唐招提寺・金堂 平成の大修理
奈良・唐招提寺の金堂は約1200年前の奈良時代に建立されたとされ、日本最古の金堂であり第一級国宝でもあります。
その金堂が1995年1月に起きた阪神大震災の影響で、柱の内倒れがひどくなってしまい、大きな地震に見舞われると崩壊する可能性が出て来た。
その為に1999年から10年かけて解体修復工事をする事が決まった。
TBSテレビは、創立五十周年を記念し、唐招提寺金堂の平成大修理を支援すと、その貴重な修理の記録をする「唐招提寺2010プロジェクト」を2000年からスタートした。
解体修復修理の記録撮影担う事になったのが報道局映像取材部。
1998年8月、当時のF部長に呼ばれた私は
「10年間、ハイビジョン記録撮影を担当しろ」
と一方的に命じられた。
その年9月の工事事務所開きから2009年11月の落慶法要まで、多い時には月に3〜4度の奈良通いの日々が始まった。
担当ディレクターの話しでは撮影したVTRテープは40分テープで延べ1000本。収録時間は恐らく500時間を超えたそうである。
プロジェクトの企画番組は1999年から始まり地上波の「報道特集」枠で5回。地上波の特別番組7本。BS-TBS特別番組12本。
延べ放送時間は30時間を超える事になった。
これは唐招提寺・オフィシャルHPにある大改修のダイジェスト版動画です
記録動画のほとんどの部分は私の撮影したものです。
記録開始当時のTV放送環境
たかだか四半世紀前のお話ですが、この25年の間に日本のテレビ放送環境は大きく変わりました。
ハイビジョンテレビ放送が始まったのが、BSデジタル放送が2000年12月。そして地上波デジタル放送開始が2003年12月。
修復工事の記録撮影が始まった1998年当時は、未だアナログのSD放送の時代。今の様な16:9の横長画面ではなくて4:3の画面でした。
アナログ放送ですから、ちょっとでも電波の弱い所では当たり前に画面にゴーストやらチラつきが出ていましたよね。時代の流れは本当に早い。
私たちテレビ局の報道取材の現場でも使っているカメラがやっとデジタル信号での録画方式に変わった頃で、未だ未だ4:3のSD画質で撮影し放送していました。
将来のHD放送に備えて上下を黒味にして16:9の横長で撮影する「なんちゃってハイビジョン」を実験的に使っていた頃です。
TBS内のHD(ハイビジョン)カメラの状況も厳しい頃でした。
プロジェクト開始前の打ち合わせ会議のメモに
「懸案の一体型ハイビジョンカメラはTBS制作技術部に2台保有。年末には6台増えて計8台になる予定。今年いっぱいはカメラのやりくりが大変そう。場合によってはソニーからの借用も検討したい」
と残っている。
業界初のHDカムコーダーを実現したHD VTRフォーマット "HDCAM"「HDW-700」発売されたのが前年1997年の10月。TBSといえども社内に未だ二台しかカメラが無かった頃でした。
最初は金堂の現状記録からスタート
1998年9月22日の工事事務所開きから記録撮影が始まった。
記録撮影が始まり、最初に私たちの前に立ち塞がったのが、解体前の金堂の現在の姿をシッカリとハイビジョン動画で記録する事。金堂の中に安置されてる三尊(盧舎那仏、薬師如来像、千手観音像)含め脇侍も解体に合わせて運び出され修復される。
本格的な修復工事の前に全て撮影しなければならない。
建物の金堂も、中の仏像も皆、第一級国宝。
万が一、機材等をぶつけてキズを付けてしまったら大変な事になる。
スタッフ一同、常に細心の注意を払って撮影に当たる事になった。
報道カメラマンとしての苦労話
私自身、25歳でカメラマンになって以来、ずっと報道ドキュメンタリーの世界で活動してきました。
普段のニュース撮影では、限られた時間に多くの情報を盛り込むため、小気味良いカメラワークが求められます。
ところが唐招提寺の特番、取り分けBSデジタル放送の特番ではジックリ、ゆっくりとしたカメラワークの方が好まれます。
それはパン(カメラを横方向に振る)、ズームのスピードにも顕著に現れます。
全く正反対の撮影リズムになる訳で、うまく使い分けられる様になるまで暫くかかりました。
進む解体工事
金堂全体を覆う作業小屋「素屋根」が出来上がると、金堂の解体が始まりました。
組み上げられていた木材は現状の記録を取りながら1本1本慎重に取り外されていきます。
素屋根の中は夏は40度を超え、冬になると零下になる過酷な環境でした。特に夏場は作業する方も撮影するこちらも汗びっしょり。
これも懐かしい思い出です。
楽しかった特番撮影
地味な記録撮影をする日々が続きましたが、修復工事の折々に地上波やBS放送で特別番組が作られました。
実写の建物やキャスターと緻密なCG合成をするためのモーションコントロールカメラを使っての現地撮影や、大勢のスタッフでのキャスター撮影。案内役のリポーターさんを絡めた撮影なとがあり、普段のニュース取材とは違った撮影に臨めるのも楽しみの一つでした。
記録撮影後半
2005年3月に組み立て工事が大きな柱を1本1本正確に立る作業から始まりました。
傷んだ木材は使えないところだけ交換や接木をして可能な限り当時の木材を使用し、約2年かけて金堂を組み上げていきました。
修復終了
調査工事開始から11年が過ぎた2009年春。
「途方も無く遠い未来」だと思っていたプロジェクト終了間近となった。
痛んだ部材の一部を交換しただけで、1200年前に作られた建物は再度見事に組み上げられた。
まとめ
解体修復工事では1000年以上も前の先人達の工夫と技の痕跡が次々と目の前に現れてきた。それを間近で見て、肌で感じられた事は、大変貴重な経験となりました。
解体修復を終えた金堂には、今回の工事に関係した方々の記録が色々な形で残されました。実は私たち記録撮影クルーもお声をかけて頂き、小さな記録を残させてもらいました。100年後、200年後になるかもしれない次の大掛かりな解体修理の時に、ヒョットすると見つけ出してもらえるかもしれない。遠い未来の人に「この人間は一体何者?」等と謎解きをしてもらえるかもしれないです。
全てが終わった数年後に撮影に関わった仲間で集まり楽しいお酒を呑む機会があった。
ニュースとは違い継続取材という事を生かして、時には厳しい物言いで叱りながら後輩たちに色々な事を伝える時間も取れました。今ならパワハラでイエローカードを出せれかねない危なっかしいカメラマンでした。
それでも10年、20年が経って、若かった後輩たちが今では立派なカメラマンになっているのをみると、ほんの少し嬉しい気持ちになります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?