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「どうせ無理」という強がりと、「ここにいていいよ」という安心感

人はいつの間にか、「本当はこうだったらうれしいなぁ」を諦めるようになって、強がって生きているのかもしれません。

私は幼い頃、お友達を作るのがとても苦手な女の子でした。緊張して、「一緒に遊ぼう」の一言が喉に詰まってしまうんです。

小学生になって、やっと友達ができたと思ったら、今度はいじめに遭ってね。半年くらいひとりぼっちの時間を過ごしました。

小さい頃から不器用だった自分の不甲斐なさ、ひとりぼっちになった心細さ。
お友達が欲しいという望みは私には無理なんだと諦めて、「家族は味方でいてくれるからそれだけでいいもん!」と強がることで心を守っていました。

強がりは人間関係以外にも波及して、強がっている自覚すらないほどに、「本当はこうだったらうれしいなぁ」を打ち消す癖が付いていきました。

望みが叶わないかもしれないと分かると、「これは無理だけどあれはある!」「この人には嫌われたけどあの人は私のこと大切にしてくれる!」と、敵と味方を作って生きるようになっていたんです。

そうやって戦うことも間違いではなかったと思います。一生懸命で、かっこよくて、それでいて愛おしい。

けどね、そんなに必死に強がらなくても大丈夫だったと今は思うんです。

そう気付けたきっかけは、大好きでとても尊敬しているセラピストの小柳絵里奈さん(https://ameblo.jp/e-free-lifestyle/)にとある相談をした時のこと。

仲良くしたかった人に嫌われているらしいと知った私はすごくショックを受けていました。(よく確認したら私の早とちりだったんだけどね!笑)

いつもの発想で、「どうせ仲良くするのは無理」という視点で相談をしたんです。

けれど絵里奈さんは、「相手の方とこんな関係になれたらうれしいなぁって望むことを自分に許してあげてね」というニュアンスの言葉をくれてね。私はハッとしました。

そうなんだよね。現実を無理やりどうにかしようとしなくてよかったんだ。

仲良く出来ないかもしれなくてさみしいという気持ちも、本当は仲良くしたいという望みも、「ここにいていいんだよ」とそっと大切にしてあげる。

「どんな望みも受け止めるよ。何を感じても大切にするよ。ここにいていいよ。」と言ってあげる。これ以上の安心感ってないんじゃないかな。

強がることで私を守ってくれた過去の自分には、ずっと頑張ってくれてとありがうと目一杯の感謝を伝えたい。
そして安心感の中で生きていくこれからを目一杯味わっていきたいと思う。

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