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福地誠は忖度しない

忖度(そんたく)=他人の気持をおしはかること。

某出版社の担当編集さんが、その人から見た俺像を書いてくださいました。福地一族が拡大してきました。なんか家内制手工業みたいな、いや、家族じゃないですね。ありがたいことです。

福地さんの助け舟として一出版社の担当編集が感じる福地誠の姿について書かせていただきます。
というのも、noteを書いてもらわないうちには書籍の原稿の相談ができないからです。
(という月をすでに十回以上は繰り返しているわけですが)

第一印象は「ネットで人をあおる人」

どこで福地さんの名前を知ったかはあまり覚えていませんが、はじめて会ったのは、とある担当作家さんが呼ばれたイベントに、福地さんもゲストとして来た時です。

その時福地さんのツイッターをはじめて見て、担当作家さんに次のように話したことを覚えています。
「福地さん、ツイッター見る限りまじでやばそうな人なんで、あんまかかわらないほうがいいです。人をあざ笑いまくってます」

いま思えば絡んできた天鳳民やピン東勢を軽くいなしていただけなんでしょうが、そんな言葉も知らない時期のことなので、とにかく語尾にwをつけて一般人をあおっているのか、おちょくっているという印象でした。

福地誠は忖度しない

この第一印象のことを今振り返れば7割あたりで3割外れという印象です。
やはり「直感の7割は正しい」(by 羽生九段)。

まず当たりの部分としては、あおっているかどうかはともかくとして、基本的に言いたいことを言う。そこに全く遠慮はありません。

たとえば鈴木たろうさんが最高位戦への移籍を説明する動画で、「自分の本について福地さんに批判されてムカついて少し疎遠になっていた」という話をしていました。
東大を出たけれどついても、須田さんとのラインをさらして、「紹介しない」という紹介記事を出していたことがあります。
特に須田プロは福地さんの後輩だし、東大を出たけれど自体、ある種の福地プロデュースで世に出た作品なのにもかかわらず、です。
僕自身も担当作を興味ありそうだなと思って献本したら普通にボロクソ書かれたので以降の献本はすごく慎重になりました。
自分がいいと思ったものはいいというし、悪いと思ったものは悪いと言わないと気が済まない。

でも、一方ですごく大事なことは、福地さんの発言には「悪意や敵意はない」ということです。
憎しみがあって批判するとか、そういうことはないように見えます。
だから、人格批判のようなことは書かないし、そこに自分のなかの一線を引いているように見えます。
もちろんその一線が、書かれた当事者からオッケーかダメかはまた別の話で、そのことで距離を置かれがちではあると思いますが。

忖度するほうが生きるのは楽

今の時代、忖度するほうが楽だと思います。

先ほどのたろうさんの話もしかりですが、損得で考えればそんな些細なことでムカつかれるほうが損だと思います。
たろうさんは自分がB型だからあんまり昔のいらだちとか覚えていないとか語っていましたが、人によっては、そういうネチネチしたことをずっと覚えていたりもします。
(余談ですが、オカルトバスターズがオカルトの極致たる血液液型診断で物を語るのもなかなか趣深いですよね)

言わなくていいことを言わない、特にネット上では、これだけで人間関係のトラブルは劇的に減ります。
(なお裏垢で書いている方はなるべく早めにやめたほうがいいです。なんだかんだでばれること結構あります)

福地さんがもし、当事者にとって腹立たしくなるようなことを書かなければ、もっと多くの出版社と付き合っているかもしれませんし、もっと多くのプロと付き合っていたかもしれませんし、もっといろんな雀荘のゲストに呼ばれている可能性があります。
フリーだと致命的ですよね。取引先が減るわけですから。

福祉関係の金言に、「自立とは依存先を増やすこと」というものがあります。
自分の足で立つということは人に依存しないということではない。人はそもそもだれかの助けなしに生きることはできない。
だからいろんなところに頼ることができるようにすることが、結果的には安定や自立につながるという考えです。
そういう点で、忖度しない一匹狼というのは依存先が少ないということですから、非常に難しい生き方でもあります。

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