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人に助けてもらってばかり

12/23に更新しました。

前回、最後は自力だぜって話を書いた↓

これだと、俺はずっと自力で生き抜いてきたんだぜドヤって感じがするけど、全然そんなことはない。むしろ、どこかの親切な人に助けてもらってばかりだわ。今回はそんな話だ。

またバックパッカーの話。

留年大学生のときに約半年間、海外旅行をした。留年したせいで、前期しか授業がなく、後期は丸々空いてる状態になったんだよね。そうなったら旅行するしかねーだろ。

前半にヤマザキパンの工場でバイトしたりして金を貯め、4カ月半かな旅行した。

日本から船でロシアに行き、シベリア鉄道で10日間かけてヨーロッパに行き、ヨーロッパをぐるぐる回り、ヨーロッパから中東に下り、そこから東に向かってアジアまで来て、そこから飛行機で帰ってくる。そんなルートだ。地図で書くと、こうなる↓

ヨーロッパをぐるぐるして各国に行ったんだけど、けっこうつらかったな。まずね、基本高いのよ。金かかる。そのときは金なかったから、安い宿を見つけられるかで最優先で余裕なかった。高い食い物なんて食えなかった。

あとね、冬だったから寒いのよ。ヨーロッパは緯度で見ると北海道より北のエリアが多い。かなり寒いんだわ。

原宿の古着屋で買ったコートを着ていったんだけど、そのコートは裏地がすぐたれさがり始めた。2000円とかで安かったしボロだった。見てくれより防寒性を大事にすべきだったんだけど、東京育ちの俺は寒さってものへの認識が甘かった。

行った国はこんな感じ↓

ロシア、ウクライナ、チェコ、スロバキア、オーストリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、デンマーク、フランス、スペイン、イタリア、バチカン市国、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、ギリシャ

数は多いけど、数時間なんて国もあるし、一番長くても5日間とか。だから個々の国々を理解したって感じはない。

ヨーロッパ以降に行った国はこう↓

エジプト、トルコ、イラン、パキスタン

こっちは温かいし、物価が安い。安いは正義だよ。金がない旅行はつらいから。

中近東では1つの国に1ヵ月とかいたな。楽だったから。

さて、今回は物価が高い国でもなく、安い国でもない中間的な国での話になる。まぁ安めかな。

チェコの首都、プラハでの出来事だった。ここね↓

当時、ロシアとかチェコは社会主義国だった。今でいう北朝鮮とか中国みたいな感じ(厳密な話ではない)で、国が怖い。

日本が経済制裁を行ったりすると、対抗措置として日本人の旅行者を捕まえて監獄に入れちゃったりする。ただ観光してるだけの人がいきなり捕まるってヤバいでしょ。日本ではそういうのないじゃん。ロシアが日本への輸出品を止めたからって、在日ロシア人をいきなり監獄に入れたりしないよね。社会主義国って怖いんだわ。

社会主義エリアは、日本で前もってホテルや乗り物の予約を取っておかないといけない。社会主義国専門の旅行代理店があって、そこで予約してから行くんだわ。高いんだよね。1泊1万円とかする。

プラハで1泊して次の日。

チェコフィルのオーケストラを聴きに行った。当時の俺はクラシックが大好きだったから。

それまでしばらく一緒だった2歳上の浅さん、現地で知り合った日本人ねーちゃん2人と一緒に。

その日の夜、俺は宿が決まってなかった。なぜだろう? 覚えてねーわ。

ねーちゃん2人に、今夜の宿がないから同じ部屋に泊めてくれと言ったら、そういうの無理だからと、そそくさと帰ってしまった。オケを聴けたこと超喜んでたのに、チケット取ってやった恩を忘れて見捨てられた。

浅さんはその日の夜の夜行列車でプラハを立つから行ってしまった。後日に言われたわ。

あのときのお前はすげー情けなかったぞ。
ねーちゃんたちにも見捨てられて、どうにもできず、ただぼんやりしてるだけで。

と。

日本人同士で群れてるとなんとなく安心感があるけど、自分のことは自分でどうにかしないとどうにもならないんだよね。幸運は降ってこない。

その前日までの宿は日本で予約してたから、実質的には、俺のバックパッカーとしての旅はその日からスタートした。

初日にしてこれですわ。俺は自力で宿を取らないと宿無しになってしまうことすら対処できないボンクラ大学生だった。

11月のプラハの夜は寒い。ちょうど0度とか。雪は積もってなかったな。空いてるコンビニなどもない。時間は過ぎていく。深夜12時くらいになった。

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