11月某日_3
その日。
二十代前半は本当におかしくておそろしいことがあるそれを、当時、小説を書くことは単なる趣味というか、自分が思っていることや面白く感じていることをどれだけ物語にすることができるかという腕試しのようなものにすぎなかったから、そういうおかしくておそろしい現実に確かに起こったことを書こうとは思わなくて、それから二十年とか経った今、日記を書きだそうとするとき、ぶんわりと過るのは、そういう出来事の方から書いてくれ、書いてくれと呼び掛けてくるようだ、その頃は色々な人が狭い部屋のなかで入れ替わり立ち替わりするような生活で、自分もまた同じように誰かの家を巡りながら、毎日が破綻しなかったのは本当に夢のようだが、そうやって一ヶ月と少し自分の家を離れて久しぶりに帰ってくると、スキンヘッドの男女がいるその二人はどちらも知らなかった、知らなかったが、お帰りなさいと言ってきたので、そこが自分の家であることをわかっていると理解し、知り合いの知り合い、せいぜい、その知り合いくらいだろうと合点して、特に危機感を覚えることもなかったし、二人も恐縮や緊張するふうでもなく、真剣な面持ちで眺めているテレビデオに映っていたのは画像の粗さから自主制作映画らしかった、映画を撮ったり、演じたりする人は身の回りに少なからずいたから、誰それ、彼それの知り合いなのだろうと合点しながら、冷蔵庫からそれだけは切らさないその頃はそればかり飲んでいたスーパードライの350ml缶を取り出し、飲みながら自分もなんとなくそれを見た、スーパードライは俺を殴り、叩き、刺し、鞭打ち、蹴り、締め、閉じ込め、熱いもの、冷たいもの、堅いもの、ぶにょぶにょしたものを投げつけたりしていた両親が愛飲していたため、今でも忌避しているところがあるのだが(酒場でビールの銘柄を複数えらべるそのとき、スーパードライをすすんで飲むことはない)、なのに二十代前半の自分は好んで飲んでいた、周囲もそうだったように思う、男も女も俺のことをまるで感知していないかのように画面をひたすら見つめていて、一切しゃべらなかった、映画もまたセリフがほとんどなく、自分が生まれ育った三浦半島の見たことがあるどころか、きっと実家から歩いていける距離にある海岸を歩いたり、石切りやフリスビーに興じている男女はスキンヘッドではなかったが、確実にいまこの部屋にいる二人だった、スーパードライを飲み終え、畳に直置きしているマットレスに横たわって、これまで様々な人に部屋を貸していながら、そんなことは一度も考えなかったのだが、自分がいなかったそのとき、このスキンヘッドの男と女はいま自分がいる寝床で情事に及んだだろうか、いや、及ばないわけだないだろうと、唐突に思った、どうしてか、急にそう思った、それどころか、ふつうに、我が家で寝泊まりしていた数十人がそうなのだろうということを考えて、いや、もちろん、自分だって自分の家ではない滞在先でそのようなことがなかったわけでは全然ないのだったが、そのことに苛立つとか、腹立たしくなったのではなく、こんな生活を、日々を送っていれば、近いうちにとてつもない厄介ごとに巻き込まれ、人生はあっけなく終わるだろう、と猛烈な不安に襲われた、でもむしろ、なんらかの形で破滅が訪れること自体はまっすぐにのぞんでいた、そういう放埓な暮らしをしていたのは、結局夢も希望も金もなかったからにすぎない、それ、お二人が出てるんですよね、となぜか敬語になって問えば、そうなんです、まあ、プロトタイプっていうか、まだ断片でしかないんですけどね、と男のほうが言った、けど、これでも全然、見られる作品になってるとは思うけどね、と女が続けた、まあそうね、と男は賛同した、そうでしょ、そうに決まってる、と女は強調した、寝床から起き上がって、外に出ようとするとき、声はかけなかったし、男と女から呼びかけられることもなかった、声をかけることも呼びかけることも、どちらも、その必要がなかったからで、自分の家に様々な人がいるとき、あるいは自分が誰かの家で寝泊まりしているとき、挨拶を交わすこともなく、出たり入ったりしていた、当時住んでいる街はとてもガラが悪く、だから家賃も安かったが、それゆえに住んだのではなく、ガラが悪いことのほうに惹かれたからだった、部屋は二階で、朽ちて穴のあいている階段を降りたそこは狭い路地の突き当りで、広い通りまで少し歩くその間で自分がやってくる数か月前に暴力を振るわれたその果てに死んだ人はいた、きっと何十年間のうちにもう三人くらいはそこで死んでいると思った、いつか自分も、自分が呼びこんだ誰かにそこで殺されるのではないかとうっすらとだが、本当に、そう思っていた、というか、そういうように人生は終わるだろうと思っていたし、それでいいとどこかでそう思っていた
誰かに殺されることはなく今のところは生きて四十代になっているその七年とか前だから三十代の中頃、薄暗い路地で誰かに殺さるのではないかと思っていた当時のアパートを訪ねたらなくなっていて、新しくなにか建っているわけでもなかった、「〇〇さんはあなたが生きていることでとても苦しんでいます」、「〇〇さんの大切な人もまたあなたが生きていることでとても苦しんでいます」と、そういう書き出しで始まるメールが先週、先々週に届いたが、これを書いている今週、金曜日の時点では届いていず、「〇〇さんと〇〇さんの大切な人である××さんはつまびらかに言ってあなたの死を望んでいます」というただそれだけあるメールは火曜日、ジムで背中を鍛えているさなかに届いた、デッドリフトをしていた、デッドリフトは腰を痛めそうで怖かったが、いざやってみると単純に重量を持ち上げるというその動作が楽しい、「つまびらかに言って」は誤用というか、表現としては不適切だと思うし、だったら、〇〇さんと××さんが自分の死を望んでいるその詳細をきちんと教えてくれと言いたくもなるけれど、「FUKUDAさんはどこまでバカなんですか」とやっぱりそれだけの文面は翌水曜の夜、胸を鍛えているときにやってきた、インクラインベンチプレスをしていた、〇〇さんと××さんが自分の死を望んでいると言われるよりも、単純にバカだと言われるほうが比較にならないほどムカつくが、「FUKUDA」さんというその表記(全角大文字!)が理由はわからないながらも無性に頭にきて、もう筋トレどころではなくなり、まだ二種目目だったのにジムを出た、一種目目はベンチプレスだ、そのまま家に帰って、でも結局は久しぶりに可変式ダンベルを使って胸を鍛えなおしたのだけれど、いまFUKUDAさんという表記を見ると妙に笑えるというか、FUKUDAさんなる人はどこまでもバカであるような気が確かにしてくるし、実際、自分は人間的にも学力的にも大バカ者であることは疑えない、「どこ」までバカなのかと言えば、それはもう際限なくバカであることは間違いない、つまびらかに言ってバカである、バカと言われたその日はいつもジムを出てそれから夕食を購っているスーパーに寄らず、家に食べられるものが米しかなく、米を炊いて味噌汁用の味噌をちびちび口にしながら食べた、眠ることができなかったどこまでもバカなFUKUDAさんである自分は、ジムを出てそれから夕食を購っているスーパーをあとにしてのち、立ち寄る公園に出かけた、セブンイレブンで氷結を一本買った、向かい合うように座るベンチとテーブルがいくつかあるそこはすべて埋まっていて、しかしどの場所も一人だけだったから、その勇気があれば相席を申し出ることも可能だった、自分はテーブルはない横並びに三人は座れるベンチに腰掛けて、氷結を飲みながら、年末までに送らなければならない掌編のことを考えた、ワードのファイル名に暫定的についているタイトルは今は「正義」で、その前は「呪術」だった、「呪術」というタイトルになることは恐らくないが、「正義」とする可能性は結構ある、正義とはいったいなんなのかという話でもないし、正義感のある人の話でもない、憎んでいる人の首を絞めながら、誰よりもかけがけのない人に愛をささやくこともできるし、窒息死した人をなお刃物で刺しながら、愛おしくて愛おしくてたまらない人と手をつなぐこともできる、朽ちていく死体の横で情事に耽ってもいい、そういうことをしている、そういうことをしていることをでも自覚する必要もない、氷結を飲み終え、もっと飲みたくなって、またセブンイレブンに戻って今度は三本買って帰ると、一人で座っていた彼らはみないなくなっていたので、テーブルのあるベンチに座った、酒がなくなれば、また買って、飲み、なくなれば、また買って、ということを五時近くまで繰り返していたが、誰も公園にはやってこなかった。
公園から帰って眠って目覚める木曜日はたいてい休みだが、月に一度だけある出社日で、しかし十六時から少しだけ会議に出ればそれでよく、十時頃に目を覚まして鶏むね肉を茹でた、夢は両親が動画サイトでチャンネルを開設し、自分たちが息子に対してどんな嫌がらせをしたのか、ということを喜々として語る、なんとも胸糞悪い内容だったが、その日のネタは通学用のリュックに大量の手羽先(生)を放り込んだことで、前にも日記に書いた気がするけれど、両親はツボにはまったのか、生肉を使って色々としかけてくることはたびたびあった、そんな最悪な両親でも、動画の最後にはチャンネル登録と高評価をおねがいします、と締めていたことにはちょっとウケてしまい、ウケてしまった自分を強く罰したくなった、鶏むね肉を食べてジムへ、肩を鍛える、胸、肩、腕、背中、脚を鍛えているそのなかでも、肩を鍛えるのがいちばん好きなのは、筋肉がついたことがもっともわかりやすいからだ、他の部位はともかく、肩は確かに筋トレを少なからずしている人のそれであるように見えるはずだ、肩を鍛えている最中に、〇〇さんと〇〇さんの大切な人である××さんはつまびらかに言ってあなたの死を望んでいます、とか、FUKUDAさんはどこまでバカなんですか、といったメールは届かない、筋トレを終えて家に帰り、カップヌードル シンガポール風ラクサを食べて、池谷和浩『フルトラッキング・プリンセサイザ』を少し読む、こないだ人とのやりとりで池谷さんのすごさに触れたが、本当に掛け値なしの才能だと思う、暫定「正義」を手直しする、締め切りまでまだ一か月くらいあるし、求められている分量も少ないので、あと二つくらいは書いてどれを提出するか悩むことになりそうだが、結局は暫定「正義」になるような気配はある、身支度を整えて出社、ナンバーガールのパーカーを着ていく、フラッシュバックというよりはもうほとんどそうなるようにできているというか、電車に乗って移動している間に嫌なこと、つらい記憶が襲ってくることが頻繁にあって、去年の終わりから今年の初夏頃までは混雑した電車のなかで突如号泣してしょっちゅう顔面が涙と鼻水でぐひゃぐひゃになってしまい、歩いて通勤しようかと考えていたくらいだったが、今でも号泣を引く率は8%くらいは相変わらずある、昼過ぎの空いた電車に乗って向かうその時もやはり思い出したくもないことがべらべらよみがえって、本当に、よくそんなことが言えたな、言ってくれたな、とぬくぬくと憎しみが募った、それは普通に、犯罪でしかない、と言ってやりたくなった、電車を降りて職場へ、会議に出席して理路整然と意見を述べ、わけのわからないことを言う人、完全に事実ではないことを得意げに話す人にうんざりしながら、飲みに行きたくなってしまい、仕事を終えて高円寺まで、コクテイルでバイスサワーを2、追加中をそれぞれ2、1、計5杯を飲んでから、高円寺住まいの友人と最近できたらしい立ち飲み屋で合流し、メガハイボールに串焼きを数本、それからバーへ行ってラムトニックなどを飲む、自分の実力と稼ぎで人生を楽しく、かっこよく生きていると常々思っている友人の逸話を聞いて心をやや持ち直し、終電一本前で帰る、車中で去年末から今に至るまで届いている「変なメール」と自分でそう名付けている大量の文面を見返す、〇〇さんはあなたが生きていることでとても苦しんでいます、という書き出しのメールやそれに類する様々な文面からさっするに、この人は○○さんを敬愛しているのだろう、住んでいる街に帰って、ローソンで氷結を一本だけ買っていつもの公園へ行く、ちょっと小高く丘のようになっているそこにあるベンチに初めて座って氷結を飲んだ、だいぶ寒いからか人の姿はなく、飲みながら自分が書いた「Maxとき」という小説の最後に出てくる、むかし東京に住んでいたけど人を殺してそれから新潟に逃げてきたおっさんのことがなぜかぼんやりと浮かんだ、相当な狂人だが、おっさんが殺した人は誰からも恨まれていて、殺されても当然だと誰もが思うような人だったから、ロクに捜査をされることもなく、だから自分は罪に問われることはなかったとそのおっさんは得意げに言うのだった、相当な狂人だが、語るところはきっとウソではなく、おっさんは確かにその人を殺しているし、殺された人は殺されても仕方ないと思われていた、というか、殺されて欲しいと思われていた、全体的にエモい(と自分で言うのもアレだが)小説のそのほとんど最後に、あの殺伐としたおっさんが出てくる理由も意図もないが、ふいにとても重要な存在であるような気がしてきた、二時頃に帰る家の玄関は開いている、もうずっとそうだ、窓も開いている、いま日記を書いているのはそういう施錠されていない家のマットレスだが、西から東にやってきて、夜、叫び声を上げる人が本当に多いことに最初はビビっていたが、いまは甲高い声でわけのわからぬことをわめいている人がいるそれも電車や車の音と同じような感覚になっている、自分だって、ずっと泣き叫んでいた。
その日。
口の中で歯がぼろぼろと外れて、粉々になり、じゃじゃりしてめちゃくちゃ不快になる夢をかなりの頻度で見るのだけれど、上の歯がその並びを保ったまま、歯茎から千切れるように落ちるだけでなく膨らみ、腔内を圧迫するというなんとも気持ち悪いパターンに初めて遭遇した、耐えきれず口から吐き出すともちろん血まみれで、上の歯がまるごとなくなったので、ふがふがしてしゃべることができないのだが、そういうおぞましい現象がやってきたのは引っ越すために物件を内見しているまさにその途中で、阿佐ヶ谷の1DK、駅まで徒歩2分、築年数も比較的新しく内装もきれいなのに家賃は4万8千円という格安だったのだけれど、ともにその場にいた不動産屋は自分の口から外れた歯を素手で拾い上げ、怨嗟に満ちている、いい歯ですね、としみじみ言って、赤い小箱にしまったそれを差し出されたので受け取った、隣にお住まいの方はミノタウロスですけど、とてもいい方ですよ、と不動産屋は言った、金曜日、目を覚まして、歯が無くなった夢の影響か、鶏むね肉を食べられる気がしなかったので、鶏むね肉は茹でない、トマトをひとつ、切らずにかぶりついて食べる、ザバス MILK PROTEIN のむヨーグルト 脂肪0 ピンクグレープフルーツ風味を飲む、床に落ちているギターをひろって、ぼろぼろとつま弾きながら自分で死んだ友人が作った「ホームセンター」という曲をぼそぼそ歌う、悪魔と暮らす週末の午後/戸棚を作る木材揃えにホームセンター/罪のない人罪を終えた人/全部飲み込んでレジへと向かう長い道/うそぶいてもけむに巻いても/むなしいだけ君に値踏みの時間はない/悲しいだけ元の列へ戻るだけ/最後の仕事も終の住処も間に合うさ/ホームセンターで全部揃えて人生も収納/片目のあいつ元気かな/破天荒な人生だった/破天荒はいいすぎかな/やんちゃくらいにしとこうか、とそのような歌詞をぼそぼそと歌う、「ホームセンターで全部揃えて人生も収納」という箇所がたまらなく好きだ、ホームセンターが収録されている音源を録音したその場に立ち会ったときのことを思い出した、西荻窪のスタジオで録音はトンカツの二宮友和さん(ex eastern youth)だった、身支度を整えて仕事へ、死んだ友達のライブをボイスメモで撮ったそれを聞きながら車中をやりすごし、電車を降りて職場までHi-STANDARD「ANGRY FIST」を聴く、なんかハイスタを聴きてえ、とこの頃、そう思っていた、もちろんハイスタはコピったし、初めて聴いたときの衝動というか興奮をそんなものは計量化できないにせよ、あらゆる人生体験のなかでも最も大きかったかもしれない、その候補には確実になりえるくらいのものだった、ひたすらにかっこいいというその感動が突き抜けていた、そしていま聴いても何度聴いてもかっこいい、出社、仕事の多い日で、わちわちとこなしていく、仕事における自分は有能だなあとふつうに感心するけれど、あくまでこの職場においてそうであるだけし、十八年とかそれくらい働ても、四十過ぎても、手取り二十万円あるかどうかという稼ぎしかなく、貯金もまともにはできない、だから老後なんていうものは存在せず、働けなくなるその時に人生は詰むのだろう、職場の問い合わせフォームに仕事とはまるで関係ない、言わば、人生の選択に関することについて、どうしたらいいのかという質問が届く、当然返事はしない、自分のほうが聞きたいくらいだ。
退社してジムへ、腕を鍛える、腕を鍛え終え、一つ隣の住んでいる街に帰るべく乗った電車を降りてホームから改札にむかっているとき、「FUKUDAさんみっともないですよあきらめてくださいいいかげんにしてください」という文面ではなく、テキストアプリにそう入力したそのスクリーンショットが添付されたメールは届く、送り主は全角大文字の「FUKUDAさん」にハマったのだろうか、改札を抜けてショッピングモール地下のスーパーへ行くが、弁当も総菜も寿司コーナーも寿司もスカスカの状態だったので、超熟3枚切りとレトルトのラムキーマカレーと豚肉とチーズを挟んで揚げた総菜と洗わなくても食べられる野菜を買う、いつもレジで会計が始まる前に「大きい袋ください」と事前に告げるのだが、先んじて「大きい袋でよろしいですか」と初めて言われた、夕食を買ったその足で立ち寄る公園ではスーツ姿で縄跳びをしている男がいて、いてくれて、今日は当たりだと思った、ハヤブサに挑戦しているが、いっこうに成功していない、ベンチに腰かけて豚肉とチーズを挟んで揚げた総菜は4切れあるので1切れつまみ、それからもう1切れつまみ、ふざけんじゃねえよ、マジで、お前こそ死んじまえよ、などと呪詛をどぼどぼもらして家に帰り、カレーを温めるなどして食べる、電子レンジがないので湯煎だ、久しぶりにシンプルな眠気がやってきて、ぐっすり眠れそうだとさっさと床についたところで、「FUKUDAさんみっともないですよあきらめてくださいいいかげんにしてください」という今度は添付ではなくメール本文に記載されて届いたのだが、さんざん伝えたのをいよいよ考慮する気になったのか、仕事用アドレスではなく、こちらから提示したプライベートのほうだったので、ありがとう、ぜひこれからもそのようにしてくれ、と完全に倒錯した優しさに包まれて、きちんと眠った。