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実践の中から手繰り寄せる『ふたしかさを生きる道具』【読書記録】

『ふたしかさを生きる道具』(ツバメアーキテクツ 著、2024年、TOTO出版)

私たちが建築に重ねるのは、不確かさの中で、それでも実感のもてる物事を手繰り寄せ、自分たちの生きる環境を自分たちで扱えるものにするための身の丈に合った道具としての姿である。──はじめに より
ツバメアーキテクツが実践を通して得た気づきを綴る6章の論考と、分野の異なる3名の専門家との対談を収録した一冊。

最近では、下北沢の小田急線地下化に伴い進められている「下北線路街」、特に「BONUS TRACK」の設計で知られている建築家・ツバメアーキテクツ。

BONUS TRACKは下北沢の周囲の街のスケール感に合わせつつ、どのように営みを生み出すかが考えられ、区画設定のレベルから建築家が関わっている。比較的若い世代でも商売を始められるように、一区画10坪(店舗部分は5坪)として設定したうえで、共用の設備等を設け賃料設定のバランスを取っている。また、兼用住宅とすることで職住近接の環境を生み出し、住宅以外の機能が住宅地に取り込まれることでシナジーを得ようとしているのも興味深い。

彼ら自身もBONUS TRACKに面して事務所を構え、企画から設計、その後の運用まで関わる姿勢を見せているのは特徴だと言えるだろう。

さて、本書はツバメアーキテクツの実践についてまとめられた書籍である。ここまで書いたように、彼らは建築を設計するだけではなく、その前後にも深く関わっている。そのため、本書も一般的な建築家の作品集のような形を取っていないことが特徴になっている。
何より、書籍のタイトルには「建築」という言葉が出てこない。その代わりに出てくるのが「道具」。ここに彼らの姿勢が垣間見える。序文で、この「道具」という言葉はイヴァン・イリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』から来ている。

 建築は本来的には、なんらかの目的のために建てられるものだから、道具的な側面をもつものだ。しかし逆に、建築がそこで過ごす人のふるまいを規定し、暮らしを枠付けてしまうこともある。道具に人が枠付けられてしまう状況を指摘した書籍に、イヴァン・イリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』がある。イリイチは技術(道具)が進歩していく過程にふたつの段階があるとした。ひとつは人が道具を使いこなすことで自由度が高まる段階。ふたつ目は人が道具に隷属していく段階である。産業主義が推進する再現のない進歩は、道具をこのふたつ目の段階に到達させることを指摘している。そして、コンヴィヴィアリティ(自立共生)──人間の自立的で創造的な交わりの中で実現される個的自由──を持続するためには、道具が責任をもって限界付けられ、ひとつ目の段階に留められる必要があるとした。
 建築も経済性、効率性ばかりが優先されてしまったり、管理の側面ばかりが優先されてしまえば、そこで過ごす人びとのふるまいを制限するものになってしまう。私たちは建築を、建築があることによって創造的なふるまいを可能にするような道具にしたいと思う。そのためには、産業主義の中で建築が生み出される枠組み自体を見直し、組み替えていく必要がある。
 もうひとつの理由は、建築を多様な事物の結節点として捉えたいという思いからである。道具があることによって、人は道具が働き掛ける対象と関係を結ぶことができる。こうした人ともの、ものとものを関係付ける媒介性ともいえる側面が道具にはある。道具としての建築とは、建築が結び付ける事物が建築によって、捉えられるもの、扱えるものになっている状態をイメージしている。例えばそれは、建築によって光や風を認識することができ、調整できるような状態。あるいはそれは、建築が地場の材料でつくられることによって、地域との関係が捉えられるようになっている状態である。

022-023頁

現代において、あらゆるものは不可視になってきている。例えば、私たちはmacの中がどうなっているかは分からないけど、問題なく使えているし、電車や自動車がどういう仕組みで動いているかなんてことに普段は気を使わない。
建築も同じように「どのように成り立っているのか?」なんてことに注意を向ける人はそう多くないだろう。建築は巨大な構築物である分、より一層「最初からそこにあったもの」という認識が生まれやすいのかもしれない。

こうした状況に対して、ツバメアーキテクツの作品では、例えばBONUS TRACKでは、人が「手を入れたい」と思えるように、なるべくものの成り立ちが理解しやすい意匠にしたという。

「ボーナストラック」もなるべく見て理解ができるようにつくることを心掛けた。軸組み現しの真壁造りで、天井は現し、配線などはケーブルラックを用意して経験が分かるように施工してもらう。屋根も軒裏を仕上げずに、垂木、合板が露出して、薄い軒をつくっている。庇はアングル型の金物を用意しておき、そこに入居者が垂木を留めて屋根仕上げを施したり、看板を吊り下げたりなど、手を加えられるシステムとした。隠してしまった方がきれいに仕上がるかもしれないが、ものの接合をなるべく可視化して、ビスやボルト留めなどバラしやすいようにしている。

088頁

ここでは「メンテナンス」に着目しているが、建物と能動的に関わる行為としては、他には「清掃」(これもメンテナンスと言えるが)もあるだろう。人と建物が能動的に関わる行為を出発点として考えることで、それが意匠にも影響を与えていく。メンテナンスをハードとソフトを架橋する手法として捉えていて、非常に興味深い。

また、手を入れやすくするための工夫として、内装監理指針書に「可能なこと」を書いていく指針という話も興味深かった。

硬直したルールではなく、慣習的にルールをつくっていける仕組みがあるとよいのかもしれません。内装監理にも通じる話で、一般的な内装監理指針書では禁止事項があげられるのですが、「ボーナストラック」では可能なことを書いていく指針書にしました。各テナントの内装設計者向けに説明会を開き、各々がやりたいことを施設のルールの中でどうすれば実現できるかを話し合います。先回りして予防線を張るような考え方をやめ、まずはやってみてうまくいかなかったらどうするか考える方針です。今でもテナントの入れ替わりや既存の内装に変更がある度に指針書を見直し続けているので、とりまとめに時間は掛かりますが、皆が自分事としてルールを考える土壌があるのはいいなと思います。

142頁

ルールを硬直化したものではなく、常に変動し続けるものとして扱う。あらかじめ柔軟性を持たせるという意味で「可能なこと」から考えていくのは、むしろ「なんでもやってもいいよ」に対する硬直を避ける考え方として非常に理にかなっているように感じる。

本書では、この辺りの説明を補足する書籍として『リーガル・ラディカリズム -- 法の限界を根源から問う』に掲載されている「ルールを破って育てる」というテキストが参照されていた。

本書は「ある設計事務所のプロジェクトを紹介する」という建付けの書籍であると思うが、個別のプロジェクトの紹介はほとんどなく、主宰である3人がかわるがわるテキストを執筆し、その間にさまざまな分野の識者との対談が挟まるという構成になっている。各テキストも特定のプロジェクトに絡むというわけでもなく、あるプロジェクトが複数のテキストに登場することもある。最初に述べたように、こうした構成は建築家の一般的な作品集のスタイルとは異なっているように感じて興味深い。

最初のテキストが「事務所の体制」について述べていることから、こうした本書の構成は彼ら自身のスタンスとも共通するのだろう。しかし考えてみると、最初のテキストで書かれている「デザイン」と「ラボ」の往復運動は、設計事務所であれば、ある種、実践されていることが多いと言えるのかもしれない。特に小規模な設計事務所であれば、所長はもちろんのこと、そこで手掛けられるプロジェクトには近いメンバーが常に関わることになるので、各々のプロジェクトが関係性を持たないことの方がむしろ少ないのではないだろうか。

(余談ですが、学生時代は建築家の人が淡々と自身のプロジェクトを「やったこと・できたもの」を個別にプレゼンするレクチャーが苦手でした)

とはいえ、ツバメアーキテクツの特徴はそうした設計事務所の特徴に構造を与え、事務所の組織体制に繋げていることであり、また、建築家のプロジェクトへの立ち位置の多様性を「分人」的側面として捉え、積極的に分野を拡張し、実際の建築にもフィードバックしていくところにあるのではないかと感じる。

本書も、最初は設計事務所の組織体制に始まり、次は建築の資源の使い方や新しい形式としての「野生の幾何学」など物質的側面、次にメンテナンスなどのルール的側面とどんどん話題が拡張されていく。そして、それが家や街にどう適用され、どう私たちに影響を与えていくのかを考え、果ては建築や建築家が本来的に持つ意義がどうあるのかを考えるという構成になっており、まさに彼らの姿勢を表わしているように改めて感じる。そして、タイトルにあるように、それは「ふたしかさ」を孕む。
答えを提示するというよりは、問いを開き、実践の上で思考を展開していく彼らの活動を概観できる興味深い本となっていた。


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