっとマンション暮らしだったのは,なんか折に触れて言っているような.


11月号

名古屋の若宮大通などの高速道路の下では意外とライブが行われていたり,活発に使われていた覚えがあります.
高架下はかなり便利で屋外でも雨が降っても大丈夫,ヒューマンスケールをオーバーした構造体の下は気軽に入ることを可能としている気がします.いわば,都市の中のニュートラルな空間.

「KOCA」(138頁)はそんな高架下の特性を活かすべく,建築自体はコンテナなどシンプルな構造体でラフな仕上げに.ボリュームの配置の妙で街に開いたオープンなスペースを生み出しつつ,京急の高架の10mスパンの太い柱が緩やかに街から領域を区切っています.
植栽も蒲田に倣い街の文脈と高架下を接続しようとしています.
僕が住んでいる近くの京成線も保育所や薬局が入ったりと高架下が使われ始めてはいますが,賑わいが生まれるというよりは新たな占有地が生まれただけというだけで,地域との接続はあまり見えません.そういう身近な地域の感覚から言ってもこのような試みは貴重なものだと思われます.
そして,この場所に集まるのはものづくりに関わる人びと.イベントも積極的に開催されるようで,どのような場所になっていくのか今後が楽しみです.

不思議なスケール感の高架が印象的な京急でした.家の近くにもなんかできないかなー


12月号

今年の9月に旅行で行ったすぐ後に首里城が焼失してしまいました(13頁).当然そこにいつまでもあると思っていたものがある日突然消えてしまう.当たり前のことですが,忘れていたその感覚に改めて気づかされました.
再建に向けて支援金の募集やチームの編成が始まっています.一方で有志によって「みんなの首里城デジタル復元プロジェクト」というものが立ち上げられています.これは世界中の人びとから募り,提供された写真などのデータを使って3Dモデルを立ち上げ,首里城をデジタル復元するというものです.
ウェブサイトにはデータ提供者の思い出も掲載され,改めて建築は人びとの心象風景に影響を与える存在の大きいものなんだなと気づかされました.

さて,前田建設工業の研修施設である「ICI CAMP」は建築家と協働して,自社施設を設計している点も目新しいですが,宿泊棟となる建物は廃校となった小学校を利用したものです.

なるべく既存の校舎を残すこととして,黒板や教室の床パネルをそのまま残すほか,解体した昇降口の靴箱の再利用,床を剥がして躯体がむき出しになった廊下をそのまま見せるような仕上げにするなど徹底して既存を使い倒すことが考えられた建築でした(既存の掲示板を,新設した建具とバッティングしないよう当たる部分だけわざわざ切り欠くという徹底ぶりです).
かたや隣接する技研では最新鋭の機器が揃っており,この場所で何が生まれるのだろうかと楽しみになる建築でした.

ノートルダムの時にも書きましたが,ある日突然消えてしまう.当たり前のことですが,それは避けようのないことです.私たちが建物にどのような感覚で接しているかはまだすべてが解明されていないと思います.そのためにありとあらゆる方法で「残す」ことが試みられることが重要です.


とまあ,今年も12冊やったな,という感じでした.この他にちょこちょこ別プロジェクトも.去年の編集後記を見てみると

ここ最近『シュタインズ・ゲート ゼロ』という2010年の秋葉原を舞台にしたテレビアニメを観ています.そこには竣工してまだ真新しい「秋葉原UDX」.竣工してからわずか数年,まだ街に馴染みきっていない「秋葉原UDX」の周りのどこか茫漠とした雰囲気が作品の中で描かれていました.
打って変わって2018年の現在,「秋葉原UDX」は2階の「アキバ・イチ」を中心に連日賑わっています.そんな建築の中に新しくつくられた「LIFORK AKIHABARA」(82頁)は闊達とした現在の秋葉原に,モノづくりに従事するクリエイティブなワーカーのためのシェアオフィスを提供するというものです.
『シュタインズ・ゲート ゼロ』が描かれた2010年にはおそらく秋葉原には「クリエイティブ」という言葉はほとんど見られなかったでしょう.今回の編集を通して,ワークスペースはそんな時代の変化に柔軟に対応しているのだなと思いました.同時に戦後,電器機械のパーツ商の集まりからスタートしたという秋葉原のものづくりのDNAと「クリエイティブ」という言葉に共通した思想を感じ,建築というものの底流にある時代の流れに依らない歴史や土地のコンテクストの奥深さにも改めて思いを馳せることになる号となりました.
任天堂のゲーム機「Nintendo Switch」の拡張機器である「Nintendo Labo」の開発者インタビューを読みました.AIなど最新技術がまことしやかに囁かれる現代に段ボールでできた製品?...と眉を顰めるこの機器ですが,最初から段ボールであることが決まっていた訳ではなく,3Dプリンタなどを活用した膨大なトライアンドエラーにより「Nintendo Switch」をより楽しむにはどうするかという問いに対して導き出された最大限の回答だったということがその記事からは伺えました.
「長崎県庁舎」(44頁)では設計の初期段階からBIMが導入され,さまざまな検討が行われたそうです.また統合開発環境を含んだ汎用ゲームエンジン「Unity」でBIMデータを直接取り込むことができる機能のリリースが決定しました(13頁).これにより建築分野でVRやARの活用が容易になり,より活用の頻度が上がるのではないかと思います.こうした技術の発展は「Nintendo Labo」の例しかり,革命的な技術革新が本質ではなく,それを利用して何をなすべきかを図るトライアンドエラーが重要なのでしょう.技術の進化は,より精度の高いトライアンドエラーを可能にする,ということがいかに大事かを「長崎県庁舎」や「Nintendo Labo」などの実践例から学ぶことができました.「Nintendo Switch」欲しいです.

最近,プレイステーション4のゲームソフト『モンスタハンター:ワールド』を購入しました.本作にも導入されている「オープンワールド」は,ロード時間がなくゲームの中の世界を自由に動き回れるシステムで,近年のゲームの主流のひとつとなっています.ゲームと建築.一見何の関係もないように思えますが,このゲームをプレイしてみると,遠くの風景の見えやシークエンス,AIが実装されたキャラクターやプレイヤーが動きやすい環境や動線のつくりかた,などゲーム内の空間設計に配慮し,プレイヤーが快適に「楽しさ」を感じながらプレイできるように制作されていることが分かります.同じレベルで考えていいかは分かりませんが,たとえば,『築地本願寺境内整備 インフォメーションセンター・合同墓』(154頁)は舗装と芝生の整備というささやかな行為で境内の新たな動線を,『グランモール公園再整備』(162頁)ではケヤキ並木を1列追加することで滞留空間を生み出し,『京都女子大学図書館』(134頁)では京都という場所への新たな風景の見えをつくり出しています.このような設計者による人びとのアクティビティのための細やかなデザインに合わせて,ゲームクリエイター達が蓄積してきた「楽しさ」を生み出すための知見が組み合わされば,今までとはまた違った空間がつくることが可能ではないか,そんなことを編集中に妄想してしまいました.

随分,この人真面目になりましたね.何かあったんでしょうか.
来年もこの投稿が成立し得るかわかりませんが,今年のお仕事振り返りでした〜.

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