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競技と興行の折り合いはどこに着地するのか?

『麻雀界』12/1発売号のために書いたコラムです。

競技マニアの発想なのか?

最近何度かこんなことを書いてきました。

麻雀は運の比重が大きすぎて、実際に打って決着をつけるのは競技としては無意味なので、まもなくAIの評価値を争うようになる。

バックギャモンの世界がそれに近い感じがあるからです。それに対して、麻雀ユーチューバーの平澤元気さんから、こんな反論をもらいました。

Mリーグという商業的な成功が進んでいる現状の麻雀界では、そこまでAI主義的な価値観は広まらない気がします。
福地先生のいう①現状で「実力」というのがただの幻想、②それを本当に測るにはAIの評価を見るしかない、は同意なんですけど、みんな幻想を抱いたまま世界は回っていて、真実を気にするのは一部のニッチな人たちだけ。支配的にはならないんじゃって気がします。

平澤元気さんツイッターより

どうでしょう。非常に説得力ある意見ですよね。ぼくの言う、真の競技を求めてAIの評価値を争うようになるというのは、頭でっかちの競技マニアの見方にも思えます。

今回はこの問題について考えてみたいと思います。つまり、競技と興行の折り合いです。

プロレスの場合

連想したのは格闘技の世界でした。ぼくの世代では、シナリオがあるプロレスに飽きてきて、ガチな勝負を見たい、異種格闘技戦の緊張感がほしいという気運の高まりから、1990年代にK‐1やPRIDEが出てきたのは非常に印象的な出来事でした。

その後、『1976年のアントニオ猪木』というノンフィクションを読んだら、驚くべきことが書かれていました。

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