見出し画像

自然神との対話の足跡⑤

いつもよりも熱心に妙見山散策

妙見神社は、徳島県鳴門市撫養町林崎の妙見山に鎮座する神社です。実家から一番近く、子どもの頃から(遠足、ハイキング、お散歩など)事ある度に訪れた場所が妙見山で、そこに妙見神社があることは知っていました。ところが神社の御祭神や由来を確認したことがなかったので、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀っていると記されているので驚きました。延喜式神名帳には天之御中主神の名や神社名はなく、祖神とした氏族もほとんどないと聞いていたからです。
実際には天之御中主神が古事記の時代より祀られ信仰されていたわけではなく、平安時代末期より中国より伝わった北辰信仰と結びついて妙見社として祀られるようになったという説明が書いてあります。

1830年(天保元年)、撫養城の城主であった四宮加賀守の子孫と撫養町林崎郷の近藤利兵衛がこの城址に妙見神社として再建しました。

現在、撫養城址及び妙見神社周辺は妙見山公園として整備されており、妙見山頂の西側高台に妙見神社は鎮座して街を見守っています。

妙見という機能について

2023年7月26日、妙見山公園の東側高台から観た日の出です。鳴門海峡を隔てて遠くに見える淡路島の山から日が昇っています。お参りに山頂まで散策する途中に、夜明け前の淡路島の山に降りてくる光(2つの柱)を観測しました。
北辰信仰は、「北極星が天体の中で不動の中心におられる宇宙の根源の大霊として北極星(=北辰星)を高貴な星として崇める」信仰ですので、空、山、海を見渡せる妙見山に登ることがその実践になります。早起きのご褒美にチャンス(課題)を与えてもらえたようです。

「日の出前の東の空に霊が降りるようすを見せた」という説明が真実であるかもしれませんが、科学を学んだ現代人としてはできるだけ多くの人々に納得してもらえる説明をするべきだろうと思います。

東の空の未確認発光体について

選択肢として次の可能性が考えられます。
①明けの明星
②流星
③気球など観測のための飛行体
④人工衛星
⑤上下に細長い雲
⑥未確認飛行物体
⑦霊の柱(星下り)
発光している物体の形状(山の高さの数分の一ほどに縦に長い)、継続的な観測時間(撮影のためにピントを合わせ何度もシャッターを切れるほど一定の位置での継続的発光)から、①②③④の選択肢はないと考えます。
夜明け前に長時間続いた凪ぎの条件、局所的な上昇気流に伴なう結露の発生条件、地上の熱が残る複数個所で同じ現象が生じる条件などを考慮すると、これらを満たした上空の複数箇所で縦に長い雲が発生し、それらの雲に日の出の太陽が先に当たって白く輝いて見えたものと理解します。再び訪れて同じ条件が発生する機会に再現を確認したいと思います(再び帰省する理由ができました)。もちろん、⑥⑦を全否定する理由もないので、引き続き検証に取り組みたいと考えます。

燈籠を点すという神社の大切な役割

妙見神社には祈願、お参り、お祭りなどの信仰だけでなく、昔のように遠足、ハイキング、お散歩などすべての住民の憩いの場、山を楽しむ場としての機能を維持してほしいと思います。
そして多くの妙見神社で燈籠が点されていますが、鳴門市の妙見神社にも燈籠があった(実際に今もある)と聞いています。古代から漁撈の民にとって、近代になると海運業者だけでなく一般の旅人にとっても、神社のある方角(方位)を知らせる燈籠が安全航行と旅行者の命を守る大切な役割を担ってきました。

撫養港に入る海路を示す灯台・標識が無い時代には、昼間は目視できる撫養城(写真の山の上の城)の姿と、夜間は妙見神社の燈籠(城の右に鎮座する神社内)の灯りが、速い流れの海路を通う人々の命綱でした。

妙見山に城と神社があるのはこの地が政治、経済、軍事の要衝であった証です。現在その多く(城についてほとんど)の役割・機能を、衛星あるいはドローン一基が代替できるようになりました。私たちは、(これまで神社が果たしてきた)意識・精神に関わる役割・機能を深く深耕していかないと存立の意味を問われかねなくなるかもしれません。


人生は宝石箱をいっぱいに満たす時間で、平穏な日常は手を伸ばせばすぐに届く近くに、自分のすぐ隣にあると思っていた……