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ひたむきに前を向き続ける強肩外野手の歩み

ワイラプインターンの泉と申します!

先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「#ワイラプ博物館」の第3回目の記事執筆を担当します!

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、竹並孝基 選手のインタビューです。

竹並孝基(たけなみ こうき) 島根県出雲市出身 1998年1月20日生まれ
▷大社中学校▷大社高校▷専修大学

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―本日は期待の新人外野手・竹並選手にお話を聞いていきたいと思います!よろしくお願いします!

竹並(以下:竹)よろしくお願いします!

■強肩で名を馳せた中学時代

―では、最初に野球を始めたきっかけを教えてください

竹:元々2つ上の兄が野球をやっていまして、兄の影響で物心つく前から気づいたらグローブとバットを触っていましたね(笑)
本格的にチームに入ったのは小学1年生の時です。

(小学2年生。写真は本人提供。
「僕小さい頃マジでかわいいですよ!」とハードルを上げていましたがホントにかわいい…笑)

―かなり早い段階から野球に触れられていたんですね!
少年野球時代の思い出は何かありますか?

竹:思い出ですか…。小学5年生の秋ぐらいに肘を壊してしまって、5年生限りでチームはやめてしまいました…

―えっ!チームをやめてしまったのですか!
野球をやめた後、何か違うスポーツでも始められたのですか?

竹:いえ、親から「決めたことは最後までやれ!」と言われ、兄が所属するボーイズチームに体づくりのため入り、野球は続けていました。

―小学生でもボーイズって入れるんですか(笑)

竹:基本的に練習だけ参加ですね(笑)
兄がいたので「弟か!」って感じですぐに受け入れられましたね。
中学はそのまま正式入団し、ピッチャーとサードが基本でしたね。3年時には中四国選抜に島根県で唯一選ばれました

―島根で唯一ですか!すごいですね!
中学ではボーイズ以外には何かやられていたんですか?

竹:ボーイズは平日休みだったので、陸上部にも入っていました。
ある日、顧問の先生に「ジャベリックスロー(やり投げの中学生版) の大会に出てみないか?」といわれ、大会の2週間前に練習を開始しました(笑)

―急ですね(笑)結果はどうだったのですか?

竹:50mの大記録を出して県大会で優勝しました。
そのあと横浜の「味の素スタジアム」で行われたジュニアオリンピックにも出場しました(笑)

((このときの写真は無いらしい…残念…笑))

―マジですごいですね(笑)
当時から身体能力はトップクラスだったのですね。
野球と陸上両方において輝かしい成績を収めたのであれば、強豪校からのお誘いはあったのでは?

竹:実際3つほど声はかけていただいてました。その中には僕がずっと進学を希望していた開星高校もありました。

―縦じまユニの強豪校ですね!
なぜ進学を強く希望していたのですか?

竹:小さいころに開星高校の練習を見て、当時監督だった野々村さんのもとで野球をやりたいという気持ちがあって、ずっと目指していました。

―長年の願いが成就しそうだったんですね。
ではなぜ開星高校を選ばず、公立の大社(たいしゃ)高校へ?

竹:自分が入学する1年前に開星高校の野々村監督が勇退されてしまい、考え直すことにしました。
複数お誘いはあったのですが、30年近く甲子園に行っていない公立高校が私立を破って、甲子園行くのって夢あるじゃないですか(笑)それが決め手ですね。

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■悔いが残る高校最終打席

―まさに下剋上を成し遂げたかったんですね。
高校時代はどんな感じだったんですか?

竹:常に県大会ではベスト4に残るような高校で、部員も70人はいました。
入学後はすぐ練習試合に出られたのですが、公式戦では常にベンチって感じでしたね。
主に投手とサードを守っていましたが、2年の秋から外野に転向しました。

―強豪でいきなり試合出れるだけでも十分すごいです!
高校3年の夏の戦績はどうでしたか。

竹:実は夏の大会に出るのは3年のときが初めてですごく緊張していました(笑)
ケガ癖があって、ボールが口にあたって何針も縫ったり、練習中に仲間に指を踏まれるアクシデントで骨折とか…。その影響で夏はいつも逃してましたね。

―怪我をしてしまったときにモチベーションは下がらなかったのですか?

竹:ぼく基本的に下を向くことが大嫌いで、毎日楽しんで過ごしたいと考えて生きているので、「これはきっと良いことが起きる前の悪いことなんだ」と思ってポジティブにとらえていました。

―すばらしいメンタルですね。
では最初で最後の夏の大会はいかがでしたか?

竹:うちの学校は1回戦からチアや吹奏楽、生徒会が応援に来るんですよ。

―1回戦から!?すごく期待されているんですね!

竹:はい(笑)その試合4番で出たんですけど応援や会場の雰囲気に呑まれ4番ながら途中交代しました(笑)試合は勝てましたが…

―主砲が途中交代って…(笑)
相当落ち込んだんじゃないですか?

竹:落ち込みましたね(笑)親も相当怒っていました。
試合後に監督から「お前試合楽しんでいるか。目が死んでたぞ。一生笑っとけ」といわれて、次の試合から打席では笑うようにしました。

そこからは結果、夏の大会打率5割越え、2本塁打の活躍です(笑)

(高校3年時)

―めちゃくちゃ打ちますね(笑)
特に思い出に残っている試合はありますか?

竹:1つは準々決勝の島根中央戦ですね。僕たちにとって島根中央はライバルでした。
監督にも「あいつらには負けるな」と日々言われていました。秋・春と対戦していて、1勝1敗の五分だったんですよ。

そして母にも「10対0でコールド勝ちしろ」と言われました(笑)

―お母さん強い…!笑 気になる試合展開は?

竹:4回の裏に1死満塁のチャンスで打席には僕の前の打者が立っていました。すると打者に死球をもらうと、両チームが一触即発のムードになってしまいました。

―なるほど…そのとき竹並選手は?

竹:あとからビデオ見て気づいたんですが、僕だけ集中しすぎて、ネクストから淡々と打席に向かっていました(笑)

―大物感が漂ってますね(笑)結果は?

竹:満塁ホームランです(笑)

―漫画の話ですか?(笑)かっこよすぎます…

竹:チームも勢いづいて、母の言う通り10点差5回コールド勝ちでした。

―有言実行(笑)
ほかに思い出に残る試合はありますか?

竹:準決勝の石見智翠館戦ですね。ものすごいシーソーゲームで追いつき追い越されの展開でした。
そして9回の裏、1点負けの2死満塁。僕に打席が回ってきました

―うぉ!激熱展開じゃないですか!

竹:試合前にデータ班から「初球はアウトコースの直球がきます」とアドバイスをもらっていました。
しかし僕は「本当に来るのかな」と、完全に信じ切れずにいました。
すると本当にその球が来たんです。けど迷いがあったため当てるだけのバッティングになり、ファールフライで最後の打者になってしまいました。

―そうなんですか。苦い思い出になってしまいましたね。

竹:はい。しかしそのエピソードが大学でも頑張ろうという気持ちにつながったと思います。
自分が夏を終わらせてしまったという気持ちは今でもあります。

(高校3年時)

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■大学も不完全燃焼。夢を諦めきれず独立リーグへ

―大学は専修大学に入学されましたが推薦などは来ていたんですか?

竹:推薦は来ていませんでしたね。

―では専修大に進んだ決め手は?

竹:一つ上に専修大学に進んだ先輩がいて、高校3年に上がる前に広島でキャンプをするとのことなので見に行ったんですよ。
するとキャンプ中に音楽を流して練習してるんですよ!!それで面白いなと思い、進学を決めました(笑)

―えっ!それだけですか(笑)
何と単純で面白い理由… そこから入学までの流れは?

竹:夏大会のあとセレクションを受けに行って、70人ほどいる中で唯一選ばれて入学しました。

―70人の内1人とは。狭き門を突破したんですね。大学進学後の話をお聞かせください。

竹:1年の春から試合には出ていました。1部リーグだったので神宮球場での試合は緊張しましたね(笑)
大学2年の秋まではスタメンでした。

しかし極度に試合で緊張してしまうため、なかなか結果が残せず、3年春からはスタメンから漏れてしまいました。
そのあとは守備固めや代走中心になりました。

(大学1年時 神宮球場!!)

―それはつらかったですね。大学卒業後の進路は?

竹:社会人からのお誘いはなかったのですが、NPBへの夢があきらめきれず、独立リーグへの道を考えました

―なるほど。それで受けた球団が福井だったんですね。

竹:はい。当時エレファンツ時代にセレクションを受けて、合格内定のご連絡もいただき、めちゃくちゃ浮かれていました(笑)

―誰でも浮かれます(笑)とりあえず一安心ですね。

竹:しかし…突然エレファンツがなくなってしまうという話になり、僕の入団もなくなってしまいました。

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■閉ざされた野球への道と、現在の喜び

―えっ!それからどうしたんですか?

竹:親にも相談したところ「そういうことなら野球の神様がやめなさいというお告げなのかも」と引退を考えるような助言をもらいました。

―ではやめようと?

竹:そうです。
やめようと本気で覚悟したときに、生まれ変わったワイルドラプターズ新監督の福沢さんが僕を拾ってくれました。

―それはどういった経緯だったんでしょうか?

エレファンツ時代にセレクションを受けたとき、福沢監督は当時投手コーチをされていて、僕のことを覚えてくださっていました。
さらに何の因果かわかりませんが、専修大学時代のコーチの方が高校時代にバッテリーを組んでいたのが福沢監督でした。

―ものすごい巡り合わせですね!

竹:はい。そういったご縁もあって、晴れて独立リーガーになれました。

―入団して数ヶ月が経ちましたが、プロとアマチュアの違いを感じることはありますか?

竹:プロはいい意味で自主性があると思います。自主練習が多いので自分のやりたいことができますし、1日中野球について考えられるのが大きいですね。とても充実している毎日です。

―今となっては憧れの社会人野球ではなく、独立リーグに進んでよかったと思いますか?

竹:福沢さんとお話ししたとき、
「ドラフト指名のチャンスは限られている。社会人に行けば生活面では安定だが、1年目はドラフト指名対象外になる。勝負するにはウチだと1年1年本気になれる
と言っていただけたので、僕にとっては独立の方が合っていたと思います。

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■おわりに

―覚悟がすごいですね!
そんな中、今は公式戦ができない状況ですが竹並選手の率直なお気持ちを教えてください。

竹:基本的にコロナがあろうがなかろうが僕がやることは変わりません
自分がやらないとNPBはみてくれない。仮に1年間試合ができなくても今後プロテストを受けに行ったりとやれることはたくさんあります。

1年目がダメでも、注目してもらい2年目に調査してもらえばいい。
ネガティブに考えたってつまらないですよね(笑)

―貴重なお話をありがとうございます。
今のメッセージで励みになる学生も多いと思います。
では最後にファンの皆様へのメッセージや今年の目標をお願いします!

竹:結果にこだわるのはもちろん、もっともっと野球に真剣になりたいですね。
一度は閉ざされかけた野球への道なので、野球のできる喜び・試合に出る喜びをかみしめたい

自分が楽しめばファンもそれを見て楽しんでくれるはず。
野球を楽しむ姿をファンに見てもらえたらいいなと思います

―長い時間のインタビューお疲れさまでした!
リーグの開幕してからのご活躍を心から楽しみにしています!

(文責 : 球団インターン 泉歴)

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