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「アメリカン・ユートピア」

2ヶ月前くらいから、まわりの音楽関係の知人たちの間で話題にになっていたこの作品は、緊急事態宣言の影響などで公開日調整や延期となっていて、皆がいつかと待ち望んでいたようだ。私もそのひとりで、6月に入り都内でもようやく解禁され、足早に劇場へ向かった。

トーキング・ヘッズのフロントマンを務めていたデヴィット・バーンがワールドツアー「アメリカン・ユートピア」のブロードウェイ版の映像化をするにあたり、スパイク・リーに依頼し実現したという作品で、監督をスパイク・リーに立てるあたり、バーンさんの意図するところを強く感じる。
スパイク・リーの作品は人種問題を多く扱った作品で(そのほとんどが黒人差別のもの)名が知れているが、演出にもそういったものが随所に見えるものになっている。
デヴィット・バーンについては、トーキング・ヘッズのことをあまり知らないので、ショーン・ペンの「きっとここが帰る場所」の音楽家くらいの知識しかなかったが、彼もアイルランド 系の移民でヘイトクライムを直に感じてきた人のようだ。
去年とても問題になったジョージ・フロイドさんの事件や、コロナの影響でアジア系移民への暴行が横行する中で、タイムリーな映画でもあるし、普遍的に続く人種問題を扱っているとも思う。

舞台は垂らしたチェーンで囲まれていて、それ以外は何もなく、空間をデヴィット・バーンを含めたバンドメンバーが隊列をなしたり、自由に動き回り進むそれだけのものなのだけど、全てが素晴らしかった。
一切過剰なものがなく、ストップモーションのような照明の仕掛けとか、衣装も皆グレーのスーツで統一されていて、ダンスもなんだか力が抜けている(ように見せている)のだけど、その分、歌詞が大きく訴えかけてくる。シンプルな中に変化をつけるセンスがすごいのだ。
何より、70手前のデヴィット・バーンの歌の伸びがすごい。喉がすごい。それだけで何も要らないと感じてしまうほど純粋に痺れてしまった。

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