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僕らはタイムカプセルを埋めるように食べに出る

外食がよくないと言われはじめてから、もうすぐ1年が経つ。一切食べに出るのをやめた人、1人で誰ともしゃべらずに食べる人、地元の店にしか行かない人。自粛の方法はそれぞれだけど、多くの人が外食の頻度を減らし、会話をしながら食べるのをやめた。

私は酒場が好きだ。びっしりと貼られた短冊メニューに目をらんらんとさせ、大将やママの客さばきにしびれる。煮込みを食べながら、チューハイを流し込んで一息。料理や酒を楽しむのはもちろん、その場で行きあった人との会話も楽しい。お姉さんに髪色を褒められ大笑いし、古老の昔話に耳を傾けて長っ尻。酒場では、見知らぬ誰かとの出会いと別れが繰り返される。一期一会なんて殊勝なものではない。日々のストレスを蒸発させるついでに生まれる、その場限りの関係だ。それは新陳代謝に少し似ていて、お客のざわめきは酒場の呼吸や脈の音のようだと思うこともあった。

今は、ただ寂しい気持ちでいる。お客の肩と肩が触れるほどの繁盛店で席を無理やり開けてもらうことも、場末で常連としみじみ会話することもできなくなってしまった。酔っ払って忘れたはずの一瞬一瞬が恋しくて、おそらく、もう会うことのない誰かと酒を酌み交わした日々が思い出される。

・・・

大井町の横丁の中間地点。有名な立ち飲みできる肉屋の隅っこで、缶をプシュッと開ける。ステンレスラックをテーブルがわりにして焼き鳥の皿を置き、ビールを飲みくだした後にすかさず肉に食いつく。そしてまたビール。さっきまで歩いてるのもやっとだったのに、シュワシュワが体内をめぐった瞬間からが体が軽くなっていくのだから不思議だ。まだ暖かい季節で、夜というには少し早い時間。私は、フライング気味で金曜日の夜をはじめていた。

お客が何人か帰って、隣のお兄さんが少しスペースを譲ってくれる。お互い仕事終わりっぽい雰囲気を醸し出していたので、お疲れ様からはじまって、ささやかに乾杯。ふいに会話が生まれる。「今日は暖かくて立ち飲み日和ですね」とかそんな世間話をしたのだと思う。そして仕事の話に流れ着いたとき、彼はニヤリとして言った。

「僕、運送屋なんですよ。ちょっと特殊な」

含みをもたせて、こちらの反応を伺っているみたいだ。それにのっかって、「え〜、気になりますねぇ」と言ってみる。酒を飲んでいれば、お決まりのやりとりもなんだか楽しい。もったいぶった割にすぐに白状してくれて、私は初めてその職業を知った。

彼の仕事は美術品の輸送だった。美術館や博物館の展覧会のために、博物館からよその博物館へ、資産家の家から美術館へ、化石や絵画などの展示物を運ぶのだという。興奮した。新しい世界をのぞきみたようで、好奇心がむくむくと膨らむ。今までどんなの運んだの?美術品、傷つけちゃったらどうするの?色々聞きたすぎて嫌がられるかもしれないとためらっていたら、聞かずとも向こうの方から色々と話してくれた。某資産家の家はすごかったとか、運んだ美術品の金額はどんなに高くても、慣れてしまって驚かないとか。酒場だから気が緩んだのか、笑いながらサラリと秘密っぽいことまで吐く。

「現場は失敗できないから、緊張して疲れる。でも、運びおわったら柵も何にもなしで、作品を間近で見れたりするときもあるんだよね。やっぱいいよ。芸術とかはよくわからないけど、俺でもすごいって思うものがたまにある。こんないいものを運んでるんだ、と思って」

阻むものがない中でみる絵画はどんなに美しいのだろう。シンと静かな美術館の空気を妄想する。直島の地中美術館のモネの絵を思い出した。話し足りなくて、もう一杯。ゴクリとやりながら、この店はそんなに長居していい場所ではないのに、と思う。立ち飲みは本来サッと飲んでサッとでるのが鉄則なのだ。何杯も飲んで長居すると、ちょっとカッコ悪い。程よいところで帰るそぶりを見せると、彼が作業着から財布を取り出して、紙切れを差し出す。

「お姉さん、ありがとね。彼氏とでも行きなよ。これ俺が運んだやつ」

話題の美術展の招待券だった。ほれてまうやろ!と心でつっこみながら有り難く頂戴し、次の約束もないのに「じゃあ、また」と別れる。「今度会ったら感想を」とか、気の利いたことを言ってみたかったけど、そんなの酔っ払いには似合わないから。

そのあと数件ハシゴして、酔っ払って家路につく。ベッドに沈んだらもう動けなくて、翌日は何にもしなかった。

翌週になって、やっと足を運んだ美術館はテレビで特番をやっていたせいか、すごく混んでいた。ぞろぞろと進む人の流れに身を任せて、隙間を縫うように作品をみる。面白かった。単純に作品がいいというのもあったけど、酒場で知り合った名前も知らない人の仕事の成果をみることなんて、そうそうないから。これは新しい美術館の楽しみ方だな、とこっそり笑った。

・・・

あの店にはもう1年近く行けていない。また彼に会いたい気もするし、会わないほうがいい気もする。でもきっと、あの店に行くと思い出す。同じ缶ビールをプシュッとすると、あの時の楽しい味が喉を通り過ぎていくだろう。私はそうやって思い出をつめたタイムカプセルを埋めに飲食店に出向く。思い出は料理の味のときもあるし、誰かと語り合ったワンシーンのこともある。それを掘り起こすために再訪して、噛みしめると懐かしく、嬉しくなるのだ。

どうか、タイムカプセルを埋めに出かける日々が早く戻りますように。

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