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(再掲)必読!『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)

(はてなブログで、時々どうしてもおススメしたい本がある時だけ、「必読!」と銘打って書評を書いておりました。たったの4回だけでしたけどね! 今回は、2011年の記事をこちらに再掲いたします)

2011年もあとひと月と少しを残すのみ。
もしあなたが、今年あと一冊だけ何か読んでみようか……と考えておられるなら、ぜひともこの本を手に取ってみていただきたい。
「えっ、木村政彦。オレ、柔道やプロレスには興味がないよ」と言われるあなた。これは確かに格闘技の本でもありますが、格闘技に何ら興味や知識がなくとも、十二分に熱く面白い本なのです。
あなたが、何かに勝ちたいと思ったことのある人ならば。

日本柔道史上「最強」と呼ばれ、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とうたわれた木村政彦。最盛期に従軍し、戦後はプロ柔道、またプロレスに転向。37歳で力道山との一戦に「敗れ」、屈辱の後半生を送り75歳で永眠した不世出の柔道家。
この本は、北海道大学柔道部で高専柔道の流れをくむ柔道を経験し、新聞記者になった増田俊也氏が、「真剣勝負であれば木村が力道山に勝ったはずだ」というやむにやまれぬ熱情に動かされ、丹念に取材を行い、資料を収集し、書かれたものである。

この本について語る前に、増田氏について少し。
2006年に「このミス大賞優秀賞」を受賞された『シャトゥーン ヒグマの森』(宝島社)で作家としてデビューされた増田俊也氏。私はこの『シャトゥーン』の鬼気せまる迫力が好きで、その後の作品が刊行されないことを一読者として残念に思っておりました。
この本を読んで謎が解けました! そりゃ当たり前ですよ、こんなとてつもない本を書いておられたんだから!

「負けたら腹を切る」覚悟で柔道の試合に臨んだ木村政彦の生涯を、師である牛島辰熊の半生からたどり、また木村の弟子岩釣兼生の半生まで描くことで、牛島−木村−岩釣と三代にわたる「鬼の柔道」を描ききる。戦後柔道史のみならず、日本プロレスの草創期の歴史をも書き起こすことで、昭和の裏面史が立ち現れる−−。
これから読まれる読者の興を削ぎたくないので、あまり詳しいことは書きません。
しかし、随所に挿入される木村の悪童ぶりの、なんと魅力的なこと。「鬼」と呼ばれ、命を賭けて戦った柔道家の人生の、なんと起伏に富み陰陽の落差激しく、太陽のように熱いこと。
かつて、私たちはこんなに強く情熱に満ちた男たちを、この国に抱えていた。

かねがね感じるのですが、ノンフィクションにせよ小説にせよ、すぐれた作品というものは、テーマが著者を選ぶのです。「書いてよ」と向こうのほうから著者に迫ってくるのです。
歴史の闇に埋もれた木村政彦の人生を丁寧に掘り起こし、光を当てていく膨大で危険を伴ったはずの作業をまっとうできたのは、自身が柔道を知り、新聞記者の取材のテクニックを持ち、なおかつ「真剣勝負なら木村は勝てたはずだ」と情熱を燃やす増田氏ならでは。まさにこの本は、テーマが著者を選んで降りた、奇跡の一冊です。
そんな本を読み逃がしては一生の損失。

タイトルを見て、最初私は「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか"?"」だとばかり考えておりました。しかし違った。これは「なぜ力道山を殺さなかったのか"!"」という、血を吐くような叫びだった。それに気づいた時、この本はぐっと深みと重みを増したのです。