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個性という言葉が嫌いだ。

僕は「個性」という言葉が嫌いです。
もう少し丁寧に表現すると、
「”自分の個性”というものに縛られたり、それを気にしたりする事、及び”自分の個性”というものに縛られたり、それを気にせざるを得なくなるような外的圧力」
が嫌いです。

人は「自分の個性」というものを気にしすぎだと思うのです。
個性というのものは言い方を変えると、「いかに人と違うか」という事でしょう。
そして人は「いかに人と違うか」という事を気にしすぎじゃないですか。

僕は「個性」という概念は他者から見てどう映るかでしかなく、自分で考える事ではないと思っています。
自分で自分の個性など考える必要は無いという事です。
人と違ってても同じでもそんな事どっちでもいいです。
自分がやりたい事があったとしてそれが人と同じありふれた事ならそれをやらないのか。そんなのはもったいないです。
ありふれた事でも人と同じ事でも全然いい。
やりたいと思った事をやればいいです。
人と同じでありふれててもなりたい人になれるように踏み出せばいいです。
「他人と違う個性」なんて事考える必要もないし、考えてもしょうがない。
ありふれた事でも、人と同じような事でもやりたいと思った事を突き詰めていった先に他者から見て、あなたの個性が見出されるかもしれない。(見出されないかもしれない。そしてそれはコントロールできる事ではないし気にしてもしょうがない事です。)

そして。やっとここで写真の話になりますが写真を撮る時もそうです。
「人と違う」という事や「個性」の事を考えるのをやめて、本当に自分の心が求めるものを見つめてみて欲しいです。
ありふれててもいいです。
そんな事考える必要もないです。
自分らしさ、とか自分らしい写真、みたいな事を考える必要は無いです。
いやその自分らしさや自分らしい写真、みたいな事を考えたり探したりそれを楽しんでいられるうちはそれもいいんですけど、悩んだり苦しんだりするくらいならそんな事考える必要もない事だと、言いたかったのです。

無個性を恐れるのはやめよう。

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